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神戸の街の額縁屋さん 末積製額


元町の大丸の北側に100年以上前からお商売をしている額縁屋さんがあります。
今回はその末積製額(すえづみせいがく)に、大正・昭和・平成・令和にわたって神戸の街と共に歩んできた3代の歴史をうかがいました。

始まりは甚之助さん 軌道に乗り始めていた矢先

もともと日本には、「額縁」というものはなく輸入品の取り扱いから始まり、少しずつ国内で生産するようになりました。
(昔は、日本画や書を掛け軸にして飾っていたのでしょうね。)
当初は額縁の専門の職人がおらず、家具職人から転じた木地職人や鏡枠職人、仏具屋の塗師などの職人たちによって額縁が作られていました。

初代の甚之助さんは本家筋での修行の後、大正10年にトアロード沿いで商売を始め、順調に売上げを伸ばしていきました。
しかし、悲しい出来事がおこります。1945年 神戸大空襲に遭い、神戸の中心部が焼け野原にされてしまいました。
市内にあった末積製額の額工場も大きな被害に遭い、兵庫県の中央に位置する丹波市に額工場を移転することになりました。

額縁を作る道具と丹波工場

戦争が終わったとは言え、広範囲が焦土と化した神戸は、街としての機能が停止状態となっていたため、日常の生活にも苦労されたそうです。
以前に見た、空襲の後の神戸の写真には高さのある建物がなく街中に瓦礫が積まれていたのを思い出しました。

そのような状況から、またコツコツと勤められ終戦から10余年の昭和31年に現在のビルに店舗を移されました。

大丸の屋上から山の方を見た写真 提供:神戸市
左の方にある白い横長の建物が現在に続く店舗

東京ー大阪間の新幹線開通・東京オリンピック --- 高度経済成長期 

この頃に2代目の良之助さんが経営を任されるようになります。
高度経済成長期に入り、神戸だけでなく日本国中が活気あふれる時代、
末積製額は、西日本を中心に幅広い顧客をもち額縁製造と販売ともに活況を呈していました。日本人が皆、寝る間を惜しんで働いた時代です。

現在の店主の隆夫さんは、大学卒業後 初代の甚之助さんのいる丹波の額縁工場で額縁の生産に励まれていたそうです。
お孫さんと一緒に働くことができるなんて甚之助さん、きっと喜ばれたことでしょう。
その後、昭和の終わりに3代目を継いで経営者となられます。

昭和と違う荒波が、、、

平成時代は、戦争がなく平和でしたがバブル経済の崩壊やアジア諸国の工業化などが日本経済に大きな影を落とし、末積製額も例外なく事業の見直しに苦慮しました。
そこにさらに、神戸を襲ったのが阪神大震災でした。
1月17日 夜明けとともに店に駆け付けると、社屋は無事でしたが店内は商品が散乱してガラスが割れている商品もあり、どこから手をつければよいのか途方に暮れるほどでした。唯一救われたのは、従業員を含め近親者が無事だったことです。

時代の変化に合わせて

現在は、絵画の額縁だけでなく表彰状とメダルが一緒に飾れる賞状額、スポーツのユニフォームが入る立体額など、また絵を描く人に向けた絵具や筆・イーゼルもあります。商品の販売だけじゃな日本画を掛け軸にしてくれたり、傷んだ絵画の修復や、思い出の飾り方の相談にものってくれます。

賞状額・ユニフォームとベビーシューズの立体額

主の隆夫さんは、時代の変化に合わせながらをモットーに、長年の経験で培われた確かな目利きでお客さまに喜ばれるものを提供したいと考えています。

隆夫さんとお話をしている側に、笑顔の優しい男の方が接客していらっいました。
もしやこの方は、、、末積製額がこれからも続いていくのを感じました。

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

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ではまた次回をお楽しみに♦

 

末積製額株式会社
〒650‐0021 神戸市中央区三宮町3丁目2-2
 

https://www.suezumi.co.jp/