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「山麓リボンの道」散策〜六甲のやますそ編〜

「山麓リボンの道」とは六甲山系のふもと、海と山が近い神戸のまちをリボンのように東西につなぐ全長45kmの散策路です。12区間に分かれており六甲山麓の自然と街並みや景観を楽しめるようにルートマップが整備されています。

神戸市サイト

www.city.kobe.lg.jp

 

今回は第二回目として「六甲のやますそ」を歩きました。

六甲のやますそ 白鶴美術館〜神戸大学(神戸市HP「山麓リボンの道」より引用)

 

■白鶴美術館

「本山のみち編」(前回)の甲南大学から西の方向に歩いていくと住吉川にたどり着き、川沿いに山側へ上がっていくと白鶴美術館に着きます。白鶴美術館は1934年に白鶴酒造の7代目嘉納治平衛氏により開設され、当時から古美術品500点を所蔵していました。建物は阪神モダニズムの代表的な建築です。

poko2023.hatenablog.com

住吉川から白鶴美術館を望む
(左)道沿いのインド領事館、(右)白鶴美術館前の交差点

白鶴美術館から海側に50mほど下がったところには旧乾邸があります。瓦を積み上げたような塀が独特です。旧乾邸も阪神間モダニズムの代表的な建物です。建物の山側を歩いて突き当たりに小さな若宮八幡神社があります。地域の人たちにより綺麗に管理されています。

旧乾邸と北側の塀

綺麗に管理されている若宮八幡宮

若宮八幡宮を出て、まっすぐの坂道の先に大阪湾を眺めることができます。10年ほど前に阪神御影に高層マンションができてからは眺めが変わりました。

坂道の先に見える高層マンションが大阪湾の眺めを妨げているのが残念

少し西へ進むと山の斜面に作られたオシャレなマンションや数年前に開発された分譲地に新しい住宅があります。ここには2011年に解体されたウォーリズの美しい住宅(小寺邸)がありました。解体に至った経緯はわかりませんが残念です。

今の住宅街(左)と開発以前の小寺邸(右)

小寺邸の写真は「ウォーリズを訪ねて」より引用

gipsymania.exblog.jp

■甲南医療センター

鴨子ヶ原へ行くバス道を登って甲南医療センター(旧甲南病院)の前を通過しました。甲南病院は1934年に平生釟三郎により「病人ノタメノ病院タラン」の理念で設立されました。当時の建物は戦災で一部焼失したものの阪神間モダニズムの立派な建物で80年以上の間使用されてきました。保存を望む声も多かったようですが、病院の機能をさらに充実させるべく、2021年に甲南医療センターへ改名して建物も新しくなりました。今も平生釟三郎氏の理念が引き継がれて地域の中核医療を担っています。

甲南医療センターの入口とそこからの眺め
玄関と旧甲南病院を思い出させるモニュメント

今の甲南医療センター(左)とかつての甲南病院(右)

旧甲南病院の写真は「近代建築Whach」より引用

hardcandy.exblog.jp

■知恵地蔵

さらに山側へ急な坂道を進んで行きます。鴨子ヶ原のメイン道路から離れて北西の道を進みます。住宅地を少し歩くと「知恵地蔵」というお地蔵さんとその横には大きな石灯篭があります。調べて見ましたが詳細はわかりませんでした。鴨子ヶ原公園の一角で西側の新田川により削られた崖地と住宅地の間の細長い公園です。

石灯籠には鹿が浮き彫りされており立派なものです。

細い通路を通り新田川へ降りていきます。降りたところは「大仏砂防ダム」の堰堤の上にかかってる小さな橋に出ます。橋の下は親水公園になっており、地元の人たちで育てている花壇が綺麗です。なぜ「大仏」なのかと思ったので調べると昔の地名の「大仏ケ平」からきていると思われるようです。

ブログ「日本1000公園」より

3921/1000 大仏砂防ダムの親水広場(神戸市東灘区)-日本1000公園

細い通路を降りて行き、小さな橋を通って新田川を渡る
橋の下は親水公園になっていて綺麗な花壇が印象的

住宅地の中を通りすごい坂道にたどりつきました。そこには2009年開設のトラストグレイス御影という高級シニア住宅があります。広大な敷地で眼下には大阪湾まで神戸の住宅地が広がり素晴らしい眺めです。

道標石には右が十善寺、来た方向が知恵地蔵と表示、右に曲がるとすごい坂道、
坂の左手がトラストグレイス御影

すごい坂道の下は素晴らしい眺望

■親和女子高等学校

やっとの思いで坂道の上までたどり着き、あとは住宅地の中を下ります。左手に親和女子が見えてきます。親和中学校と親和女子高等学校です。人工芝のグラウンドが綺麗です。1887年に元町に開校した神戸市で最も古い女学校で、1989年に中央区下山手通りから移転してきました。地元では「しんな」と呼ばれています。

六甲のふもとに広がるグラウンドは広く開けて気持ちがいい

親和中学校と親和女子高等学校の正門

■神戸大学

親和女子から別れて西方向に小さな道を通って神戸大学に向かいます。途中で道を間違えて「十禅寺」へ行ってしまいました。改めて六甲山に向かう道に出て昔の教育学部を横目で見て神戸大学の敷地に入りました。教育学部は今は「国際人間科学部」になって、その中に「学校教育学コース」と「乳幼児教育学コース」があるのですね、知らなかった。

十善寺の参道の道案内と立派な山門
六甲のふもとにある神戸大学、学生さんは通学が大変

馬術部の馬場、工学部、農学部と通り過ぎて神戸大学の西端から阪急六甲駅へ向けて下りて行きました。「六甲登山口」交差点の手前には「六甲カトリック教会」がありそのモニュメントの横を学校へ向かう多くの学生さんにすれ違いました。高市首相の後輩たちです。頑張って日本の未来を築いてほしいと願います。

馬術部の馬場と工学部
「六甲登山口」交差点付近では多くの学生さんとすれ違った

以上で「山麓リボンの道 02六甲のやますそ」を踏破しました。今回も坂道が多くクタクタです。閑静な住宅街と六甲山麓にかつて点在した阪神間モダニズム建築の風景を思い浮かべながら今日の散策を楽しみました。次回は「山麓リボンの道 03摩耶山のふもと」を楽しみます。

 

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ではまた次回をお楽しみに♠️

 

エッヘン!神戸自慢(その4)☆ 「ラムネ」

神戸発祥シリーズ、今回は誰もが知っているこの瓶の飲み物から

画像は Google Search より

 

「ラムネ」です!

このラムネが神戸発祥だなんて・・・  知らなかった💦

時は1884年(明治17)スコットランド出身の薬剤師、アレキサンダー・カメロン・シム氏が1870年に創業した「シム商会」から発売されました。

当初、シム商会のあった場所が居留地18番地だったことから、このラムネは「18番」の愛称で親しまれていました。

 

あの特徴的な瓶は、英国の Hiram Codd が発明したガラス玉入りの炭酸飲料瓶(コッド瓶)です。コッド氏はコルク会社で働きながらコルクの必要を減らすために、炭酸水のボトルを発明しました。

1873年に「グローブストッパーのボトル」と呼ばれるラムネ瓶が完成し、特許を取得しています。

初代ボトルです!

画像は 日本で初めてラムネ瓶を使ったA.C.シムのラムネと売れ行き : 阪急・阪神沿線文学散歩 より

 

この専用の瓶に入っている炭酸水が、神戸発祥のラムネ となります。

名前の由来は、レモネード(lemonade)を、日本語訛りにしたものだと伝えられています。

 

この「ラムネ」は明治に流行ったコレラに、新聞が「炭酸水はコレラ予防に良い」と書いたことで需要が急増しました。

 

これは全く医学的効果はありません💦

ではなぜ、このようなことが信じられたのかというと、当時の日本は「生水は危険!」→「煮沸・加熱・密封された飲料は安全!」と思い込んでいたからです。

 

そのお陰で、1880年だけでもシムは4,000円~5,000円の利益を上げ、居留地で最も金持ちの一人になったそうです。(現代の¥2,000万~3,500万に相当)

 

でもこのシムという人物は利他的な人で、その利益をもとに神戸クラブ*1)にふさわしい人物として、スポーツの才能・造船技術・サルベージ技師の才能を生かして社会貢献をしています。

東遊園地に建てられているA.C.シム顕彰碑には、シムの社会貢献・人格・功績を称える文で埋め尽くされています。

 

画像は 日本で初めてラムネ瓶を使ったA.C.シムのラムネと売れ行き : 阪急・阪神沿線文学散歩 より

 

・シムは、神戸居留地で公共の福祉に尽くした人

・シムは、道路整備・消防隊の指揮・慈善活動などに献身した人

・そして、その徳を慕う友人たちが碑を建てた こと等が書かれています。

 

