六甲アイランドにある小磯記念美術館を訪ねました。
西洋画家、小磯良平(1903年~1988年)は神戸中山手通りに生まれ、洋館の立ち並ぶまちで「西洋的な空気」を吸って幼年期を過ごしました。気が置けない画家仲間と元町商店街にあった書店「丸善」に通って画集を探し、最寄りの喫茶店「風月堂」でお茶をして帰ることが外出の定番になっていたそうです。
神戸二中を卒業後、東京藝術大学に入学、数々の賞を獲得して主席で卒業。パリで2年間の遊学。帰国後、山本通にアトリエを新築(1931 年)しました。ここで数々の代表的な油画を生み出す一方で、ポスターの原画や小説の挿絵などの仕事を始めました。その頃は神戸港の大規模な改築工事や大丸、三越が元町に、そごうが三宮に建設されました。神戸のまちは新しくなり活気に満ち溢れていたようです。1933年(昭和8年)第1回「神戸みなとの祭」が開催され、好評だったようでそれ以降毎年開催されています。第1回、第2回のポスターは小磯良平が手がけています。
1945年(昭和20年)の神戸空襲でアトリエを失い、多くの作品が焼失したようです。1949年には住吉山手に住居とアトリエを新築しました。良い場所を探していたころ、親交があった武田製薬の武田長兵衛さんから当時の武庫郡住吉村のこの土地と大林組を紹介され、立派な木造の家を建てました。小磯記念美術館にはこのアトリエが移設されました。
住吉には武田長兵衛さん、伊藤忠兵衛さん(伊藤忠商事創業者)、住友吉左衛門(住友財閥)など、当時の大阪のトップレベルの財界人が住吉村へやって来て、阪神間モダニズム文化の先駆けになっています。
1950年代では、戦後の神戸の復興と平和への願いが込められた、当時の神戸銀行の壁画『働く人びと』を完成させ、神戸国際会館の大ホールの緞帳『港』などの制作に挑戦されてきました。
自身のモダンで気品にあふれた画風の根底にあるものを、自ら「神戸イズム」と呼んでいます。「神戸イズムは東京での生活を一時経験していながら、生涯のほとんどを神戸で過ごした画家にとって、自分を産み育てたその場所の暮らしや文化こそが制作と本質的に結びついていることを示す言葉のように思われるのです。」「神戸から離れては自分が自分でなくなることを知っていたのでしょう。なぜなら、彼にとってもっとも重要な創作の内燃機関を運動させる「神戸イズム」が失われるからです。」(神戸市立小磯記念美術館 学芸員 高橋佳苗)※1
小磯良平は、1988年に亡くなるまで多数の作品を残しています。1989年には2000点にのぼる作品が神戸市に寄与され、1992年に神戸市立小磯記念美術館が開館しました。
※1「神戸の暮らしをデザインする 小磯良平とグラフィックアート」神戸市立小磯記念美術館 解題ー芸術と暮らしはリンクする 高橋佳苗
いいね。やっぱり神戸が好き。
もっとKOBE ずっとKOBE
ではまた次回をお楽しみに♠️