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新千円紙幣・北里柴三郎氏 と 神戸 との接点!

7月から新紙幣が発行されましたが、手にされましたか?

      

¥10000 = 渋沢栄一 * ¥5000 = 津田梅子 

¥1000 = 北里柴三郎

 

このお三方の中に、神戸と縁のある方はいないかと

調べてみたら、お一人いました!

 

我々が一番、手にする機会が多い庶民のお札

    ¥1000 紙幣の 北里柴三郎

 

    ~ 北里柴三郎氏と神戸 ~

 

北里柴三郎氏は、破傷風菌培養や血清療法開発・ペスト菌発見!など日本の微生物・細菌学者です。

門下生には、野口英世もいます。

 

1892年(明治25)留学先のドイツから、当時日本に蔓延していた伝染病(コレラ赤痢結核など)を治すために帰国し「私立伝染病研究所」(現 東京大学医科学研究所)を*1)福沢諭吉の、土地と資金援助で創立しました。

 

1894年(明治27)香港で蔓延していたペストの調査で香港に赴きペスト菌を発見します。

 

 

時は1899年(明治32年神戸港に停泊していた商船で、日本初のペスト患者が発生しました。そして、第一回目の流行が神戸市で同年11月から、大小の流行が大正時代末まで続きます。

 

日本海軍は、明治時代から神戸沖や横浜沖で、幾度も観艦式を行っていました。 

明治41年11月中旬に、神戸沖で観艦式を行う予定でした。ところが、神戸市では第三回目の流行中で、この年の秋になってもペストの患者が確認されていました。

 

そこで政府は、神戸市のペストの流行状況についての調査を北里柴三郎氏に依頼し、同年11月5日に北里柴三郎氏は神戸に向かい調査し、その調査結果を内務大臣に下記のように報告しました。

 

『神戸市内におけるペスト患者は、目下東は葺合配置部、西は兵庫配置部に限り有菌鼠もこの部面に在り。この両部面を以て病毒伏在の区域と認む。其の他の部面は一般衛生状態よし。観艦式御施行になりても十分注意あれば、別に差支えなきものと認む』

 

気を付けて行えば、観艦式やってもイイよ~!と報告してます。北里柴三郎氏は、実際に神戸に来ているのですね。

 

 

このペストという病気は、明治32年に日本で初めて確認されてから、大正15年あたりまで大小の流行を繰り返していましたが、昭和に入ってから国内での感染報告が無く、現在では国内での感染の可能性は極めて低く安心して良いようです。

 

感染ルートは、ペスト菌に侵されている鼠に付いているダニから、人へと感染するのが主のようです

 

        ☆  ☆  ☆  ☆  

 

日本の観艦式の始まりは

1868年(明治元年明治天皇が大阪天保山沖で、各藩の軍艦を視察したのが始まり

 

観艦式とは

観閲官が艦隊を観閲することで部隊の士気を高めたり、舞台に対する国民の理解を深めたり、国際親善や防衛交流を促進するのが目的です。

 

丁度、北里柴三郎氏が香港のペストを調査していたころ(明治27年)日本では、日清戦争が起こり日本軍兵士の士気を高める必要があったので、神戸沖での観艦式が実施されるのは大きな意味を持つものだったのでしょう。

 

そこに、北里柴三郎氏のお墨付きがもらえたことは政府にとって、とても有難かったのではないでしょうか。

 

PS:今でも、3年に1度の割合で海上自衛隊による観艦式が行われています

観艦式防衛省HP フォトギャラリーより)

 

これから、新千円紙幣の北里さんを見るたびに                  ペスト菌 と 観艦式が 頭の中に浮かびそう…

      

 

 

*1)福沢諭吉(前 1万円紙幣)

この方も神戸とご縁のあるお方で、

現在のトアロードあたりに複数の土地を所有していたり、神戸っ子には馴染みのある「県商」といわれる、兵庫県立神戸商業高等学校の前身の「商業講習所」の設立に協力していました。

 

神戸って、歴史的に有名な人が関わっているスゴイ街なんですね!

 

 

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

 

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ではまた次回をお楽しみに♥