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江戸時代の神戸の産業・後編(素麺製造・酒造り・魚肥作り)

前編の 江戸時代の神戸の産業・前編(農業・石の切り出し・水車業・菜種油製造) - もっと KOBE ずっと KOBE  の後編です。

 

今回は、「素麺製造・酒造り・魚肥作り」の3つを紹介します。

 

素麺製造は案外④⑤の市街地・臨港地域で作られていたようです。

というのも、神戸市灘区青木1丁目2ー1に「兵庫県に於ける 素麺発祥の地」という碑が建っているのです!

素麺も、水車を使って小麦を挽いて作っていました。

魚崎町誌には、江戸後期の1790年ごろ東灘で素麺づくりが始まったとあり、「灘目そうめん」とよばれ三輪素麺と並ぶ一大生産地だったようです。

引用・出典元

兵庫のそうめん発祥地は神戸・東灘 三輪素麺と並ぶ一大生産地の歴史も | M's KOBE - 神戸新聞NEXT 

 

灘目とは、武庫川河口から生田川近くまでの約24kmの地域を指す呼び名です。

この灘目素麺は、江戸後期の1790年ごろから大正初期辺りまで作られていたようです。

そして、1867年に開催されたパリ万博・1904年に開催されたセントルイス万博で、それぞれ優秀賞に輝いた一品だったそうです!

その後も、今に至るまで細々と製造し続けられていたという「神戸素麺」

2012年、神戸セレクション(https://www.kobe-selection.jp/about/)に認定されていました。「神戸素麺 灘乃糸」

唯一神戸素麺として残っている店に、問い合わせてみると残念なことに2024年11月で製造を終了していました。

ここに、1790年ごろからおよそ234年にわたって作り続けられた「神戸素麺」の終焉を知ることとなりました。

もっと早く神戸素麺のことを知っていれば、味を楽しむ事が出来たのにとても残念で仕方がありません。

 

 

酒造りは、江戸中期に入ってから盛んに作られるようになります。

地図で見ると④⑤で作られていました。

 

東は武庫川河口より西は旧生田川界隈の約24kmに渡って「灘目」と呼ばれ、酒の産地として有名になりました。上方酒造業者の株仲間が結成された明和9年(1772年)に、灘目は上灘・下灘として二郷となり、そこに今津郷を加えた三郷が、後の灘五郷の基礎となります。

さらに、文政11年(1828年)上灘は東組・中組・西組と分かれて、東組の魚崎・中組の御影・西組の新在家、大石が中心となりました。

 

画像:1.室町~江戸時代 | 灘五郷:歴史 | 灘五郷酒造組合  より

 

そして、町人文化が華やかだった元禄時代(1688~1704)ごろから、江戸でのお酒の消費が爆上がり!江戸後期には、江戸っ子が飲む酒の約8割が灘五郷の酒だったとか・・・

大河ドラマの「べらぼう」で出てくる酒も、灘五郷の酒だと思うと見方が変わってきます (≧▽≦)

 

後に(1730年)酒運搬専用の「樽廻船」も登場し下り酒として江戸へと大量に運ばれるようになりました。

 

(画像:甲南漬資料館より)

もっと大きな酒樽で運ばれたでしょうね。

 

大関樽廻船・万両船の模型(画像提供:大関株式会社)

出典・引用:1.室町~江戸時代 | 灘五郷:歴史 | 灘五郷酒造組合 より

 

灘の酒が繁栄を続けられた理由は

1.大量の樽酒を、海路で江戸を中心に全国に運べた

2.冬の「六甲おろし」が蒸米を冷ます

3.大量の米を調達できる港があり、大正時代末には上質の酒米山田錦」が誕生

4・ミネラル豊富な、六甲山系の水が酒造りに適していた

海・風・米・水、好条件がすべて備わっていたのが神戸の灘!

そりゃ、美味しいはずだわ (;''∀'')

*1.2

 

最後は、魚肥作り

江戸時代には、イワシやニシンという魚が肥料として使われていました。

イワシは干鰯(ほしか)・ニシンは鯡粕(にしんかす)に加工されて、米や綿の栽培に欠かせない肥料となりました。

特に干鰯は、綿花との相性がよく栽培には欠かせない肥料となっていました。

江戸時代は幕府が、百姓の着物は麻か木綿と決めたことから全国的に綿花栽培が盛んになりました。そのため肥料となる干鰯も、大量に必要となって需要も増え盛大に作られるようになりました。

当時兵庫の津は魚の町としても有名で、沢山獲れた鰯や鯡などで干鰯や鯡粕を作っていました。

   

引用:https://hanaumikaidou.com/archives/9487 館山市立博物館所蔵

神戸の写真が見つからなくて、イメージを伝えたく九十九里浜で干鰯作りの写真を掲載しました。

 

その兵庫の津には北風家という諸荷物問屋があり「兵庫の津に北風あり」といわれるほど有名な店がありました。当時の当主・荘右衛門貞幹(1736~1802)は、高田屋嘉兵衛の後援をしてこの干鰯を大量に扱って、神戸の地に繁栄をもたらしたと伝えられています。

 

素朴な疑問として、干鰯といりこ(煮干し)の違いは?と調べてみると、干鰯は獲った鰯をそのまま乾燥させるだけのもので、いりこ(煮干し)は水揚げした鰯を茹でてから乾燥させたものでした。

干鰯=いりこ? 肥料を出汁に使っていた?と、一瞬思ったのが違っていて安心しました(笑)

 

こうして江戸時代の神戸は、海が近く山も近い、地の利を生かして色々な産業が発展していったのですね。

先人に感謝しながら、今の神戸を愛していきたいです。

 

 

*1.江戸時代の神戸 ☆ 酒・物流・兵庫の津・参勤交代・本陣 - もっと KOBE ずっと KOBE

*2.神戸と言えば「灘五郷」! - もっと KOBE ずっと KOBE

 

 

いいね。やっぱり神戸が好き

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ではまた、次回をお楽しみに♥