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北野さんぽ 新緑に包まれる萌黄の館

色づき始めたアジサイの花をながめながらハンター坂を上って行くと、異人館「萌黄(もえぎ)の館」に着きます。
館の前に広がる北野町中公園は、坂を上ってきた人にはありがたいベンチがあり、一息つくのにもちょうどいい場所です。

北野町中公園・ベンチに座るジャズマンのブロンズ像は映えスポット

旧外国人居留地から移築された、英国商館「ジャーデン・マセソン商会」の門柱


すぐ東の「風見鶏の館」同様に、北野町を代表する美しい萌黄の館は、
25歳の若さで来日したハンター・シャープ氏が、明治36年(1903)に建てた私邸です。
設計は、イギリス人建築家のA・N・ハンセル氏。


ハンター・シャープ氏がお勤めされてたアメリカ領事館は居留地の西の端メリケンパークのすぐ近くにありました。現在は神戸メリケンビルが当時の面影を残して建っています。

銘板に1868年に領事館が開かれたと記されています。建物を行くと左方向にメリケンパーク

北野町の萌黄の館から歩くと30分はかかります、帰りは上り坂なのでもっと時間がかかったことでしょう。
シャープ・ハンター氏が通勤には通ったのは、トアロード?ハンター坂?
想像するだけで楽しくなります。

氏は、明治44年(1911)に日本を去った後も、モスクワ、リオン、エジンバラの領事を勤め、大正12年(1923)になくなるまで生涯を外交官として活躍されました。

 

萌黄の館の特徴は、

・木造2階建てで下見板張り
・2つの異なった形のベイ・ウィンドー(張り出し窓)
アラベスク風模様が施された階段
・重厚なマントルピース
・2階のベランダからの神戸市街地が見渡せる素晴らしい眺望

べイ・ウィンドーと開放型ベランダ

暖炉のタイルは、ミントン社製

陽光の差し込むベランダから、神戸の街を望む

この館にシャープ氏が住んだのは4年間ほどで、そのあとは、ドイツ人、日本人、アメリカ人、ドイツ人と何度も所有者が変わっていて、昭和19(1944)年に小林家(元神戸電鉄社長の小林秀雄氏)に所有権が渡りました。
以後 昭和53年(1978)まで、小林さんはここに暮らされていました。

私がこの館の好きなところは、照明器具やスイッチ、窓枠の模様など日本の住宅では見られない意匠の数々です。

館の古い写真にも写っている 写真と同じ照明が鏡にも写っている

部屋のそこかしこにあるボッチリ、左 照明スイッチ 右 呼び鈴

窓辺のくつろぎスペースは収納にもなっている。 右は窓の錠。

部屋のドア上部のレリーフ・廻り縁下に描かれたテンペラ

ハニカム模様の窓枠は外から見てもハニカム模様

2階のベランダに立つと館が神戸港を望むように建っていることがわかります。
これは萌黄の館だけでなく、北野町の異人館に共通されたことですが自国の船が入ってくることがわかることや港のずっとずっと先にある郷里を恋しく思って眺めるためだと聞いたことがあります。

この館は小林家がオーナーだったころ、「白い異人館」と呼ばれていました。
館全体が白く塗られ、柱や鎧戸などのポイントに青いペンキが塗られていて、
今とは違ったペンションのような可愛い色合いでしたが1987年から1989年にかけて、半解体修理が行われた際に建築当初の萌黄色へ変更されました。

北野の緑に包まれるように立つその姿がいつまでも変わらないでほしいと思います。

絵の題材にもなる北側から見た館 西側の急な坂道

 

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ではまた次回をお楽しみに♦

 

神戸市中央区北野町3-10-11
TEL078-855-5221
9:30~18:00(入館は17:45まで)
https://www.kobeijinkan.com/ijinkan_list/moegi

 

番外編
塗り重ねられたペンキやその剥がれ、靴で凸凹になった床
私はこんなところも好きです。