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神戸の街道物語り ☆ 西国街道に残る菅原道真の足跡

今回は神戸市内にある、西国街道(旧山陽道)を通って

大宰府へと左遷された、菅原道真の足跡を辿ってみることにしました。

 

西暦901年1月25日に、醍醐天皇から左遷の勅使を受けた菅原道真公は

2月1日、長岡京あたりから淀川を下り、川船と海舟を駆使して幾度かの

風除け・波除けで陸に降り立った地が

大輪田泊おおわだのとまり(神戸市兵庫区本町1丁目1-1)

現在の大輪田泊跡は、整備されモニュメントが設置されていました

平安時代大輪田泊は、山が迫り土地が少なくさらに、明石海峡の激しい潮流で

船の難所といわれていました。

なので菅原道真公は大宰府を目指して、ちょくちょく陸に避難したようです。

 

西国街道

西国街道(黄色線)

今の国道2号線が、ほぼ西国街道と同じルートだとが分かりますね

 

当時の道真公は59歳!

しかも左遷命令は、西国街道にある駅家にも伝えられており

乗り継ぎの馬や食料・宿泊もさせてはならないという

非常に厳しい旅になりました。

 

神戸市内を走る西国街道には

道真公の痕跡が数多く残されています。

 

その一例が、町名です。

   長田区梅ケ香町           須磨区飛松町・板宿町・板宿八幡宮

長田区梅ケ香町(うめがかちょう)は、

前に兵庫運河があり、道真公が立ち寄られたという

言い伝えから町名になったようです。

 

須磨区飛松町は

道真公が京都で大切にしていた、桜が枯れてしまったこと

また、大切にしていた梅はその香りを届けてくれているというのに

松だけは知らんぷりをしていると、その気持ちを

 

梅は飛び 桜は枯るる 世の中に

      何とて松のつれなかるらむ

 

と詩を詠んだら

一夜にしてこの地に松が飛んできたそうです。空飛ぶ松! (≧▽≦)

 

実際、この「飛松」は実在しており高さ30mの立派な松で

西摂大観の中の「摂陽群談」(1701年)などに、紹介されているそうです。

 

残念なことに、大正時代に何度も落雷に遭い枯死してしまいました。

その切り株が、板宿八幡神社の天神社で奉られており

大宰府の梅・板宿の飛松として慕われています。

板宿の飛松の切り株(板宿八幡神社のHPよりお借りしました)

 

さて、この板宿という町名も

道真公がこの地で泊まる時、村人たちが板で囲いを作って

急ごしらえの宿にした所から付いた名前だそうです。

 

今でいう仮設テントみたいなものですね

本当に冷遇の旅で、気の毒すぎます。

 

神戸市内には

菅原道真公を祀った多くの天神社や天神神社があるのは

実際に、道真公が通ったからでしょうか。

 

北野天満神社(北野町)・ 天満天神社(荒田町)・ 五毛天神社(国玉通)

柳原天神社(東柳原町)・ 綱敷天満神社(御影町)・ 綱敷天満宮須磨区

有馬天神社(有馬町)・ 飛松天神社(板宿町)・ 今寺天神社(西区)

 

下線の天神さんは、西国街道に近く大輪田泊で船を降りてから

道真公が立ち寄る事が出来たであろう天神さんですね

 

西国街道から、かけ離れた所にもありますね。

これは多分、道真公が立ち寄られたのでなく

彼が没した後、これだけ冷遇された道真公の祟りで

都を中心として、不吉なことが頻繁に起こったのを恐れ

道真公の魂を鎮める目的で建てられたのもあるのでしょうね

 

神戸市内を走る西国街道にある

菅原道真公のエピソードだけでも、どれだけ辛い旅だったか偲ばれます

 

須磨区にある「菅の井」も西国街道沿いにあり

道真公が嵐を避けるため須磨に立ち寄った折

この地の前田氏が、屋敷の井戸水を振舞ったところ

道真公はとても喜ばれたそうで

 

以後、この井戸を「菅の井」と呼ばれるようになり

また、「菅公お手植えの松」が史跡として残されています。

 

菅の井

菅公手植えの松

西国街道道標

基本、道真公は船旅で大宰府を目指したのですが

何度も嵐や難所に遭遇しては、陸路の西国街道を歩いたようです

旅の日数は55日、掛かったそうです。

 

通常の陸路旅なら、2週間で到着できる旅程だそうですが

如何せん、宿はなく食事も提供されず、馬にも乗れないのでは

船旅しかないですよね。

 

政敵に嵌められての、仕組まれた左遷!

道真公の死後、政敵が次々に病死・火災に見舞われては

自分たちがやった、悪どい仕打ちに対する道真公の怒り・呪い・祟りと

恐れても、自業自得だわ。

 

 

それにしても

西国街道沿いの村人たちは、板で宿を作ってあげたり

井戸水でもてなして上げたりと、優しい人が多かったのですね。

 

今から、1123年前の

神戸の地の西国街道を旅する、菅原道真に思いを馳せてみました。

 

 

追記:

菅原道真の孫が、源氏物語で有名な紫式部の父・藤原為時だそうです。

やはり、天才・学問の神様の血筋は受け継がれていたのですね。

 

 

☆参照文献

itayadohatiman.jimdo.com

 

 

☆関連ブログ

学問の神さまには見どころがいっぱいー北野天満神社 - もっと KOBE ずっと KOBE (hatenablog.com)

 

はじまりは兵庫津(ひょうごのつ)から - もっと KOBE ずっと KOBE (hatenablog.com)

 

難所 和田岬をバイパスせよ - もっと KOBE ずっと KOBE (hatenablog.com)

 

神戸で、光源氏ゆかりの地を訪ねて - もっと KOBE ずっと KOBE (hatenablog.com)

 

 

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

 

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ではまた次回をお楽しみに ♥