さて、同じく炭酸水で忘れてはいけないのが

「有馬鉱泉株式会社」が1901年(明治34)に初めて販売したサイダー

その名も「有馬サイダーてっぽう水」

因みにてっぽう水とは、ビー玉が入ったラムネの瓶の口を開けるときにポン!という音がするので、ラムネのことをてっぽう水と呼んでいたそうです。ラムネと同じ炭酸飲料なので、この名前が分かりやすいから付けられたのではないかと思われます。

 

シム氏のラムネに遅れること17年ではありますが、有馬温泉の炭酸源泉で作られたサイダーも、神戸自慢に入れたいところです(笑)

三ツ矢サイダーのルーツともいわれています。

今は「有馬八助商店」が販売しています。

では「ラムネ」と「サイダー」の違いを

【ラムネ】

レモン風味・語源はレモネード・炭酸圧は少なめ

容器は、コッド瓶(ビー玉入りガラス瓶)

明治初期、神戸居留地で普及

 

【サイダー】

レモンに限らずリンゴ風味もある

語源はcider(リンゴ酒)・炭酸はラムネより強い

容器は普通のガラス瓶に王冠栓

大正~昭和に全国普及

 

ざっとこんな違いがあります。

 

これからの季節、炭酸飲料がおいしく感じられますね。

ラムネやサイダーを飲むたびに、神戸発祥なんだ(^^♪と思いながら、潤いたいものです。

 

エッヘン!神戸自慢 ☆ 神戸発祥のファッション(その3)パーマネント - もっと KOBE ずっと KOBE

エッヘン!神戸自慢☆神戸発祥のスポーツ(その2)「ゴルフ」 - もっと KOBE ずっと KOBE

エッヘン!神戸自慢 ☆ 神戸発祥のファッション(その1・神戸洋服)「神戸洋服」 - もっと KOBE ずっと KOBE

 

*1)神戸クラブ

1869年神戸外国人居留地で創設された「西日本最古の外国人社交クラブ」で、神戸の国際都市としての歴史を象徴する存在。英国・米国を中心に、フランス・イタリア・ドイツなど多国籍の会員が集う。
外交・商業・文化の交流拠点として発展。
2014年に一般社団法人化。
会員は30か国以上に及び、文化・スポーツ・社交の場として今なお存続。

一般社団法人神戸倶楽部公式サイト(公式)Kobe Club  より

 

参照資料

神戸・兵庫の郷土史Web研究館/郷土史探訪ツーリズム研究所

日本で初めてラムネ瓶を使ったA.C.シムのラムネと売れ行き : 阪急・阪神沿線文学散歩

ウィキペディア

 

 

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ではまた次回をお楽しみに♥ 

 

神戸にまつわる本たち(その3)

 

 神戸にまつわる本たちの続編。その1、その2は特に何のテーマもなく適当に選んでしまった感がある。今回は神戸の歴史というよりも、音楽、映画、本などの文化を中心に書かれた本を紹介しようと思う。

 

■ おい!チキンジョージ  ライブハウス チキンジョージ


神戸では有名なライブハウス「チキンジョージ」の開業45周年記念の本である。帯には「これはすべて酒の上の話である」と書かれてある。確かに「ほんまいかいな?」というような内容もあり、ほんまに面白い。どこに出しても恥ずかしい三兄弟の話からはじまり、徐々にミュージシャンとの交流が広がり、ライブハウスとして発展していく様子がよくわかる。阪神淡路大震災で大きな痛手を負うが、そこからまた立ち上がる。チキンジョージ名言集の数々は笑わせてくれる。

わかったことが一つある。皆に心から愛されているライブハウスであるということ。2026年3月発行。

 

この情景は目の当たりにした。今でも覚えている。
ミュージシャンたちが思い思いに語るチキンジョージ

 

■ 神戸と映画 映画館と観客の記憶  板倉 史明

 

この本をサラッと紹介するのは難しい。映画という文化が時代の流れでどう変わってきたか。神戸では新開地から三宮へと繁華街の中心が移っていった。その頃の最大の娯楽文化である映画もその影響を受けて徐々に移っていく。また、日本映画史の原点が神戸市であることも解説されている。(京都、大阪にもそれぞれ持論はあるらしいが)

その他にも映画史の貴重な記録がいっぱいある。新聞会館大劇場とかビッグ映劇とかの写真は懐かしい。阪神淡路大震災で倒壊した阪急会館の写真も記憶を呼び覚まされる。帯に書いてあるとおり「呼び覚まされる映画の記憶」なのだ。

映画好きにお薦めの一冊である。2019年4月発行。

懐かしく感じる人も多いと思う

 

■ 神戸ミステリー傑作選


神戸を舞台にしたミステリー小説が7編収められている。ミステリーと言っても推理小説とは限らない。もう少し広義にミステリアスな小説と捉えた方がいいかもしれない。

高木彬光「黒い波紋」はメリケン波止場、中突堤、税関付近で起こった事件もの。千代有三「痴人の宴」は甲子園の浜が舞台でサマータイムをトリックに使った推理もの。森詠「真夜中の東側」は、ジャズとバーボンとタバコが香るハードボイルドな短編。三枝和子「街に消えた顔」は、ちょっと不思議なショートショート。島尾敏雄「石像歩き出す」もちょっと変わった短編。ミステリーと言えばミステリーだ。SF作家の眉村卓「須磨の女」は、SFではなく、幽霊というか精霊というかそういうミステリーもの。締めの陳舜臣「幻の不動明王」は、コン・ゲーム(詐欺)小説。

どの作品も書かれた時期が古いのでミステリーの古典として読むのがいいだろう。
オリジナルは1986年4月に初版発行。写真の装丁のものは2026年4月の発行。

 

■ 神戸元町ジャーナル 通り過ぎた人々、喪われた街 平野 義昌


海文堂書店の元店員だった平野義昌氏の書かれた本。ビッグなサイズで本棚には収まらない。ジャーナルという名のとおり貴重な「記録データ」でもある。冒頭、海文堂書店の閉店の話から始まる。次に陳舜臣、司馬遼太郎、横溝正史らが神戸の街とどのように関わってきたか、またどういう思いを持っていたか。そして、空襲や震災の中で神戸の街がどう変わってきたか。喪われた(うしなわれた)街という表現もなるほどと思わせる。

番外編として、コーベブックス、ジュンク堂、三宮ブックスの話がけっこうなボリュームで書かれている。懐かしい話である。2025年7月発行。

大変貴重な記録書である

 

音楽、映画、文学など文化にフォーカスして、神戸にまつわる本を選んでみたが、やはりここでも阪神淡路大震災の影響は大きいと感じる。喪われた(うしなわれた)街ではあるが、立ち直った街とも言えるだろう。

 

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ではまた次回をお楽しみに ♣︎

 

神戸市歴史公文書館

 今日は、神戸市営地下鉄 海岸線に乗って「中央市場前」駅へ向かった。
この駅付近は、神戸の名所が数おおくありこのブログでもたくさん、紹介してきました。


過去のブログ

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 中央市場前駅の真上にイオンモールがあり、ここは兵庫城のあった場所で一部石垣が残っています。城跡のイオンなんて、そうないんじゃないかな。
道を挟んで神戸中央卸売市場本場があります。市場に背を向けて運河にかかる橋を渡っていると、清盛くん(平清盛)像がにこやかに鎮座しています。


 控えめな「神戸市歴史公文書館」(旧岡方倶楽部)と書かれた表示に沿って歩いていくと、「札場の辻跡」や海産物を販売している「樽屋五兵衛」が見えきます。

右手に公園が見えてきたら到着です。


 この6月にオープンしたばかりの、「神戸市歴史公文書館」です。

 建物横にある年代を感じる建物は、以前このブログでも紹介した「旧岡方倶楽部」です。神戸市歴史公文書館は、新しく建設した建屋(本館)と旧岡方倶楽部を補修した建屋(別館)からなります。

 歴史公文書館と言われるととても堅苦しく感じられるかもしれませんが、神戸中央図書館にもある資料から、市政に関わる書類や古い時代の地図なども収蔵されています。

また以前ふたば小学校にあった「アーカイブ写真館」という神戸の古い写真が収蔵されていた施設もこちらに統合されています。

昔から現代までの神戸市政に特化した図書館のような施設というのがイメージしやすいかもしれません。 

左の本館が新しい建屋、右の別館が旧岡方倶楽部

歴史公文書館の仕事

利用の仕方

1)本館の受付に利用したいと告げる
 利用の方法の説明があります。1階の閲覧室には大きな机があり、本棚の本を自由に読むことができます。
荷物がある場合は、閲覧室に持ち込めないのでロッカーに預けます。(鍵は受付でもらいます。)



2)閲覧のための申込み

 閲覧室だけを見るとこれだけ?と思われるかもしれませんが、こんな数じゃないのですよ。膨大な資料や本、地図が収蔵庫に収められています。
見たい資料や本を受付で申込むと、収蔵庫から取り出してくれます。
閲覧室にパソコンがありますが、自宅のパソコンからもアクセスできて申込むことができます。(「神戸市歴史公文書館 資料検索システム」)


