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平安末期の神戸☆平清盛により繫栄する❕

昨年の平安時代シリーズで、いったんピリオドを打ったのですが、この人物の話をしないことには先へ時代を進めることが出来ないことに気付き、その話をして平安時代を締めくくりたいと思います。

 

平安末期に台頭してきた「平清盛」(1118年~1181年)

貴族政治から武家政治へと変わるターニングポイントに関わった人です。

 

武家が力を見せるきっかけは

1156年、後白河天皇崇徳上皇皇位継承問題が原因の「保元の乱」が勃発し、平清盛源義朝と組んで後白河天皇方につき、数時間の戦いで勝ったこと!

 

さらに武家の力を大きくしたのが

共に戦ったはずの源義朝が待遇に不満を持ち挙兵して、後白河法皇の参謀を自害させ、さらに後白河法皇を幽閉してしまったので、平清盛法皇を救出!

源義朝を討ってしまうという「平治の乱」(1159年)でした。

 

平治の乱の功績で、1167年平清盛武家として初の太政大臣になります

ここが武家政治へのターニングポイント!

 

そして彼は、神戸の地に大きな影響力をもって、様々な開発を試みます。

 

★ まず一番に挙げられるのが

 

大輪田泊奈良時代からの港)後の兵庫津!

   (今も残る大輪田の泊の跡)

 

を、日宋貿易のために大規模な修築工事を行い、大輪田の泊に経ヶ島という人工の島を作り国際貿易港を作ったこと!

因みに、平家物語にはその広さが「一里三六町」と書かれており、今でいうなら37ヘクタール!(東京ディズニーランドの約0,73個分)にもなるそうです。

 

この埋め立てに用いられたのが、今の会下山の南にあった塩槌山(しおづちやま)を切り崩した土砂だったそうで、今そのあたりに山があったとは想像も出来ない平地になっています。

赤で囲んだところが、今の会下山                        黄色で囲んだところが、多分塩槌山があったあたり…?

そこから、大輪田の泊(右下の赤囲い)まで土砂を運んだ!            今みたいに、ショベルカーやブルドーザー・ダンプ・ベルトコンベアーなど、建設機器が何もない時代に人力だけの工事を実際に地図の上で確認してみると、その難工事ぶりが分かります。

 

清盛は、この日宋貿易

日本からは、刀剣・水銀・硫黄・砂金を輸出                   宋からは、香料・薬・本・陶磁器・銅銭を輸入して、財政基盤をつくり宋銭を流通させ通貨経済の基礎を築き上げるという偉業を成し遂げています。

それまでは通貨の代わりに、米・布・地金(金銀銅)が通貨の代わりで、庶民はほぼ物々交換に近い有様でした。物の価値が安定するので、経済も賑わったことでしょう。

 

 

★ 二つ目は、1180年に都を福原に移したこと!

 

都の貴族たちは、都=京都 を覆され大いに嘆いたそうです。           今の神戸市兵庫区平野周辺から南に広がる地域一帯には、都から移り住んだ平家一族や貴族の屋敷が立ち並んでいたようで、その一帯からは雪御所遺跡・祇園遺跡・楠、荒田町遺跡が見つかっています。

https://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/center/archive/gensetsu/gion_18_2013.pdfより

 

そして今尚、当時の名称が「雪見御所町」という町名で残っているのには、どこかロマンを感じます。

どの辺りかというと、赤で囲った場所です。

 

そして神戸大学付属病院の駐車場の下には、清盛が福原に遷都した当時を物語る「楠・荒田町遺跡」が眠っています。

 

駐車場出入口通路横に、遺跡が発掘されたことを記した看板があります。

拡大してみると・・・

だそうです。(横着しました💦)

 

流石、神戸大学ですね。

兵庫県・神戸市それぞれの教育委員会とシッカリと調査されあと、病院の駐車場下の遺跡は砂で埋め戻したうえで、駐車場を建てたようです。

 

だが、しかし・残念なことに…                         この福原京は、わずか半年で消えてしまいます。

年代を確認してみると、清盛が福原遷都したのは1180年! 清盛の没年が1181年!  なんということでしょう。。。清盛の寿命が来てしまったのです。

 

そして同時期に、かの有名な源平合戦(1180~1185)が起こり           鳴くよ鶯平安京(794年)は、イイ箱作ろう鎌倉幕府(1185年)までの391年間続いた平安時代は、平家没落と共に終了しました。

 

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす

奢れる人もひさしからず ただ春の夜の夢のごとし 

(暗記したなぁ~)

 

 

平安時代晩年の神戸は、日宋貿易福原京で大いに賑わったようです。

さらに源平合戦でも、一の谷の合戦では                     神戸市須磨区一の谷 or 神戸市兵庫区鵯越(諸説あり)から、源義経が馬に乗って急斜面下に陣取っていた平家を討ち果たした、有名な「逆落とし」の場所があります。

 

また、一の谷の合戦で源氏側の熊谷直実(くまがいなおざね)が、我が息子と同年代の若武者 平敦盛平清盛の甥)を心の葛藤の上、討ち果たしその首と、彼の愛用していた青葉の笛を近くの須磨寺に納め、須磨寺は「敦盛の首塚」として祀り、「青葉の笛」は宝物館で大事に展示されています。

敦盛の首塚・宝物館(須磨寺HP https://www.sumadera.or.jp/keidai/index.html
青葉の笛(江戸東京博物館HP https://museumcollection.tokyo/works/6487779/ )   
より、画像引用致しました。

 

およそ400年続いた平安時代の神戸は、                     源氏物語の登場シーンに使われたり・平安貴族のリゾート&観光の癒しの地であったり・日宋貿易で栄えたり・源平合戦の名シーンが伝えられたりと、ロマンあふれる神戸だったことが分かります。

 

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

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ではまた次回をお楽しみに ♥

 

参照文献

平清盛はどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】 | 歴史上の人物.com

清盛の夢と神戸の海に沈んだ少年 | 兵庫県立歴史博物館:兵庫県教育委員会

『神戸・兵庫の郷土史』Web研究館

gion_18_2013.pdf

 

 

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