神戸の港と言えば神戸港が当たりまえなのだが、昔は兵庫の港も海運流通においては重要な役割を果たしていたと言われている。
明治の頃、須磨・駒ヶ林方面から兵庫の港に向かう船にとって、とおせんぼするような和田岬は難所だったらしい。その頃、そのあたりを通る船がどのぐらいの大きさなのかよくわからないが、海難事故が後をたたなかったそうだ。このままではあかんとバイパスするように兵庫運河の造成が計画され実行されたわけだ。
明治の時代に、この運河を作ったんかいなと思うとすごい熱意とエネルギーを感じる。高松橋のところには、その功労者の八尾善四郎の銅像が今も残っている。かなりの私財を投じたようなことが書かれてある。
ちなみに、この高松橋は昔は跳ね上げ橋だったようだ。帆船も多かったんだろうか。1日に何回ぐらい跳ね上げてたんだろうか。その頃の光景を見てみたいものだ。
今は兵庫運河周辺地域の活性化のような活動も始まっている。こういう苦難を乗り越えた歴史的なものは遺産みたいな形で残すのではなく、活き続けてほしいね。
いいね。やっぱり神戸が好き。
もっと KOBE ずっと KOBE
ではまた次回をお楽しみに。