3)コピー等をしたいとき
 荷物は閲覧室に持って入ってダメだとお伝えしましたが、筆記用具やスマホはOKです。閲覧した本をコピーしたり、写真で撮ったりする事ができます。
ただしその時は、用紙にご自身の氏名・住所・電話番号と本の詳細を記入して届けます。

4)資料がわからないとき
 調べている事象はあっても、どの資料を見たらいいのかがわからない時や資料の名前がわからない時は、職員の方に相談するといいですよ。
例えば「明治○年に神戸で商売をしていた、ドイツ人の△△氏」を探している言うと、当時の外国人だけが記載されている電話番号帳から、スペルもいい加減だったのに、その人らしき人を見つけてくれました。AIみたいなスゴイ職員さんがいらっしゃいます。

別館(旧岡方倶楽部)

 大々的な補修工事で、以前の姿を残しながら安全で便利になりました。
別館の入り口の右側で、熊内にあった文書館に展示されていた「兵庫神戸実測図」が出迎えてくれます。

明治14年2月 地理局測量課

館内の様子

 別館には、明治時代からの市政年表や旧岡方倶楽部についての説明や兵庫の津遺跡の展示がされています。

 □市政のあゆみ(2F)


□兵庫の津遺跡の発掘(3F)


□旧岡方俱楽部について(3F)


□館内(1F~3F)


改修工事前と比べてみるのも面白いですよ。

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 心待ちにしていた公文書館のオープン、その上 別館の旧岡方倶楽部の建屋と展示も新たな公文書館の魅力です。神戸は空襲があったので、残っている古い資料が特に大切。これからの未来へ引き継いでいけるといいなぁと思いました。

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ではまた次回をお楽しみに♢

 


神戸市歴史公文書館

〒652-0834 神戸市兵庫区本町2丁目3番33号
利用時間 月曜日〜金曜日 9時〜17時
休館日 土曜日、日曜日及び祝日、年末年始
https://www.kobe-city-archives.jp/

「山麓リボンの道」散策〜本山のみち編〜

「山麓リボンの道」は六甲山系のふもと、海と山が近い神戸のまちをリボンのように東西につなぐ全長45kmの散策路です。12区間に分かれており六甲山麓の自然と街並みや景観を楽しめるようにルートマップが整備されています。

www.city.kobe.lg.jp

今回は第一回目として「本山のみち」を歩きました。

神戸市HP「山麓リボンの道」より引用

■出発点はJR甲南山手駅
甲南山手駅はJR神戸線の神戸市内の最東端の駅で隣は芦屋駅です。1996年に新設開業しました。駅の周辺は住宅地で、1930年代に阪神間モダニズムの建築スタイルの住宅が建ち始め、今でも上品で閑静な住宅街です。

「山麓リボンの道」には要所要所に道標石が立っています。



■山手幹線(通称 ヤマカン)
国道2号線の山側(神戸市民は北のことを山側、南のことを海側という)に神戸から芦屋、西宮、尼崎まで続く幹線道路で2010年に貫通しました。戦後計画されて60数年の時を経て貫通しました。ちょうどこの辺りから芦屋の住宅地の用地買収に時間がかかったようです。

ヤマカンの西の方向を望む

 


阪急の地下道を抜けると甲南女子の看板が目に入りました。「甲南女子大学」は1920年に「甲南高等女学校」として設立され、1964年に開学しました。背後には六甲山系の豊かな緑が広がり、自然を感じながら学べる落ち着いた環境です。

阪急電車を越えると「甲南女子大学」「甲南女子中学校」「甲南女子高校」の看板を見つけた

 


山側に向かって階段を上がるとオシャレな住宅地が広がっています。六甲山系が迫って坂道や階段が多くシニアにとってはきついですが雰囲気は最高です。山側の六甲山麓には甲南女子中学、甲南女子高校、甲南女子大学が集まっています。

階段を登ると深江の海の眺めが広がる
昭和初期の阪神間モダニズム様式の名残の石垣と今のおしゃれな住宅


■森稲荷神社

少し西へ進むと森稲荷神社です。綺麗に整備された神社です。715年の卯月卯日に深江の海に神輿が現れてこの森に鎮座したいという神託を受けて造られた伝えられています。正面の石段の東側にはだんじり道が作られており、境内には森のだんじりが収納されています。

木製の大鳥居は昭和2年建立で貫禄がある
よく整備されており御利益がありそう


■神戸薬科大学
「真光寺」を通り過ぎ、昔からの狭い道を進むと鬱蒼と繁った森の中に「中野八幡神社」があります。この神社の山側には「神戸薬科大学」があり、学生が帰路を歩いているのに出会いました。1930年に神戸女子薬学校として設立され、1949年には神戸女子薬科大学、1994年に神戸薬科大学に名称変更して男女共学になっています。

真光寺の前から昔ながらの細い道が続く
中野八幡神宮の横の坂道を薬大の学生たちが帰っていく



さらに進むと小路八幡宮にたどり着きました。小さな神社ですが江戸時代に本庄村、本山村、住吉村などが尼崎領であったことこと示す石標があります。

坂の上に見えるのが神戸薬科大学、坂のふもとにある道標石
小さな小路八幡宮と境内にある「尼崎領」の石碑



昔ながらの小道を進んで、保久良山さんへの登山道の分岐を通り過ぎて阪急岡本駅の山側に到達しました。

レンガ塀の狭い小道とまちかどに咲くアジサイ

カラフルなオシャレな石塀、阪急岡本駅と保久良山神社を示す道標


■岡本梅林公園
再び山側を向いて歩き、岡本八幡神社に到達、岡本公園(梅林公園)を通り過ぎて甲南大学に向けて足を進めます。岡本は江戸時代には「梅は岡本、桜は吉野、みかんは紀の国、栗丹波」と謳われたほどに日本屈指の梅の名所でした。明治から昭和にかけて宅地開発で梅林が姿を消していきましたが、1982年に地元の有志の願いにより「岡本梅林公園」が整備されました。

保久良山のふもとにある岡本八幡神社
この辺りにも大きな石の石垣が目立ちます

梅の季節のは大勢の市民で賑わう岡本公園、今はひっそりしています


■甲南大学
坂道を下りて岡本の住宅街を進むと甲南大学の学生さんとすれ違うようになります。甲南大学は平生釟三郎らが1911年に幼稚園及び1912年に小学校を設立したことに端を発しています。1923年に甲南中学校を今の甲南大学の地に開校し、甲南高等学校へと発展させて優れた人材を輩出してきました。1951年には甲南大学を開学しています。

甲南大学
正門と立派な石垣

 

以上で「山麓リボンの道 本山のみち」を踏破しました。14000歩ほどですが坂道が随所にありクタクタです。閑静な住宅街と六甲山麓に点在する学校、さらに阪神間モダニズムの名残の石垣が点在して興味深く散歩を楽しみました。次回は「山麓リボンの道 六甲やますそ」を散策します。

 

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ではまた次回をお楽しみに♠️

 

エッヘン!神戸自慢 (その3)☆ パーマネント

今では誰でも、当たり前に日本全国どこでもあてることの出来るパーマネント。

その第一歩が、神戸だったことをご存じでしたか?

 

1923年(大正12)、アメリカから日本へパーマネント技術と機械を売り込むため来日したのは、エンプレス父子(写真 後列 二人)

そして、日本初のパーマネント技術を取得したのが、神戸三宮で理髪店を営む紺谷安太郎の妻「紺谷寿美子(すみ)」(写真 前列 二人)でした。

写真は https://seiyo39.exblog.jp/26098669/ より

 

このエンプレス父子は当初、横浜を目指していました。ところが折悪しく1923年9月1日に発生した関東大震災で、急遽行き先を神戸港に変更したのです。

 

エンプレス父子から、パーマネントの機械を購入し技術を会得した紺谷寿美子は、三宮に「紺谷美容倶楽部」を開業します。

最初は外国人客が中心でしたが、ハイカラ文化を好む神戸の女性たちに広まりパーマが神戸モダン文化の象徴となりました。

写真は 日本パーマネントウェーブ液工業組合 より

アメリカから神戸に入ってきた機械は、亜硫酸水素ナトリウムとアルカリからなる製剤と加熱機器を用いたものだったそうです。*2)

 

ここからが、神戸の凄いところ!✨

なんと、 国産第1号機 を開発したのです👏

 

開発したのは、灘区桜口町の村瀬巳之市・元町の坪内好一ら

特許も取得しました。*3)

写真は 神戸はじめ物語 その11 パーマネント : 散策とグルメの記録 より

 

使用中                      使用後

写真は 神戸はじめ物語 その11 パーマネント : 散策とグルメの記録 より

 

これが当時の「モガ」(モダンガール)の姿だったのかしら(笑)

いつの時代も女性の美に対する探究心はスゴイものですね。

もはや、冒険みたいな覚悟が要ったんじゃないかしら?

