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江戸時代の垂水区にやってきました。 当時の垂水区には、10の村がありました。 https://geoshape.ex.nii.ac.jp/nrct/resource/29/290000034600.html より より詳しく、今の地図に落とし込んでみると このように、区割りできます。 中山村・奥畑村の点線は…
阪神間モダニズムとは、日本で明治後期から昭和初期にかけて「阪神間」(大阪市と神戸市の間)を中心とする地域において育まれた近代的な芸術・文化・生活様式のことです。 その名付け親は文化プロデューサの河内厚郎さんで、個人事務所を構え関西の文化醸成…
今回は、外国人居留地とともに深い関係がある外国人墓地を紹介しようと思う。現在、神戸の外国人墓地は再度(ふたたび)公園の中にある。トアロードから再度山ドライブウェイを登って、再度公園と外国人墓地を目指します。曲がりくねっていて、急勾配のとこ…
「長田」という地名の由来は、弥生時代から農耕社会が発展していて神戸地域で最も広く長い田の広がる地域、という所からこの地名が起こったようです。 この地名は、日本書紀にも記されているので奈良時代以前にさかのぼる地名ということになります。(参照資…
10/12 (日) 神戸では、いくつもの音楽イベントが催された。神戸ジャスストリート、神戸元町ミュージックウィーク、宇治川音楽祭。街中を歩いていると、どこからともなく音楽が聞こえてくる。街全体が音楽で溢れていることはいいことだ。順番に歩き回って、見…
三宮の山手、北野町のすぐ南に異人館通りと呼ばれる東西の通りがある。その通りに仲良く並ぶ、2件の異人館。 左が「旧門兆鴻邸(きゅうもんちょうこうてい)」で左が「シュウエケ邸」、ともに設計者はアレクサンダー ネルソン ハンセル(Alexander Nelson Hans…
今回は、兵庫区をタイムスリップ! 元禄時代の、兵庫区あたりの古地図 コレクション詳細 - 神戸市立博物館 より ここに描かれている地図から、元禄時代の神社仏閣を拾い出してみました。 (字が読めなかったものは省略) 【神社】弁財天・八王子・天神・八幡…
今回は、江戸時代の神戸市中央区にあった村の話です。 中央区には 生田村・小野新田・神戸村・中尾村・滝寺村・北野村・生田宮村・中宮村 二茶屋村・走水村(はしうどむら)・花隈村・宇治野村がありました。 神戸村 (290000034600) | 『日本歴史地名大系』…
神戸の兵庫区の会下山(えげやま)の住宅街に神戸空襲や阪神大震災を乗り越えて建つ昭和初期の邸宅がある。現在は「la mura(ラ・ムーラ)神戸会下山」として、2023年から訪問者を美味しい食事とお酒と心地よいもてなしで迎えてくれる。 最寄りの神戸市営地下…
神戸市内に江戸時代点在していた村の姿を、深堀りしてみたいと思います。 その前に江戸時代の神戸にあった村の様子を、序章として紹介しておきます。 村の人口は、江戸幕府が編纂した正保郷帳(1645年)・元禄郷帳(1702年)・天保郷帳(1834年)の記録から…
外国人居留地の境界だった河川について数回記事にしてきたが、外国人居留地そのものについては、あまり触れてなかったので、今回は外国人居留地そのものを都市行政の視点から書いてみようと思う。 神戸の外国人居留地は 1872年にイギリス人土木技師の J.W.ハ…
前編の 江戸時代の神戸の産業・前編(農業・石の切り出し・水車業・菜種油製造) - もっと KOBE ずっと KOBE の後編です。 今回は、「素麺製造・酒造り・魚肥作り」の3つを紹介します。 素麺製造は案外④⑤の市街地・臨港地域で作られていたようです。 という…
徳川幕府300年という、長く続いた太平の世の中で神戸に住んでいた人々は、どんな暮らしをしていたのかを調べてみました。 当時の神戸市は、摂津国莵原(うはら)群・有馬郡・八部(やたべ)郡・播磨国明石郡・美嚢(みのう)郡という5つの群にまたがって…
いよいよ江戸時代に入ってまいりました! 江戸時代も神戸の町は、「兵庫の津 」と「西国街道」でとても繁栄していました。 1619年(元和5年)と言いますから、江戸時代初期のころに菱垣廻船が始まり、大阪・兵庫・江戸を行き来する航路が出来ました。 出典:…
♪ あ~おい目をしたお人形は、アメリが生まれのセ~ルロイド日本の言葉がわからない ------<中略> やさしい日本じょう(嬢)ちゃんよ仲良く遊んで やっとくれ仲良く遊んで やっとくれ ♪ ちょっと切ない歌詞に子供心に『何とかせねば!』と思ったことでしょう。…
