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御影散策 〜昔は松の景勝地、今は住みやすい住宅地〜

□”御影”の由来

阪神御影駅近くにある”沢乃井”と呼ばれている泉に神功皇后が姿(御影)を映したことにちなむと伝承されています。そのほかにもいくつかの説があるようです。沢乃井は阪神御影駅の近くの高架下にあります。霊泉といわれ内は薄暗く神秘的な雰囲気を感じます。

清水がこんこんと湧き出す沢乃井 

□御影の松

昔は阪神間の海岸沿いには白砂青松の風景が続いていたようで、御影も松の景勝地だったようです。

  世にあらばまた帰り来む 津の国の御影の松よ 面がはりすな(藤原基俊)

と謳われ、松が美しかったようです。43号線近くの西方寺にはこの古歌を刻んだ古い歌碑があります。この歌に因み、松葉を3本組合せてた図柄は旧御影町の町章になり、今も小学校、中学校、高等学校の学章にベースになっています。

西方寺の御影の松       西国街道の松      旧御影町の町章

御影石

御影石は全国的に知られています。住吉川の上流で良質の花崗岩が採石されました。五助山、重箱山、荒神山(現在の住吉台)などに採石場が広がっていたようです。ここで採れた石材は品質が高く”本御影石”と言われ特別扱いされていました。江戸時代の半ば享保時代に採掘量が最盛期を迎えたようですが、1956年に六甲山が国立公園になり、採掘ができなくなり、本御影石の価値は急騰したようです。

住吉川河口は大きな扇状地になっているため港が出来なかったため、隣の御影浜が利用されて、そこから全国に海運されたので、御影石と呼ばれるようになったようです。また、石屋川流域には石職人が多く集まったとされています。御影石町には1910年ごろまでは数十軒の石屋が残っていたそうです。

住吉川上流の石切場から石切道に沿って石材が運ばれた
昔の浜の防波堤           その先の海を通って御影石が運ばれた

御影石のルーツをたどる 神戸・石屋川との関係とは | M's KOBE - 神戸新聞NEXT

 

御影郷

灘五郷は西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷今津郷の5つの地域からなる日本を代表する酒どころです。御影郷は白鶴、菊正宗、剣菱、福寿、など御影・住吉の酒蔵が含まれます。御影石が最盛期を迎えた享保時代以降(1700年代以降)に灘五郷は大きく発展します。その要因は良質の水(宮水)、住吉川の急流を利用した水車により精米量が飛躍的に増大して量産化でき、船積みの便に恵まれたため樽廻船により江戸へ大量輸送が出来たことがあげられます。江戸までの輸送の間に杉樽で熟成され酒質も向上して江戸での人気は凄まじく、需要の8割を供給したと言われています。

御影郷 出典:パ酒ポート灘五郷2018-2019

羽生結弦が4回訪れた弓弦羽神社(ゆずるはじんじゃ)

羽生結弦は2010年、11年、15年、17年4回参拝しています。1回目はまだ15歳でシニアの試合にデビューしたての頃だったようです。2回目は2011年の夏で、この年の3月11日に東日本大震災を本人が体験して神社の絵馬に「世界のトップになれますように… そして、東北の光となれるように!」と書かれたのが後に見つかったようです。その後、大活躍して14年ソチ五輪で金メダル、18年の平昌五輪では五輪2連覇を達成して願いが叶いました。たくさんの絵馬が奉納されていますが、当時はその6-7割が羽生さんに対する必勝祈願のものでした。

弓弦羽神社

□昭和の匂いを残しつつ新しく生まれ変わって行く御影市場 

大正9年1920年3月に御影中西市場としてスタートし、2020年には100周年を迎えた歴史ある商店街です。昭和10年に現在の場所に移転して「阪神御影市場」と改めて30余店舗から構成されました。今は旨水館という名前で、昔からの老舗と若い人による新しい店が混在して楽しい商店街に生まれ変わろうとしています。

 

新鮮で種類が豊富な花屋さん     昔からの手作り天ぷら屋さん
若い人が経営している八百屋さん    店舗がリニューアルして淡路バーガに
早朝から鶏をさばき新鮮が売り物の鶏肉屋さん      昔からの和菓子屋さん
長田のゴム製品や素材を扱うおしゃれなお店
ランチが評判のレストラン      昭和のままのたこ焼き屋さん

 

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ではまた次回をお楽しみに♠️