私なら、電気コードに繋がれると思うだけで尻込みしてしまうけど…

 

これもエンプレス父子が、関東大震災で行き先を神戸港に変更してくれたおかげで、神戸がパーマネント発祥の地になれたのは偶然だったにせよ、国産第1号機まで開発したのだから、神戸自慢できますよね。

神戸自慢☆エッヘン!

 

*1)  兵庫県/ウチが初めて!(2023年6月号)

*2) 日本パーマネントウェーブ液工業組合

*3)  神戸はじめ物語 その11 パーマネント : 散策とグルメの記録 

 

【過去の神戸自慢ブログ】

エッヘン!神戸自慢 ☆ 神戸発祥のファッション(その1・神戸洋服)「神戸洋服」 - もっと KOBE ずっと KOBE

エッヘン!神戸自慢☆神戸発祥のスポーツ(その2)「ゴルフ」 - もっと KOBE ずっと KOBE

 

 

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ではまた次回をお楽しみに ♥

 

神戸にまつわる本たち(その2)

 

 GWの人の多さにうんざりして、本棚の整理から始まった「神戸にまつわる本たち」だが、好評をいただいたようなので、しばらく続けてみることにする。ブログを書いている人は、きっと本が好きな人が多いのだろう。ということで、今回は(その2)。

 

 

■ 神戸っこの応接間  日野 嗣士


神戸では有名な「にしむら珈琲店」と創業者の川瀬喜代子さんの話。終戦直後の神戸で何かを始めようとして、コーヒーに着目し、喫茶店を始めるところから、幾多の苦労話が昭和の時間の流れとともに書かれてある。阪神淡路大震災を乗り越えたことも大きく書かれてある。しかし、苦労話をまとめたものではなく、どういう思いや考えでやってきたかが根底にあり、最終章の「変わりゆく時代に変わらないものを」で、大切にしてほしいことを今の時代に残そうとしている一冊です。

2017年1月出版。

阪神淡路大震災で被災した頃の話

 

 

■ 神戸の外国人 -外国人墓地と華僑風俗-  鴻山 俊雄

 

再度公園の奥の外国人墓地の話と、華僑の文化や衣食住の移り変わりという全く違う2つの話が一冊の本になっている。外国人居留地と外国人墓地の関係を知りたくて入手した本だったが、華僑の日常文化の変遷も面白かった。神戸のことを知るというよりも、タイトルのとおり神戸の外国人のことを知るための一冊である。

1984年6月出版。

外国人墓地の墓石の碑文を読み解いている様子が書かれている

 

 

■ 神戸ものがたり  陳舜臣(ちん しゅんしん)

 

神戸と陳舜臣さんに関しては、もう説明不要かもしれない。神戸を舞台に多くの小説を残されている。神戸に関係の深い人である。1965年に「神戸というまち」という著書が発行され、その16年後に改訂版として「神戸ものがたり」を発行、さらに16年後に文庫化された。この文庫化のときに阪神淡路大震災のことが追加された。2026年、その文庫本の復刊がこの本である。帯に書いてあるように神戸記録文学の名著である。金星台から始まり、異人館街、トアロード、布引と展開されていくなかで、色々な時代の歴史が散りばめられている。後半は人と街と文化、そして戦災と震災で締めくくられている。2015年に90歳で他界されるまで、神戸のことを本当によく見られている。万人に薦める一冊である。

ちなみにこういう冊子も最近発売された。「陳舜臣さんと神戸を歩こう」

陳舜臣さんの引っ越し歴とかも載っている



■ ラジオ関西 10万枚のレコード物語  今林清志


正確には 10万4800枚だそうで。放送局とはいえ、すごい保有量ですよ。そもそも電話で曲のリクエストを受け付けるという、いわゆる「電リク」をはじめたのがラジオ関西。その対応のために大量の音源としてレコードが必要だったわけ。その音源として用意された10万枚の中から、抜粋された思い出の名盤が紹介されている。年代も幅広く 1950年代から1980年代を中心に紹介されているので、きっと刺さる1枚があるはず。昭和のエネルギーを感じると同時に、プロデューサーである今林清志さんの熱い思いが伝わってくる一冊である。

2015年11月出版。

こんな感じでアルバムとエピソードが書かれている

 

テーマも考えずに適当に選んでしまったが、こだわりを神戸の地で実現させたり、神戸を舞台に展開したり、そして震災の苦難を乗り越えてというところが共通するところかなと感じた。

 

 

いいね やっぱり神戸が好き

もっと KOBE ずっと KOBE

ではまた次回をお楽しみに ♣︎

 

あじさい KOBE

 神戸の山の木々が生い茂って、緑の競演が始まると雨の季節が近づいてきて、梅雨の主役のあじさいの出番です。
※最近は母の日のプレゼントにあじさいが人気のようで、街中には一足早く鉢植えのあじさいを見るようになりました。

 でもまだ外に植わっているあじさいは、赤ちゃんで花が見つけられないぐらいの状態です。
【あじさいメモ】
あじさいの花のような部分は実はガクで、その真ん中にある丸い部分が花なんです。


あじさいが市の花

あじさいは1970年(昭和45年)に神戸市制80周年と大阪万博を記念して、市民にアンケートで市の花に選ばれました。六甲山系に広く自生しいて、多くの人に愛されたんですね。
でも あじさい人気は神戸だけにとどまらず、北秋田市・かすみがうら市(茨城県)・河内町・東京都港区・秦野市(神奈川県)・相模原市・開成町・新潟県田上町(新潟県)・福井市・日進市(愛知県)・かつらぎ町(和歌山県)・府中市(広島県)・安芸高田市・長崎市が市や町の花にしています。

神戸のあじさいの名所


◆神戸市立森林植物園(神戸市北区)

神戸最大規模・約5万株のあじさい群落が魅力。
25種350品種と種類が豊富で、「アナベルの丘」や幻の花シチダンカも見られます。
見頃:6月中旬〜7月上旬
アクセス:北鈴蘭台駅から無料送迎バス、三宮からは市バス25系統が4~11月の土・日運行
住所:神戸市北区山田町上谷上字長尾1-2
電話:078-591-0253
※写真は昨年撮ったものです。開花情報はHP等で確認してください。

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◆ 六甲高山植物園(神戸市灘区・六甲山上)

標高865mの涼しい環境で、コアジサイ・ヒメアジサイ・シチダンカなど山のあじさいが美しいスポット。
「六甲ブルー」と呼ばれる青色が特に人気。
見頃:6月〜7月
特徴:高山植物と一緒に楽しめる、涼しく快適
アクセス:六甲山までは上がってバスに乗る。植物園には入口が2か所
【西入り口】六甲山上バス「森の音ミュージアム」下車 徒歩約3分
【東入り口】六甲山上バス「六甲高山植物園」下車 徒歩約1分
電話:078-891-1247
※写真は昨年撮ったものです。開花情報はHP等で確認してください。

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◆ 神戸市立須磨離宮公園(神戸市須磨区)
街と海を見下ろすロケーションで、12種約2,000株のあじさいが咲きます。
バラや花しょうぶと合わせて楽しめるのも魅力。
見頃:6月中旬〜7月上旬
特徴:噴水広場や庭園と一緒に散策
アクセス:須磨寺駅から徒歩10分
電話:078-732-6688

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◆道の駅 神戸フルーツ・フラワーパーク大沢(神戸市北区)
芝生広場の斜面に咲く約3,000株のアナベルが圧巻。
見頃:6月中旬〜7月上旬
特徴:道の駅で温泉・ホテル併設
アクセス:JR「三ノ宮駅」から神姫バス(38系統)で約35分
神戸電鉄「岡場駅」やJR「三田駅」からはタクシーを利用

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魅力いっぱいのあじさい

あじさいといっても色々な種類があります。

花の時期が長いので楽しみが長く続きます。
その間に少しずつ変わっていく様子は、あじさいならではです。


神戸で療養生活を送った正岡子規が詠んだ句があります。
『 紫陽花や きのふ(昨日)の誠 けふ(今日)の嘘 』は、
紫陽花が少しずつ花の色を変化させていく様子に、人の心のうつろいやすさや、はかなさをたとえています。

魅力がいっぱいのあじさい。
私は土の状態で柔軟に色を変えて、雨の中でも元気よく咲いている姿が大好きです。

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ではまた次回をお楽しみに♦

 

だんじり文化が結集された「だんじりミュージアム」

5月は神戸のだんじり祭りの季節です。今年も各地で華やかで活気に満ちて行われました。今は祭りが終わって街に静けさが戻ってきております。落ち着いたところで、東灘にある「だんじりミュージアム」を訪問して神戸のだんじり文化をじっくり味わってみることにしました。

 

