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長田区の村へタイムスリップ!(その1)長田村と長田神社

「長田」という地名の由来は、弥生時代から農耕社会が発展していて神戸地域で最も広く長い田の広がる地域、という所からこの地名が起こったようです。

この地名は、日本書紀にも記されているので奈良時代以前にさかのぼる地名ということになります。(参照資料★P5)

 

安土桃山時代にあったという、長田区の村は七つ!

長田村・池田村・西代村・駒ヶ林村・東尻池村・西尻池村・野田村

 

地図にするとおおまかに、こんな感じに区割りされていたようです。

フリーハンドで境界線を引いたので、キレイに引けず申し訳ありません。

 

 

そして、それぞれの村には

神社があり人々が大切にお祀りをしていました。

 

長田村:長田神社(長田区長田町3丁目1−1 )

池田村:池田祇園神社(長田区池田寺町7)

    天照大御神(長田区池田宮町35)

この二つの神社は、同じ由緒書きです

 

東尻池村:射場八幡神社(長田区東尻池町1 - 14 - 4)

かつては東尻家村と西尻池村は、併せて「真野」と呼ばれていたので真野地域で射場八幡神社を祀っていたものと思われます。

 

~ 以上の神社は、今「長田神社」が管理しています。~

 

西台村:高取神社(長田区高取山町103−7)

    五位の池神社(長田区五位ノ池町4丁目7−6)

* この二つの神社は独立して存在しています。

 

駒ヶ林村:駒林神社(長田区駒ケ林町3 - 7 - 3)

野田村:幸殿社(長田区野田町7-7-1)

駒林神社が管理しています。

 

本当に昔の日本人は、信心深かったようですね。

 

 

長田神社

この神社の歴史は、古い!

創建が、西暦201年! なんと、日本書紀に出ている。

その中で、神武皇后が「長田の国に我を祀れ」という信託を受けて創建したと、伝えられています。

 

長田は弥生時代から発展してきた農耕社会で、人々が豊作を祈り信仰の対象としたのが長田神社でした。(参照資料★P6)

 

社格は、官幣中社

 

因みに全国で官幣中社は23件しかなく、そのうちの3件が神戸市内にあります。

 

生田神社中央区)・長田神社(長田区)・海神社垂水区

 

一番多いのは、当たり前ですが古都・京都市の5件でした。

神戸市は、2番目に多いのです。スゴイですね!

昔は神社を11段階にランキングしていた!国家神道の名残・社格制度を紹介 | 歴史・文化 - Japaaan - ページ 2

より

これも、大輪田泊という港が古くからあったおかげです。

 関連ブログ 1)・2)・3)・4)

 

今回は山陽電鉄で「高速長田駅」から向かいました。

地下の駅から地上に顔を出したところの交差点に

「式内 長田神社」の石柱が立っています。

この「式内」とは、10世紀初頭にまとめられた「延喜式」の「神名帳」に記載された神社のことで、朝廷の管理下にある官社として認められていました。(by AI)

長田神社は、そういう神社だったのですね。

官幣中社」という神社格は、明治になってから与えられた社格ですが「式内」を見ると、古さというか有難さが伝わってきました。

 

神社の中はこんな感じになっています。

 

①西鳥居          ②手水          ③本殿

ここの手水がとてもユニークで、四方八方から使う事が出来るようになっています。

人が近づくと水が流れるセンサーが付けられていました。ハイテク!(笑)

 

そして見取り図 の「高取山遥拝所」があります。

私の育った家が、高取山の登山口にありました。

そしてその高取山の山頂には「高取神社」があり、これまた長田神社と同じほどの歴史のある神社です。江戸時代の終わりころには、西代村の鎮守神氏神様として敬われており、明治以降境内の整備が整うと崇敬者は激増したという神社です。

高取山の頂上にあり、子どもの頃に何度か登ったことはあるのですが、今はとても行く自信が無いので、この遥拝所に手を合わせ「無事にここまで過ごせている感謝」の気持ちを伝えました。

高取神社            遥拝所         神撫山遥拝所

*高取神社の写真は 高取神社|兵庫県神社庁 神社検索  お借りしました

遥拝所板に「神撫山」とありますが、古く昔は高取山を神撫山(かんなでやま)呼んでいました。神様が撫でる山…なんて、とても有難すぎる名前だったのですね。

そんなこと何も知らずに。大きくなりました💦

 

境内には色々な末社が祀られています。

すべて登録有形文化財です

そして、長田神社といえば…

大楠!(神戸市指定の天然記念物)

東の鳥居を入ったところにそびえ立っています

 

長田は

「長田の国」(弥生時代

  ⇓

「長田郷」(平安時代前期★P15)

  ⇓

「長田村」(安土桃山時代★P30 )と名前が変遷しています。

 

元禄3年(1690年)八部郡内村々書出帳に

中ノ庄長田村が、戸数141軒・人口618人(男293・女325)

という記録が残っています。★P35

単純に割り算をしてみたら、一軒当たり4人家族となりました。

現代と変わらない家族構成だったのかな?と思うと、親近感がわいてきます。

 

そして、長田村の村人たちが氏子となって、長田神社の重要な神事を支えてきました。

約650年前から神社で行われている「追儺式(ついなしき)」は、神の代理を務める鬼役などのすべてが長田村の氏子に限られています。

鬼役を務める七人は、基本長男として生まれた人だけが務められます。

画像は 長田神社古式追儺式 | 長田神社 よりお借りしました。

追儺式の神事の内容も、併せてご覧ください。

神社と氏人たちによって貴重な神事が、室町時代から今に至るまで七人の鬼が厄を祓い続けているという、神々と人々との結びつきのとても強い祭りです。1)

 

 

自分が生まれ育った所ということもあり、熱くなりすぎ長くなって仕舞いました。

続きは次回へ持ち越します。

次回は、駒ヶ林村と駒林神社です。

 

参照資料

★ https://www.city.kobe.lg.jp/documents/21294/nagata-history.pdf

1)https://okumiya-jinja.com/interview/interview009/

 

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ではまた次回をお楽しみに♥