JR元町駅から鯉川筋に沿って山の方(北)に向かってずっと歩いていくと大きな東西の道路に出てきます。信号をコープに向かって渡りさらに北へ向かって坂道を歩いていくと今日のお話の舞台となる「神戸移住センター」の石垣が見えてきます。



「神戸移住センター」は昭和3年(1928)に「国立移民収容所」として設立されました。そんな昔から神戸で移民を受け入れていたのか?と思われたでしょ。
海外からの移民を受け入れた施設ではなく、海外への移民を送り出すための施設なのです。
施設の名称は「国立移民収容所」→「神戸移住教養所」→「神戸移住斡旋所」→「神戸移住センター」と変わり、移住を目的とした施設の役目は昭和46年(1971)に終了しました。
現在は平成21年(2009)に移住の歴史を残すこととブラジルを中心とする在住外国人の支援や芸術交流の場として整備され、「神戸市立海外移住と文化の交流センター」という名称で利用されています。
※この建物を異なる用途で使われた時期もありました。
現在は、1・2階が「移住ミュージアム」になっていて当時の多くの写真や貴重な資料が多く展示、移住者のインタビュー動画を観ることができます。それらの中には移住者の不安な気持ちや厳しい状況を伝えるものもあり胸に迫るものがありました。
そもそもなぜ移住か
明治41(1908)年にブラジル政府が日本人移民を受け入れ、日本政府が移民を派遣することを取り決め、「日伯(にちはく)移民協定」が締結されました。これは日本からブラジルへの移民を促進するために定められた協定です。
背景には当時の日本は人口が急速に増加し就労機会が限られていたため、多くの人々が貧困に苦しんでいたことがあります。
日本政府は海外に日本人を流出させることで、国内の社会不安を軽減しようと考えての策でした。(現代では考えられない政策です。)
またブラジル政府は、奴隷制度の廃止や労働力不足の問題に直面していたため、移民を積極的に受け入れる政策をとり、ヨーロッパや中東などからの移民を受け入れていました。


施設の役割
この施設では全国から集まってきた移住者が1週間から10日ほど滞在して、移住の準備をしました。
50日以上に及ぶ船旅をするので健康診断は必須。移住するための心得の講義やポルトガル語の授業もあったようです。
国策事業なので移住者へ政府からの支援金の手続きや出国するための手続きも行われました。
生活のための用品や開拓に必要な器具などの買い出し、子供たちは洋服や時計、カメラを買ってもらっていました。





病院のようなベットの配置は、船での生活に慣れるためだったようです。
海を渡って行った人々









はるかかなたの異国の地に思いを馳せて船出したことを思うと、先人たちの勇気と決断に頭の下がる思いです。
書籍にもなっている移民の歴史
移民の歴史を語り継ぐ、記録や小説が何冊も出版されています。
今回 紹介できなかったブラジルでの厳しい自然との闘いが中心に書かれています。
移住者の方々に叱られるかもしれませんが、この暑い時期に、鯉川筋を上って来られることはおすすめ出来ません。まずは本でブラジル移民のことを知るのがよいかもしれません。
・「蒼氓(そうぼう)」 著者 石川達三 第1回芥川賞を受賞した、石川達三がブラジル移民として渡伯した時のことを描いたもの
・「うつろ舟」 著者 松井太郎 若き日にブラジルに渡り、そこで生き抜き、言語的孤立のなかで日本語で書き続けてきた孤高の作家の作品
・「ハルとナツ」著者 橋田寿賀子 日本とブラジルに引き裂かれて生きたふたりの姉妹の70年。 放送開始80周年を記念して放送したNHK大型ドラマ

先日、友人が出演している神戸の老舗の100番ホールであった「第6回ブラジル音楽祭」へ行ってきました。
メンバーは日本人ばかりですが、出演の4つのバンドは明るく元気に暑さを吹き飛ばさんばかりのパワーで演奏・パフォーマンスをみせてくれました。
陽気で力強いブラジル音楽に移住者たちも力づけられていたことでしょう。
「海外移住と文化の交流センター」
移住ミュージアム
〒650-0003 神戸市中央区山本通3丁目19番8号 TEL 078-272-2362
行き方:JR元町駅から徒歩20分
または 神戸市バス 7系統「元町駅前」~「山本通4丁目」下車
・開館時間 10:00~17:00(入館は16:30まで)
・入館料 無料
・休館日 毎週月曜日 (祝日の場合は、翌日に休館)
年末年始 (12月29日~1月3日)
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ではまた次回をお楽しみに♦