■「だんじりミュージアム」とは

2024年11月に神戸市東灘区にだんじり文化をテーマにした博物館(JR住吉駅から徒歩5分)が一般財団法人住吉学園により開設されました。江戸時代から受け継がれてきた「だんじり」の魅力や、その背後にある歴史、地域社会とのつながりが理解できるように、多彩な展示がなされています。館内は①出会う、②学ぶ、③体験する、④楽しむの4つのテーマから構成され、1Fと2Fに配置されています。それに沿って紹介していきます。

https://danjiri-museum.com

市立住吉幼稚園の跡地に建設された「東灘だんじりミュージアム」

まず入口には山田と西のだんじりの1/5精密モデルが展示されています。提灯や飾り幕まで詳細に作られておりその緻密さには驚きます。

だんじりの精密模型

その奥にはレゴによるだんじりモデルが展示されています。レゴでここまで精密に表現出来ていることに驚きます。レゴ認定プロビルダー三井淳平さんが半年かけて製作した超絶技巧作品です。

実物の約1/3のレゴ超絶技巧作品
提灯や飾り幕まで実物のように表現されている
屋根の飾りや彫り物まで巧妙に製作されている

それでは展示室に入って行きます。

①「出会う」コーナー

東灘には御影、住吉、本山地区で32台のだんじりがあり、1Fの壁にはその説明がなされています。32台という数の多さに驚かされますが、それぞれ特徴やこだわりがありこの地域の関係者の熱い想いが感じられます。

今、展示されている実物のだんじりは住吉の西と住之江の2台だけで、残念ながら御影地区・本山地区のだんじりは祭りの直後でまだ搬入されていませんでした。来週から展示されるようです。

壁全面に印刷されている東灘区32台のだんじり

展示は2台だけでちょっと寂しい

今日は西のだんじり(4代目)を中心にじっくり観たいと思います。だんじりの各部の呼び名は特殊なので説明図を上げておきます。

「神戸地車研究」酒井清・木村清弘共著より引用

[前幕] 雌雄の龍が相対してその間に如意宝珠(玉)が配置されています。調和と願いの成就することを表現しているようです。

[後幕] 神功皇后が三韓征伐を成し得て帰還する様子が描かれています。「日本書紀」には大阪湾で船団が進まなくなり、「住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)をこの地に祀るように」という住吉大神の神託が下り、神功皇后がそれに従うことで無事海を渡ることができたと記されているようです。本住吉神社の起源とされています。

前幕:雌雄の獅子と如意宝珠 後幕:神功皇后と住吉大神

[前屋根鬼板・後屋根鬼板] 獅子が恐ろしい形相で屋根に噛みついています。強力な魔除けと厄除けを意味しています。

恐ろしい形相で屋根に噛み付く鬼板

[拝懸魚(おがみげぎょ)]前屋根] 珍しい正面向きの鳳凰は両翼を左右に広げ格式高い美しさがあります。鳳凰には「平和・天下太平・不老長寿」意味があり、正面を向くことでその神々しさや威厳、パワーがより強く強調されています。

正面を向いた鳳凰、写真ではわかりにくいので是非実物を見てください。

[拝懸魚 後屋根] 正面を見据えた龍は、絶対的な権力と威厳を意味して邪気を払う守護の意味を持ち、古代から王の衣装や城の守り神に用いられたようです。

正面を向いた龍は珍しい

だんじりの各部に彫り物がなされています。源平合戦の一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いなどから多くの逸話が彫刻されています。

[土呂幕] 

(正面) 「平敦盛を呼び戻す熊谷次郎直実」 逃げる敦盛を直実が見つけ正々堂々と勝負するように呼び戻し、自分の息子と年が変わらぬ敦盛を討ちとる。「もののあはれ」を主題とする物語。

(後面) 「源頼朝の朽木隠れ」 小田原の石橋山の合戦に敗れた源頼朝が、敵の追手を逃れて倒木の洞穴に身を潜めたいう伝説的な逸話。

(右前面) 「壇ノ浦の合戦の碇知盛」 平知盛が壇ノ浦の戦いで碇を身にまとって海に沈む壮絶な最期を描いた古典芸能の代表的な演目。

(右後面) 「悪七兵衛景清の錣(しころ)引き」 屋島の合戦で起きたとされる平景清と源氏方の美尾屋十郎による一騎討ちの伝説。

(左前面) 「鬼神に勝る巴御前」 木曽義仲が源頼朝に追われて、京都で源範頼、源義経に敗れた後、わずか13騎で近江まで逃避行したがその中に美しい巴御前が居た。畠山重忠勢に四方を囲まれたが、重忠を振り切った。

(左後面) 「宇治川の先陣争い」 梶原景季と佐々木高綱の両名が宇治川に馬を躍らせて先陣を競う。景季が対岸に上がりざま先陣の名乗りを上げた。のぼりには佐々木家の四目結い紋が描かれている。

左:碇を見にまとう平知盛 右:剥ぎ取った錣を手にもつ美尾屋十郎
左:畠山重忠に立ち向かう巴御前 右:先陣の名乗りを挙げた梶原景季
住之江の龍の拝懸魚と美しい刺繍が施された昼提灯

②「学ぶ」コーナー

だんじりの製作

原木から鬼板が彫り込まれる様子や幕の刺繍の様子が順次説明されています。また、昔から使われている原寸大の製作図も壁一面に描かれています。

鬼板の製作工程と飾り幕の製作工程がわかりやすく展示されている

東灘区には九つの神社があり、フロアーに描れた地図の上に各神社の説明が表示されます。位置関係がよくわかります。

地図の上に神社が配置されて分かりやすい

江戸時代の本住吉神社のだんじり宮入りの様子をレゴによる再現

レゴによる再現は圧巻です。昔の絵図から再現したようですが西国街道(今の2号線)には相撲松と呼ばれた大きな2本の黒松があったようでそれも見事に再現さています。

明治時代の宮入風景を再現(レゴ認定プロビルダー三井淳平作)
相撲松や西国街道を行き交う人々がうまく表現されている
宮入を行うだんじりと神社内で留置されただんじり

③「体験する」コーナー

宮入の360度動画映像が壁全体に投影されます。その臨場感と迫力は体験しないと分かりません。映像の撮影は禁止でしたので是非体験されることをお勧めします。

だんじりに上がって壁全体の360度映像を楽しめます。だんじりは西の3代目です。

2Fへ向かう階段には東灘だんじりの歴史が説明されています。秀吉が始めたと言われるだんじりが南は岸和田へ、西は神戸に広がって行き、東灘だんじりが始まったと言われています。

 

1804年(江戸時代)東灘だんじりが始まる。無病息災・疫病退散を祈念

1892年(明治25年)東灘本山 保久良山神社から町曳きが始まる

1907年(明治40年)住吉村にだんじり曳行禁止通達

1920年代(昭和初期)昭和天皇の御大典を契機に、だんじり購入・新調ブームが起こる。

1939年~(昭和14年)第二次世界大戦の影響でだんじり活動停止

1945年(昭和20年)神戸大空襲で各地区のだんじりが焼失。

1950年(昭和25年)東灘各地区でだんじり巡行が復活

1965年(昭和40年)高度成長時代で交通規制の強化により町曳きが休止

1975年(昭和50年)各地区でだんじり復活ブームが到来

1980年(昭和55年)住吉村7地区のだんじりが35年ぶりに本住吉神社に勢揃い

1987年(昭和62年)本山だんじりパレードが開始

1990年(平成2年)平成天皇即位奉祝、東灘だんじり連合パレード開催、24台が参加。

1993年(平成5年)皇太子殿下ご成婚祈念慶祝東灘だんじり連合パレード開催、28台が参加。

1996年(平成8年)御影だんじりパレードが開始

1998年(平成10年)東灘だんじり会の結成

2000年(平成12年)区政50周年記念・震災復興記念だんじりパレード開催、29台が参加。

2010年(平成22年)区政60周年記念だんじりパレード開催、29台が参加

2015年(平成27年)震災から20年を経て地域の絆を伝えるだんじり巡行

2019年(令和元年)令和奉祝だんじり巡行を開催、芦屋、西宮、宝塚を加え45台が集結

2020年(令和4年)コロナ禍で2年延期を経て区政70周年記念だんじりパレード開催、32台参加

東灘の32台のだんじりの写真

 

④「楽しむ」コーナー

2Fには太鼓のゲーム、法被の着せ替えイメージ、ぬいぐるみキャラクターのだんじり君の展示などがあり、子供たちが楽しく遊べる空間になっています。

だんじりの太鼓のリズムに挑戦できます
だんじり君と写真撮影を楽しもう

その他、防音室が2室あり1室には太鼓、半鐘、2丁金が準備されており、いつでも鳴り物の練習ができるようになっています。楽器の練習などにも利用できます。

3Fには大小の貸し会議室があり、誰でも利用できるようです。近々グランドピアノが設置されて音楽コンサートにも利用できるようになるようです。

 

何度も途切れては復活して地域で醸成されてきた「だんじり文化」は神戸の誇りであると感じます。過去から受け継がれてきたものですが、今は誰でも楽しめるオープンなものになってきています。伝統文化ではありますが、時代を反映して「今、ここ」を楽しむ新しい祭りのスタイルを築いていければ未来につながっていくと感じました。

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

もっとKOBE ずっとKOBE

ではまた次回をお楽しみに♠️

 

エッヘン!神戸自慢(その2)☆「ゴルフ」

風薫る、新緑まぶしく絶好のゴルフ季節になりました。

ところで、日本で初めてゴルフ場が出来たのが、神戸市六甲山の山上の「神戸ゴルフ倶楽部」だったのをご存じでしょうか?

