知ってるようで、案外わかっていない地元。今回は有馬街道から下ってきたところ「平野」の町を紹介しようと思う。生まれ育った町である。案外「灯台下暗し」となるかもしれないが、、、
2012年のNHKの大河ドラマで「平清盛」が放送されたときに、少しこの町も話題になったと思う。平野の交差点には、そのときに造られた像がある。


平清盛と深い関係のあるものないもの含めて、少しぶらぶらしてみることにした。平野の交差点には、平野近辺の地図に史跡が示されたものがあるので参考に。

まずは、交差点を有馬街道に沿って北上する。100m ほど行ったところに「塞神(さいのかみ)の碑」がある。天保の時代に、このあたりに塞神を祀った塚があったらしい。また、同じ場所には祇園遺跡がある。有馬街道の拡幅工事のときに見つかった平清盛の時代の遺跡だ。平清盛の邸宅はこの平野にあったそうだ。わずかな期間だが福原京といって強引に都をこの地に持ってきた時代があった。今の兵庫の港を大輪田の泊と言っていたころのこと。その港では、日宋貿易がさかんだったので、宋の陶磁器がたくさん出土され、それらが祇園遺跡と呼ばれている。


有馬街道のこの坂は祇園坂と呼ばれており、またさらに 100mほど登ると祇園神社の入り口に到着する。

祇園神社は以前に当ブログでも紹介した。何で祇園なのか。興味あれば、そちらも一読いただけたらと。
祇園神社の入り口から有馬街道を渡って、少し降りていったところに「湊山温泉」があある。昔は、天王谷川の両岸に湊山温泉と天王温泉の2つがあったのだが、天王温泉は2004年に廃業してしまった。湊山温泉は「清盛ゆかりの湯」(ちょっと怪しいが(笑))と言い伝えられて地元では人気があるようだ。駐車場にも、そこそこクルマがとまっていた。これからも営業を続けてほしいものだ。


天王谷川沿いをずっと南に下っていくと石井川と合流する地点がある。(合流した川は湊川となる)その合流する三角地帯に雪御所(ゆきのごしょ)公園がある。子供の頃、よく野球をしたものだ。このあたりも平清盛の別邸の雪見御所(ゆきみのごしょ)があったところと言われている。公園には特に平清盛に関連するようなものはないが、1938年の阪神大水害の慰霊塔が立っている。大きい慰霊塔だ。2つの川が合流する地点だったからだろうか、このあたりの被害は大きかったらしい。

春には三角地帯に桜が咲く




2つの川が合流した地点から東の方に移動すると荒田八幡神社がある。このあたりは、平清盛の弟の平頼盛の邸宅があった場所らしい。福原京の頃には安徳天皇の行在所(仮のお住まいのようなものか)となっていたということだ。荒田八幡公園と一体化したような小さな神社だが由緒ある神社で、ぶらりと立ち寄った日も秋季大祭で近所の人の参拝で賑わっていた。




今回は、平清盛ゆかりの郷というところで、平野の町をぶらぶらしてみた。史実にもとづいた話もあれば、言い伝えみたいな話も混ざっているが、地元に愛着が湧くひとつのきっかけになるなら、それを郷土史としてもいいんじゃないかと勝手に思ったりもした。
実は今回、他にもぶらぶらしたところもある。それは郷土史とは違った側面で平野の町を眺めることになるので、また別の機会に紹介しようと思う。
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ではまた次回をお楽しみに ♣︎