鎌倉時代後半の頃から近畿地方を中心に「悪党」と呼ばれる輩が、あちらこちらに現われました。 彼らは、幕府や荘園の領主に反抗する武士です。土着の武士や農民を率いて荘園の年貢を奪ったり、荘園の所領を侵す者もいたようです。 その悪党の中には土着の豪…
六甲山材とは六甲山に繁茂する木や公園、街路樹を伐採した木材です。10年程前からその利用が少しずつ広がっています。神戸市公園緑化協会では「六甲山のみどりを未来の子供たちに継承するための活動」として森林整備と木材活用を推進しています。 六甲山のも…
鎌倉時代の神戸の庶民の暮らしは 平安時代から引き続いて「荘園」制度の下で暮らしていました。 この「荘園」とは、奈良時代半ばから新たに開墾した土地の私有が認められ、貴族や寺院・有力な豪族が私有地を拡大し、国から領有支配が認めらえ収入を得た私的…
■神戸人形とは 小さなからくり人形です。木製で滑稽で可愛い神戸生まれの他に類を見ない人形です。 代表的な西瓜食い 明治中頃から製作されて、初めの頃は「お化け人形」と呼ばれたり、布引の滝の茶屋で売られていたから「布引人形」と呼ばれていました。明…
平清盛亡き後、源平の合戦(1180~1185)では、生田の森と須磨・一の谷の戦で神戸の地も荒れ果ててしまいました。 特に、あれだけ平清盛が力を入れて作り直した大輪田の泊の荒れ方は、酷かったようです。 時を同じく、奈良の東大寺は1180年の平氏による「南…
昨年の平安時代シリーズで、いったんピリオドを打ったのですが、この人物の話をしないことには先へ時代を進めることが出来ないことに気付き、その話をして平安時代を締めくくりたいと思います。 平安末期に台頭してきた「平清盛」(1118年~1181年) 貴族政治…
平安時代、京の都に住む人たちが どうやって神戸にある、有馬温泉や布引の滝を訪れたのか?とてもその経路が知りたくなって、調べることにしました。 平安時代には「有馬街道」「有馬道」という道が、神戸に整備されていました。別名「湯山(湯ノ山)街道! …
野球、サッカー、バスケットボール、バレーボールなど、日本人選手の海外での活躍が目立つ今日このごろ。これらのスポーツは、近代西洋スポーツとして明治維新の開港とともに日本に入ってきた。その入口が神戸だった。このたび、そのことを記録した旧い書を…
神戸には、「布引の滝」があります。 熊野の那智の滝(鎌倉時代)・日光の華厳の滝(江戸時代)と並び、日本三大神滝と呼ばれている中で、一番古くから世に知れ渡っていたのが、神戸の布引の滝です。 布引の滝は平安時代、文武天皇の時代(700年頃)に役小角…
仕事を終え暗くなった夜空を見上げると、うろこ雲の月夜。何やら急にざわつく心を抑え、帰り道を急いでいるといつも前を通る邸宅が青い光に包まれていた。 一層 足早に立ち去ろうとすると、通用口の鉄の扉が半開きになっていて、それはまるでこちらを誘って…
11月になり神戸の北野では、KITANOVEMBER という芸術祭が開かれています。VEMBERって何?調べてみると特に意味がなく、Novemberから来た造語のようです。芸術の秋に因んで、11月の北野の芸術イベントという意味になるのでしょうか。昨年度(2023年)は「AiRK…
有馬温泉と聞けば、あゝ、太閤の湯! 「豊臣秀吉」が真っ先に浮かぶ人が多いでしょう。 実は、有馬温泉の歴史はとても古いのです。 秀吉が生きていたころよりも、ず~っと前からありました。 どれくらい古いかというと、摂津風土記(713年以降に書かれたらし…
神戸の代表的な企業である川崎重工と神戸市の発展を横並びに眺めてみました。 川崎重工は、実業家、川崎正蔵が1878年に川崎築地造船所を創業、3年後に兵庫・東出町に川崎兵庫造船所を開設しました。1887年には官営兵庫造船所が払い下げられ川崎造船所が生ま…
平安時代の神戸市へいざ、タイムトラベル! 夢枕獏さんの小説「陰陽師」ですっかり有名になった安倍晴明!私も虜になって、全巻読み漁った一人です。 陰陽師・安倍晴明は花山天皇から信頼を得て重用されるようになり、花山天皇退位後は一条天皇や藤原道長か…
7月から新紙幣が発行されましたが、手にされましたか? ¥10000 = 渋沢栄一 * ¥5000 = 津田梅子 ¥1000 = 北里柴三郎 このお三方の中に、神戸と縁のある方はいないかと 調べてみたら、お一人いました! 我々が一番、手にする機会が多い庶民のお札 ¥10…