1903年5月24日でした。

 

神戸港開港とともにやって来た、イギリス人の貿易商アーサー・ヘスケス・グルーム氏によって、作られました。

 

どのような経緯で、「神戸ゴルフ倶楽部」が作られたのかを見ていきましょう。

 

彼は、来日した21歳の時自然のままの荒々しい六甲山のとりこになり、1895年に借りた土地に六甲山初の山荘を建てました。

その山荘に、避暑地として友人たちを誘って六甲山の魅力を広めました。

ある時友人たちとの会話で、祖国イギリスで流行っていたゴルフの話になり友人の「今や香港でもゴルフが出来るそうだ」という言葉を聞き、グルームが「よし、ここにコースを作ろう!」言ったのがきっかけです。その時は1896年、グルーム50歳を過ぎていました。

アーサー・ヘスケス・グルーム(Arthur Hesketh Groom)

画像は 歴史 | 一般社団法人 神戸ゴルフ倶楽部 より

 

実際に工事が始まったのは、1898年。

全くの手作業で、木を伐採し・根を掘り出し・岩を退けたそうです。そして3年後の1901年秋に、最初の4ホールが完成しました。

画像は 【シティライフアーカイブス】六甲山の開祖 英国人アーサー・ヘスケス・グルーム氏[1846.9.23-1918.1.9] | City Life NEWS より

(最初のゴルフコースのグリーンは、芝生でなく砂だったのですね。)

 

当初は仲間内でプレーしていましたが、うわさが広がり来場者も増えたのであと5ホール追加で増設することにしました。

そして、9ホールになった神戸ゴルフ倶楽部は、1903年2月7日神戸商工会議所で「神戸ゴルフ倶楽部」の創立総会を開きます。

そして同5月24日に「神戸ゴルフ倶楽部」の開場式を開きます。

 

この年のクラブ会員数は、開場式の印刷物には「120名」・年次報告書には「135名」となっています。人気ぶりが分かりますね。

そのほとんどがイギリス人で、わずかのドイツ人・フランス人・アメリカ人だったそうです。日本人も居ることは居たのですが、それもわずかの名誉会員的な存在でした。

 

開場式の様子

画像は 歴史 | 一般社団法人 神戸ゴルフ倶楽部 より

 

列席者には

13代目 兵庫県知事 服部一三

 (画像はウィキペディアより)

 

2代目 神戸市長 坪野平太郎

 (画像はウィキペディアより)

の他、英国領事のHall氏の名前も記録に残っています。

 

日本最古のゴルフ場で、日本初のゴルフの始球式を行ったのは「兵庫県知事 服部一三氏」

彼にとって、ゴルフはこの時が初体験!

始球式の球は、チョロ球💦 

走り寄って拾えるほどだったとか・・・

でも、空振りでなく球に当たったのはお見事!👏

その記念すべきゴルフボールがコレ

 

画像は https://news.golfdigest.co.jp/news/mitasantakusan/photo/93969/1/209572/ より

 

この始球式に続いて、日本初のゴルフ競技「Challenge Cup」が行われました。

この競技で優勝したのは、コース設計に携わったアダムソン!

グルームが寄贈したChallenge Cupを手にしました。

 

画像は 歴史 | 一般社団法人 神戸ゴルフ倶楽部 より

 

このカップは、今日に至るまでのクラブ選手権の優勝者の名前が刻み続けられています。

 

そして開場式の翌年、1904年にはさらに9ホール増設して全長3576ヤード・ボギー78の18ホールのコースが完成しました。

そしてこの各コースには愛称がつけられています。

歴史 | 一般社団法人 神戸ゴルフ倶楽部 から紹介します。

13番ホールの「苦難の関所」地獄極楽の分かれ路 なんて、遊び心満載で楽しそう(*^^)v

 

今は日本中のあちらこちらにゴルフコースがあって、プロも素人も気軽にゴルフを楽しむことが出来ますが、日本初の第一号ゴルフ場は18ホールを作るまでに大きな労力と時間をかけて、神戸の六甲山に作られたのですね。

 

歴史ある「神戸ゴルフ倶楽部」でプレイするには、とてもいい季節ですね。

神戸自慢☆エッヘン!(*^^)v

 

記事の参照は 歴史 | 一般社団法人 神戸ゴルフ倶楽部 

 

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

もっと KOBE ずっと KOBE

ではまた次回をお楽しみに♥

 

神戸にまつわる本たち(その1)

 

 GWの神戸の様子を投稿しようかと思い、街に出たものの、、、人、人、人、でまるで人の写真を撮っているかのような状況だったので計画変更。どこに出かけても混雑しているようなので、本棚の整理でもするかと思い、ちまちまやっていたら、神戸にまつわる本も何冊か出てきたので、これを機会に紹介しておこうと思った。そこそこの量があったので、一気に紹介すると何が何やらわからなくなりそうなので、4, 5冊ずつ数回に分けて紹介しようと思う。

 

■ 神戸かいわい歴史を歩く  田辺 眞人


 兵庫津ミュージアムの名誉館長の田辺さんの著書。神戸の歴史を広く知りたい人にうってつけのような本である。100箇所の歴史をわかりやすく説明してある。1話につき見開き2ページの解説と写真が2〜4枚と、とてもわかりやすい。意外に近所に「え?そうなの?」というところがあったりして、再発見がいくつもあると思う。神戸の歴史に興味をもったら、最初に読むのにお薦めな一冊です。

2022年3月出版。

地図や写真と説明が見開き2ページに収まっている


■ 神戸 -戦災と震災-  村上しほり


 明治の開港から、いかにして都市を形成してきたかというところから始まる。最初の部分は外国人居留地の形成と自然災害を回避する土木工事などの話。その部分は全体の5分の1ぐらいで、残りは、戦時下の神戸の話と阪神淡路大震災後の復興の話である。個人的には戦後の三宮の闇市の話があまりにもリアルなので驚いた。他にも貴重な史料がいくつも収録されており、神戸の都市としての歴史を赤裸々に知ることができる。神戸の歴史を深く知りたいと思ったときに読む一冊かと。

2024年12月出版。サイズは新書ですがボリューム(厚み)は一般の新書の倍ぐらいあります。

貴重な写真や地図が掲載されている

 

■ 神戸、書いてどうなるのか  安田 謙一


 このタイトル、わかる人にはわかるだろう。内山田洋とクールファイブの「そして神戸」の歌詞を文字ったものだ。本の帯には「ガイドブックには載らない神戸案内」とある。まさにそのとおりなのだ。グルメ、観光、カルチャー、その他諸々。そこを紹介するかという奇抜さが実に面白く、人やカルチャーに関しての切り口もいい。ローカル色溢れる一冊です。

2015年11月出版、2024年6月文庫化。

掲載されている写真にもローカル味がある

 

■ 神戸ぶらり下町グルメ Ⅱ  芝田 真督


 はてなブログでお世話になっている MSHIBATA さんの著書。この本は第2弾だが、第1弾と合わせると、何と300軒を超えるお店の紹介。この圧倒的な取材力と取材量には驚きです。観光雑誌やグルメ雑誌に載っているような店とは一味違う店が、見開き2ページに1軒ごと紹介されている。角打ち(酒屋の一角でちょっと飲める)も紹介されているのが特徴のひとつ。紹介されている店の客層が高齢なことと、店主も高齢である場合が多く、後継者問題も少なくない。掲載されているお店の中にはすでに閉じてしまっているところもある。若い人たちにもこういうお店に興味を持ってもらい、下町グルメの灯が消えることのないようにと思う一冊である。

2007年11月出版。

ローカル人気の人工衛星饅頭も載ってる

 

整理をしていてなかなか面白いなと思った。まだ出てくるかもしれない。

続きはおいおい投稿します。

 

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ではまた次回をお楽しみに ♣︎

 

神戸の意匠に魅せられてー 「アイアンワーク」の面格子

 ヨーロッパの街角で見かける美しい門扉や、洗練されたインテリアのアクセントとして人々を魅了し続ける「アイアンワーク(ロートアイアン)」。神戸の街でも見かけることがあります。

 

アイアンワーク(ロートアイアン)って?

