4月4日に神港第二突堤に多目的GLIONアリーナが完成したので見てきました。

■神戸港の歴史
1858年(安政5年)米国領事館ハリスと幕府との間の交渉で兵庫港開港の話が上がった。幕府は開港を迫られ、天皇が居る京都に近く奈良の御陵にも近い大阪の開市と堺の開港を拒否して、近隣にある良港として有名な兵庫港が対象に上がった。1859年(安政6年)に幕府は日米修好通商条約を結び、1868年(慶応3年)12月7日より兵庫開港と江戸・大阪開市を布告した。「兵庫」の名のもとに神戸港開港が決まった。兵庫港には人家が広がっており公使や貿易商の駐在に必要な居留地を建設する敷地が無かったことや、住民に外国人の出入りに忌避感があったため。
開港直後に大政奉還が決まり、王政復古が宣言され、幕府の人間は神戸から逃げ出し、無政府状態になって港湾工事は中断となった。その後、明治政府より東久世通禧が兵庫に派遣され、中断していた開港の仕事が明治新政府の下で進められた。
神戸港の歴史を絵図で示します。 (近畿地方整備局港湾空港部 「神戸港の歴史」より引用)









■ウォーターフロント開発計画

昭和30以降の高度経済成長期に港湾物流のコンテナ化の進展や船舶の大型化に対応して物流活動の中心がポートアイランドや六甲アイランドに展開した。それまでの港湾地区は施設の老朽化、活動の低下があり衰退していった。

神戸市ではウォーターフロントをいかに魅力・活力あるまちに再生できるかが重要な課題になり、神戸の持続的発展のために、”「港都 神戸」グランドデザイン”を2011年に策定。新港突堤西地区はクルーズ船やフェリーターミナル機能に加えて商業・業務・文化などのさまざまな産業が集積するエリアを目指す、という方針を定めた。
さらに、2017年策定の神戸港将来構想では上品で品格あるラグジュアリーなまちの雰囲気を活かし「世界を魅了するみなとまち」となることを目標に定めた。それに基づいて、フェリーターミナル、コンベンションホールを備えたホテル、1万人規模の多目的アリーナ整備が計画された。
2021年に策定された5ヵ年の実施計画「2025ビジョン」では、新港第一・第二突堤間の水面の活用の方向性を示す「水域活用計画」を策定して、計画が実行されている。

https://www.city.kobe.lg.jp/documents/51442/arikata.pdf
■GLION アリーナ
KOBE ARENA PROJECT
https://www.totteikobe.jp/project
2015年に「神戸みなと温泉 蓮」が第一突堤にオープン、その北側に2021年にオープンした劇場型アクアリウム・アトア(水族館)はTOTTEI PARKから数分の距離だが、当時はまちの外れという雰囲気があった。今では広大なGLIONアリーナが完成してゆったりとした公園も整備され、新しいウィーターフロントが出現した。50年近く前になるが、倉庫の間を通り抜けて第二突堤に入り、係船柱に足をかけて海を眺めた記憶があります(石原裕次郎の映画のイメージ?)。








GLIONアリーナはバスケットの神戸ストークスの本拠地になっておりシーズン中は毎週のように試合があり、ぜひ観戦したいと思う。また、一万人収容できるホールではコンサートの開催予定され楽しみだ。神戸を代表するユーハイムをはじめカフェやレストランも揃ってイベントがなくても十分に楽しめる。
■未来に向けての神戸ウォーターフロントグランドデザイン
4月22日に2040年までに中突堤周辺、京橋エリア、新港突堤西エリアをさらに再開発を進める計画概要が発表された。震災の影響で京都、大阪には遅れを取っていたが、神戸ならではウォーターフロントに焦点を当てた新しいまちづくりがたゆまぬ勢いで進んでいく。未来が楽しみ。
https://www.city.kobe.lg.jp/documents/79183/20250421145711.pdf

いいね。やっぱり神戸が好き。
もっとKOBE ずっとKOBE
ではまた次回をお楽しみに♠️