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神戸で、光源氏ゆかりの地を訪ねて

えっ!神戸と源氏物語??

と思う方もおられるでしょうが

源氏物語には「須磨」という帖があります。

 

「須磨」は神戸市内にあります。

 

数多くの浮名を流した源氏の君は、密会の一つを目撃され

ヤバくなったので須磨へ逃げ隠れたとあります。

 

その時に住んでいたと伝えられるのが、今の「現光寺」(げんこうじ)

昔は「源光寺(げんこうじ)」・「源氏寺(げんじでら)

とも呼ばれていたそうです。

なので、いまも御朱印は源氏寺・光の君が描かれています。

 

 

「現光寺」には

光源氏の月見の松が植えられていました。

これは、2009年に行われた「源氏物語千年紀」というイベントに因んで

名づけられたようです。

 

そして、次に訪れたのが

「現光寺」の近くにある「関守稲荷神社」

須磨の浦で、光源氏が巳の日祓(みのひはらい)をしたことで

この「関守稲荷神社」は「巳の日祓稲荷(みのひはらいいなり)とも呼ばれています。

町名にも、その名が残されています。

ですが、当時の須磨の関が

この神社の場所ではなかったことが

明治時代の出土した石柱から判明したようです。

ちょっと、ガッカリ

 

 

次の足を延ばした先は、須磨寺

 

 

須磨寺の境内には、光源氏が紫の上を想って植えた

若木の桜」跡があります。

 

(原文)

須磨には、年返りて日長くつれづれなるに

植ゑし若木の桜ほのかに咲き始めて

空のけしきうららかなるに

よろづのこと思し出でられて、うち泣きたまふ折多かり。



話がそれますが…

ときに、在原行平(在原業平の兄)さんという人(実在の人物)

光源氏のモデルの一人とされています。

この在原行平さんも、事情があって須磨に引きこもったことがあると

古今和歌集・雑歌」に載っています。

 

おや、光源氏とおなじですね (笑)

 

そして光源氏の引きこもり先が、在原行平さんが暮らしたところの近く!

と、設定されています。

 

(原文)

おはすべき所は、行平の中納言の「藻塩垂れつつ」侘びける家居近きわたりなりけり。

海づらはやや入りて、あはれにすごげなる山中なり。

 

 

 

少し、在原行平さんについて語りたいと思います。

 

このお方、引きこもり先の須磨で

多井畑の村長の娘二人(松風・村雨)を見初めて親しくなったものの

引きこもりを止め、自分の狩衣と烏帽子を磯馴の松に掛けて

二人に黙って戻ってしまったのです。

 

残された松風・村雨の姉妹は、庵を建てて観世音菩薩に

行平の幸せを祈って過ごしたそうです。

 

その庵が今も「松風・村雨堂」として、須磨の地に残っています。

 

この松風村雨堂も、在原行平の家の近くに建てられたと伝えられています。

 

行平が自分の狩衣と烏帽子を掛けたという

磯馴の松は「衣掛けの松」と呼ばれ、いまは3代目の松が植えられています。

初代の松の幹も、大切に保管されていました。

 

               セミの抜け殻が付いていました(笑)

 

 

 

次に足を向けたのが、「綱敷天満宮(つなしきてんまんぐう)」

天満宮なので、菅原道真を祀っています。

 

源氏物語・須磨の帖では度々、菅原道真漢詩が出てきます。

たとえば、光源氏が須磨で十五夜中秋の名月を見て、菅原道真が呼んだ漢詩

「恩賜の御衣は今此に在り」と口ずさんだとあります。

 

 

 

平安時代の人々は、本当によく月を愛でていました。

 

光源氏が、在原行平が、須磨に縁があったためか

須磨には、月見山という地名があります。

山陽電車の駅名にも「月見山駅」があります。

 

そしてその地には、須磨離宮公園があり

その中に「在原行平 月見の松跡」の碑や、月見台・傘型四舎(あずまや)など

名月を愛でた痕跡があり、今も思いを馳せる事が出来ます。

残念ながら、須磨離宮公園までは行けませんでした。

 

今年の中秋の名月は、9月29日(金)です。

 

この日の夜は

神戸の地で光源氏在原行平に思いを馳せて

夜空に浮かぶ名月を愛でながら、平安びとになり切るのも悪くないですね。

 

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

 

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ではまた次回をお楽しみに♥