 あまり聞き馴染みの「ロートアイアン(Wrought Iron)」は、日本語で「鍛鉄(たんてつ)」を指します。
文字通り、鉄を火で熱して赤くし、ハンマーで叩いたり曲げたりして成形する技法、およびその製品のことです。この写真を見るとアレね、って思われると思います。

 現代の主流である「鋳物(いもの)」が、型に溶けた鉄を流し込んで作る「量産型」であるのに対し、ロートアイアンは職人が一つひとつ手作業で作り上げる「一点もの」。鉄という硬質な素材でありながら、植物の蔓のような曲線や、繊細なディテールを表現できるのが最大の特徴です。

 

ロートアイアンの面格子

 鉄でできているから長持ちしそうですが、古いものの多くは戦争中の供出や空襲で数少なくなっていますが、新しく作られたものもあります。ロートアイアンでいろんなものが作られていますが、今回は面格子に注目しました。

 面格子というと、本来は防犯を目的とした実用的な設備ですよね。

※下記の写真は、アルミ製

 鉄で格子というと、堅牢な防犯のイメージですが、そこに意匠が加わると機能だけでなく建物のアクセントにもなるんです。特にシンプルな石造りの外壁でも、窓のデコラティブな面格子があるだけで、建物全体に趣きが出ます。

初代アメリカ領事館があった「神戸メリケンビル」の1階の窓(下左)と付近のビルの面格子(下中・下右)

神港ビルヂングの面格子はお花のような繊細な模様

同じ神港ビルディングを南からみると上部に小さな塔のようなものが

面格子と言えるのかどうかわかりませんが、その部分の意匠が細やかな幾何学模様で逆光でなので模様がよく浮き上がります。

 

神戸市立博物館

光を受けて館の中から見える窓辺の表情

 

 特に古い建造物や海に近いアイアンワークは、海風による塩害に耐えてきた歴史でもあります。厚く塗り重ねられた塗装の質感は、丁寧で重厚な雰囲気を醸し出します。


 ロートアイアンの意匠には、植物の茎や葉をモチーフにした、しなやかな曲線美でクラシックなスタイルの「アール・ヌーヴォー様式」、南仏風の明るい外壁に合う、少しラフで温かみのあるデザインの「プロバンススタイル」、直線を組み合わせたシャープなデザインで、都会的ビルの窓辺にも馴染む「モダン・ジオメトリック」があります。
神戸で見かける模様は、幾何学模様に丸みを加味したような独特の模様を感じます。

ロートアイアンというタイトルにしましたが、多くは鋳型で作っているようなものの紹介ばかりになってしまい恐縮です。デザインの美しさに免じてお許しを。

 

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ではまた次回をお楽しみに ♦

 

KOBE WOODロゴを探して

神戸市のHPに載っているKOBE WOOD mapを参考に、KOBE WOODの所在地を訪ねてみました。

KOBE WOOD マップ(こうべ森と木のプラットフォームより引用)

この中から何ヶ所かを選んでそれぞれで宝探しのようにKOBE WOODのロゴを探しました。

 

■元町エリア

ポートタワー

神戸のシンボル、ポートタワー

どこにあるのかと思い周辺を探しても見つかりません。インフォメーションで聞いても答えは「?」「ベンチは3Fにありますが、、、」、3Fへ行ってみると2つのベンチを発見。ちゃんとロゴがあります。でもロゴは後ろ向きで通路からは見えません。勝手に動かすと怒られるかもしれないですが、反対向きにしておきました。

3Fまで上がるとベンチがありました。
KOBE WOOD ロゴ発見!

三井住友銀行神戸本店

歩道に沿って立派なベンチが3基並んでいます。ここはストリートピアノが置いてあったり、イベントもしばしばやられるので気軽に座れる良い空間を作っていると感じました。

三井住友銀行の前に大きな丸太をカットした3基のベンチを発見

兵庫県林業会館

木の魅力を発信する拠点として造られ、日本初のCLT(直行集積板)+鉄骨混構造の耐火建築物のようです。残念ながら訪れた日はお休みで中には入れなかったけど、木製の製品や玩具が並んでいます。

兵庫県林業会館(竹中工務店の建築作品紹介記事より引用)

床は六甲山のコナラ材ハイブリッド合板、展示されている椅子は六甲山のヒノキ、クスノキ、シイノキ、イチョウ、ケヤキ、カシだそうです。(神戸市公園緑化協会HPより引用)

□三宮エリア

磯上公園

磯上公園の東側部分に「ヒーリングガーデン」が2024年に整備されました。公園の一角が木々が生い茂り、水が流れて心地よい空間になっています。その中に何基かの六甲山材の丸木を加工したベンチが設置されています。今はツツジが咲き揃って文字通り癒される空間です。

ヒーリングガーデンでベンチを発見
ツツジが咲き揃った中でのんびりした時間を過ごせます。
KOBE WOOD ロゴを発見!

磯上体育館

「ヒーリングガーデン」の北側が磯上体育館で2022年に新しく建て替えられました。訪れたのが土曜日の午後だったのでスポーツを楽しむたくさんの市民が集まっていました。壁の掲示板や天井ルーバーに六甲山のスギやヒノキが使われています。

天井ルーバーと壁の掲示板に六甲山材のスギやヒノキが使われています。

 

東遊園地

2021年より再整備が展開されて芝生広場、アーバンピクニック拠点、みちひろばなど整備されて2023年にリニューアルオープンし、多くの市民がくつろいでいます。残念ながらKOBE WOODロゴは見つけられませんでした。

東遊園地にはデッキやベンチはたくさんありますが、耐久性を重視したためか人工木材が多く見かけられます。(写真は神戸市HPより引用)

 

□六甲山エリア

再度公園

北野から再度ドライブウエイを通ってビーナスブリッジから車で15分ぐらいのところに再度公園があります。以前に紹介した外人墓地の南側に位置します。自然が豊な公園で修法ケ原池(しおがはらいけ)を中心に木のベンチやテーブルが設けられて家族でのんびり1日を過ごせます。公園のほぼ中央にログハウス「再度風楽山荘」があります。六甲山の緑化事業の中で育ててきた「森のめぐみ」を活用するシンボルとして、この建物が2006年に建設されました。神戸のスギやヒノキを利用した建物です。

六甲山材活用のシンボル「再度風楽山荘」
周辺には可愛い木工飾り物が点在していた。

風光明媚な修法が原池

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神戸市立自然の家

1973年に自然環境の中で青少年の育成と市民の生涯学習の場として設置され、2024年にリニューアルされました。自然いっぱいの野外で「あそぶ」、テントで「とまる」、「カフェ」でお茶を通して「想像」「創造」の力を呼び起こす『そうぞうのすみか』をコンセプトにしています。おしゃれなカフェ「シェールミエール」の中にはKOBE WOODがふんだんに使われています。

おしゃれなカフェ「シェールミエール」
キッチンカウンターはかっこいい KOBE WOOD。左上の角にはちゃんとロゴが見えます。
周辺は自然がいっぱいの遊び場

 

六甲山蒸留所

アクサス社により設立され、2021年に蒸留を開始。仕込みに浅井戸から採取した六甲山の水を使うことで独自のピュアーなウイスキーを製造している。スコットランド産のブレンデッドモルトに六甲山の水を加えて調整した製品と、自社蒸留した製品が発売されている。日曜日には見学ツアーが実施され、試飲も出来るようです。2026年には「六甲山蒸溜所シングルモルト3年オロロソ」を発売。直営ウイスキーSHOP「元町WHISKY」で販売しているようなので、是非入手したいと思います。詳しい情報は https://jwic.jp/distillery/rokkosan/

KOBE WOODは蒸溜所ゲストハウスのカウンター腰板に使われています。

六甲山記念碑台の近くの六甲山蒸溜所
ゲストハウスのカウンターはKOBE WOOD、ロゴもちゃんと入ってます。
木製の造作物は趣きがある。

 

最高峰トイレ

六甲山最高峰のすぐ下に登山者向けのトイレ・休憩スペースが2020年に新設されました。デザイン、建築、木材活用関係で数々の賞を受賞されているユニークで自然に溶け込んだ建物です。屋根はCLT(直行集積板)は兵庫県産材のヒノキ・スギが使われているようです。ベンチにKOBE WOODのロゴを見つけました。

登山客用休憩所とトイレ
ベンチにKOBE WOODのロゴを発見!

 

今回訪問したところはほとんどが神戸市が関わっている施設で、施策として力を入れていることがよくわかりました。神戸に地産地消やサーキュラーエコノミー(*1)という社会経済システムが市民や民間の中にもっと浸透していけば、面白い未来が開けるのではないかと想像します。

 

*)サーキュラーエコノミー 

従来の「大量生産・大量消費・大量廃棄」という線形経済(リニアエコノミー)から脱却し、資源を使い捨てず、循環させ続ける新しい社会経済システム。(産総研HPより)

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

もっとKOBE ずっとKOBE

ではまた次回をお楽しみに♠️

 

エッヘン!神戸自慢(その1) ☆ 「神戸洋服」

神戸から、全国へと広がったモノが数々あります。

「エッヘン!神戸自慢」シリーズ

第一弾「神戸洋服」です。

 

明治維新まで日本人の服装は和装でした。

明治維新で神戸港が開港(1868年)した翌年に、イギリス人のカペルが神戸の外国人居留地に「洋服店カペル」を開業(1869年)

 

そこに弟子入りした日本人初のテーラー(オーダーメイドの洋服を作る専門家)が

柴田音吉さん!

