もっと KOBE ずっと KOBE

神戸の人、自然、景観、ファッション、食べ物、文化、便利さ、生活、全部好き!

こうべ 笑笑 こばなし 2

子どものころ何も思ってなかったことが、大人になって「へえぇ~」って思うひとくち話を紹介します。
少しかわった⁉ 神戸の姿でわらわら(笑笑)してね。

おそろいのガラスコップ

むかしの小学生は、友だちに家に遊びにいくと勝手に水を飲みます。(今もかな?)
そのとき「うちのコップとおんなじやん!」と何軒かのお家で思うのです。
おそろいなのは、なんかうれしくて仲の良さが増したみたいな気になっていました。

でもある日、そのコップの出所がわかったのです。
なんとそれは食器店はなく、ちょっとエエお菓子を売ってるモロゾフ

モロゾフは、1931年8月にトアロードでロシア人のフョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ氏が創業。チョコレートの製造販売からスタートしました。
そういえばモロゾフさんっていう家族が、プールやハト小屋があるヒマラヤ杉が何本も植わっている洋館に住んでました。
お菓子店と喫茶店が併設された、三宮にあったコスモポリタンって店でそのお家の奥さんがレジしてたけど、なんか関係あるのかも。。。
※奥さんのヘアスタイルがユニークで、女子高生の間で「ソフトクリームおばさん」って呼んでました。

コップに話を戻すと、モロゾフでコップが売ってたんじゃなくて、売っていたのはプリン!
そう コップとして使っていたのは、プリンの容器だったのです。
今みたいに資源回収がないから、コップとして活用していたんだ。

ええとこ ええとこ 「しゅーうらっかん」

祖母や母がお化粧をして出かけるときに「どこ行くん?」と聞くと、
「ええとこ ええとこ しゅーうらっかん!」と返ってくる。
夜になると、出かけた先が親戚の家や会合だとお土産で判明する。
連れて行ってもらえないときの外出は、いつも「ええとこ ええとこ しゅーうらっかん!」というのが、いつの間にかうちの家のならいになっていました。

あるとき「どこ行くん?」って友だちに聞かれたときに、「ええとこ ええとこ しゅーうらっかん」って言うと、「もったいぶらんと!ほんまはどこなん?」って詰め寄られたことあり、それ以来共通の表現だと思っていました。

そもそも「しゅーうらっかん」って何?
桃源郷ユートピアみたいなもんやと思っていたら、ほんまに存在する施設のこと。

聚楽館」と書き正しくは「しゅうらくかん」読みます。
兵庫区の新開地にあった劇場で、1913年(大正2)に開館して西の帝劇と呼ばれるぐらいの有名なとこだったそうです。

聚楽館/ヒョーゴアーカイブズより

鉄筋三階建て・地下一階の洋風劇場で収容人数は1,200人、冷暖房完備は当時はそりゃスゴイもんやったっんでしょうね。
神戸モダニズムを代表する近代劇場でしたが、昭和になって映画館とスケート場の複合施設になり、1978年(昭和53年)に閉館し65年の歴史を幕を閉じました。

今想像しても群を抜いて立派な劇場だったことがわかり、「ええとこ」やったことに納得しました。

 

どこでもJAZZ

だいぶん前のことですが、仕事で神戸に来ていた知人から
「神戸って、居酒屋でもどこでもJAZZが流れていますね。」と言われた。
ええッ!そうなの?
意識して聞いてみると、確かにお好み焼き屋・ヘアサロン・生花店・歯医者でもJAZZが
BGMとして流れていましたが、自然で違和感を感じません。


特別な音楽という意識が全くなかったのですが、学生時代に音楽は何が好きかと聞かれ、自然に「ジャズ」と答えると難しい音楽が好きだんだね、と言われたことが何回かあったなぁ。
音楽をしている人にはJAZZは難しいジャンルなんやと思ったことがありました。

2022年に出ていた記事に
“1923(大正12)年4月、バイオリン奏者で「日本のジャズの父」といわれる井田一郎が、神戸で結成し、市内のホテルなどで演奏を披露した。 
ここから神戸が日本のジャズ発祥の地とされる。 江戸末期に開港し、外国文化がいち早く流入した街では、19年に旧神戸オリエンタルホテルでフィリピン人楽団がジャズを奏でるなど、土壌があった。”(神戸新聞NEXTからの引用)

神戸のJAZZにはそんな歴史があったとは、JAZZはだし味でもトマトソースでも、どんな場面でもなんにでも合うあう素敵な音楽。

以前 マスターのお話を紹介した、JAZZ喫茶の木馬はむかしは大きな音量でJAZZがかかっていて、お客さんはみんな静かに音楽を聴いていたなぁ。

poko2023.hatenablog.com

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

もっとKOBE ずっとKOBE

ではまた次回をお楽しみに♦