この方が、神戸から洋装の紳士服を発信した人です。

画像は https://otokichi-kobe.co.jp/  より

 

彼は修業後、1883年(明治16)元町で「柴田音吉洋服店」を開業します。

そして、彼の評判を聞いた日本初代の総理大臣「伊藤博文」が彼の仕立てた洋服を大変気に入り、愛用しました。

画像は https://kobecco.hpg.co.jp/27054/ より

 

さらに柴田音吉氏は、伊藤博文と共に明治天皇に「礼服には洋服の着用を定める」よう進言し以来、皇族の正装(宮廷服)は洋服となりました。

こんな重大なことにも関わっていたのが、神戸発祥のテーラー「柴田音吉」さんだったなんて、チョッと神戸自慢かな? (*´σー`)エヘヘ

 

1883年(明治16)元町で「柴田音吉洋服店」を開業して以来、今日に至るまで同じ場所で5代にわたり営業を続けています。

 

画像は https://otokichi-kobe.co.jp/  より

 

2代目の柴田友蔵さんは、音吉に女の子「しげさん」しかおらず淡路島の豪農から婿養子として1890年(明治23)柴田家に迎えられました。


この友蔵さんはかなりのやり手で、家業のテーラーだけでなく木材製造業を有する北海林業(株)を開業して、「神戸マッチ」のビジネスで大成功し当時の神戸の財閥の一つに数えられました。当時、神戸マッチは輸出用にとても人気がありました。今も復刻版として人気を集めているようです。

目の付け所が違いますね。

     【神戸マッチ】

写真は https://matchbou.thebase.in/items/108648321 より

 

画像は https://otokichi-kobe.co.jp/  より

 

2代目 友蔵さんは長男・享一が居たにも関わらず、3代目に店の優秀な支配人だった畠山忠さんを1890年(明治23)に婿養子に迎え後継者とし「2代目 柴田音吉」を名乗らせました。

但し、長男享一さんは林業の方を任せられ、神戸の大倉山公園に名前が残る大倉喜八郎の孫娘と結婚している。大倉家は林業と絹織物でつながりがあったようで、側面から家業を盛り立てていたのかな?

この畠山忠さんは、源頼朝の重臣で鎌倉武士の鏡とも称された畠山重忠の末裔だそうで、東京外国語学校(現:東京外大)フランス語学科出身!

毛織物の関係で政府派遣第一号としてフランス留学を果たしています。

そして、1915年(大正4)パリの毛織物商社「ドーメル社」との独占契約を結び、日本人初でロンドンに仕入れ事務所を置いて日本全国に販路を広げて、柴田音吉洋服店の立役者となりました。

「ドーメル社」は、世界最古の高級服地商社です。そんなスゴイ商社と独占契約を結ぶなんてスゴ過ぎますね。

こんな優秀な人物がいれば、誰だって迷わず後継者に指名したくなりますよね。

 

この方は、中々ハイカラさんで (*^^*)

神戸の日本人で初めての(分母チッチャ💦)、英国のスクーナー型ヨットをロンドンから輸入して、瀬戸内海のクルージングを楽しんだそうです。

 

スクーナー型ヨット 

(写真は スクーナー - Wikipedia より)

こんなので瀬戸内海をクルージングしてたなんて、カッコ良すぎます。

また、日仏親善に尽力しその顕著な功績を讃えられ、フランス政府から勲章を贈られています。スゴイ! 侮れない柴田音吉洋服店!

 

 

画像は https://otokichi-kobe.co.jp/  より

 

そして4代目で、本流の柴田家になります。

が、第二次世界大戦禍で元町の店舗消失、戦火を奇跡的に免れた店舗近くの社屋兼倉庫で、復興・再建に尽力。そして1947年(昭和22)洋服店を再建・開店させます。さらに戦争で中断されていた、ドーメル社との取引も再開させました。素晴らしい!

1949年(昭和24)には、柴田商事㈱を設立し、ヨーロッパからの輸入服地のみならず、戦後日本の繊維商社の中では先駆者としてプレタポルテ・洋品雑貨の輸入卸の業務を軌道に乗せることまでやってのけています。

その後ドーメル社と業界初の合弁会社を作り、1980年代には数多いブランドの服地の中で、質・量ともに第一位の実績を維持で画期的な大成功を収めています。

戦後の復興・事業拡張とご苦労されたことと思います。

 

 

画像は https://otokichi-kobe.co.jp/  より

 

そして、現当主5代目は1990年(平成2)3代目柴田音吉を襲名・社長に就任

阪神大震災で元町4丁目本社ビルが倒壊、1997年(平成9)7階建てのビルに建て替えています。

 

神戸元町4丁目に今もたたずむ、柴田音吉洋服店 は神戸発祥の紳士洋服店でした。

写真は https://kobecco.hpg.co.jp/27054/ より

 

柴田音吉洋服店が150年続いているのは、優秀な養子を迎えたりして後世へ引き継ぐ努力を怠らなかったのが大きいと、今回の記事を書いていて強く感じました。

 

【柴田家の家系図】

 

ざんぎり頭で始まった明治時代の男性が、こうしたテーラーの技術者の手により洋装の紳士服をまとい、外国の人と肩並べて神戸から商売を広げていったのですね

写真は https://kobecco.hpg.co.jp/27054/ より

 

明治天皇・伊藤博文・英国領事館関係者・外国商社の支配人・神戸在住の欧米紳士たち・海運会社の幹部・貿易商・銀行家・旧家の名士・ヨットクラブの会員など、多くの顧客にオーダーメイドの紳士服を提供していました。

 

今後200周年を目指していってほしいものです。

神戸自慢☆エッヘン!(*^^)v

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

もっと KOBE ずっと KOBE

ではまた次回をお楽しみに ♥

 

 

参照資料

History(柴田音吉洋服店の歴史) – 柴田音吉洋服店 | 創業明治16年以来5代135年 日本人初のテーラーによる神戸元町の老舗洋服店

英国と神戸 Vol.4 日本における初の近代洋服「神戸洋服」というブランドとして愛された | 神戸っ子

創業明治16年当時 – 柴田音吉洋服店 | 創業明治16年以来5代135年 日本人初のテーラーによる神戸元町の老舗洋服店

さくらの事情@KOBE

桜のシーズン真っ只中で「お花見事情@KOBE」と題して、主だった名所をレポートしようかと思っていたが、どうも今年はあることが気になったので、そちらを記事にしたい。

近所の宇治川沿いの桜の木が、ここ半年の間にけっこう伐採されているのだ。幹から伐採されているものもあれば、枝を切り落とされている木も多い。

2本の大きな桜の木がバッサリと

よく見たら剪定されてる


神戸新聞NEXTの記事によると「神戸の街路樹の桜ピンチ 3割に枯死や腐敗で倒木恐れ、伐採し植え替えへ 温暖な気候、都市の環境も影響」との見出しがあり、どうやら神戸市の桜の木は3割ぐらいが伐採と植え替えの必要があるのだろう。

ちょっと気になったので、桜の木の病気について調べてみた。「てんぐ巣病」(てんぐすびょう)というのが多いようだ。症状としては、枝の一部がコブ状に膨らみ、そこからほうき状に細かい枝が密集して生える。その枝には花が咲かず、小さな葉だけが付く。確かに以前にそのような桜の木を見たような気がする。原因はタフリナ菌というカビの一種らしい。対策としてはコブができた枝を根元から剪定し、切り口に殺菌剤を塗るそうだ。

宇治川の桜を見て回ったが、そういった箇所は見当たらなかった。剪定された枝はたくさん見かけたので、ひょっとしたら対策済みなのかもしれない。

近づいてみるといくつかの枝が処理されている

桜の木に番号が付けられているのはきちんと管理されているということだろう。

青いテープが巻いてあるのは、今回は検査済みということか

新しい木が植えられているところもある。新しい桜は、ソメイヨシノではなく「ジンダイアケボノ」という病気に強い品種らしい。

早く大きくなってほしい

病気で枯れて倒木の危険があるからということで伐採されているらしいが、宇治川には別の倒木の危険もありそうだ。桜の木が川に向かって枝をのばし、バランスの悪い状況になっている箇所がいくつも見られる。

とってもりっぱな木なのだが、、、

ちょっとバランスが限界とちゃうか

柵が倒れそうや

ここまできたら、自然の驚異を感じる・・・

 

倒木の危険性があるのは、宇治川の桜だけではないようで、灘区の「桜のトンネル」と言われているところも伐採の計画があると聞いてる。昨夜のニュース番組では、全国的にソメイヨシノの倒木の問題が取り上げられていた。全国区の問題だったんだ。伐採されても、また新たに植樹された木が成長してくれたらよい。

宇治川の桜も倒木の危険性の対応さえ、しっかりできれば、なかなか見応えのある景色なのだ。

 

役目を終えて伐採された木に代わって、新しい木が育って、また神戸の春を桜色に染めてくれたらいい。

 

いいね やっぱり神戸が好き

もっと KOBE ずっと KOBE

ではまた次回をお楽しみに ♣︎