もっと KOBE ずっと KOBE

神戸の人、自然、景観、ファッション、食べ物、文化、便利さ、生活、全部好き!

神戸に、日本一の商社となった「鈴木商店」があったのをご存知ですか?

遡る事、明治7年(1874年)

神戸の弁天浜(今の神戸市中央区弁天町)で

洋糖引取商「辰巳屋」をのれん分けした鈴木岩次郎さん

創業したのが「鈴木商店」です。

 

ところが、不運なことに創業者の鈴木岩次郎さん

明治27年(1894年)創業20年目の52歳の時に

病気でお亡くなりになりました。

 

普通だったら、店を閉じるのですが

女房のよねさんが凄かった!

さらに凄かったのが、優秀な二人の番頭さん

金子直吉さん と 柳田富士松さん

 

よねさんは、店を閉じずに

二人の番頭さん、金子直吉さんと柳田富士松さんに

店の運営を、全幅の信頼の下任せ

自分が全ての責任を取る!という覚悟を見せたのです👏

 

まぁ、それに応えたのが金子直吉さん!

柳田富士松さんは、金子直吉さんの

縁の下の力持ち的存在だったようです💪

 

他にも、優秀な人材が集まっており

力を合わせて、鈴木商店を盛り上げていきました。

 

1900年~1933年までの

明治・大正・昭和の時代を駆け抜け

破竹の勢い、飛ぶ鳥を落とす勢いで

日本一の総合商社にまで押し上げた

金子直吉さん と 柳田富士松さんの活躍は

目を見張るものがあります

 

またそれを見守り続けた

鈴木よねさんの懐の深さもお見事!

この鈴木よねさんをモデルにした小説「お家さん」があります

興味のある方は、読んでみてください。

 

 

 

 

今丁度、神戸三宮図書館 ACCESS | KIITO で

鈴木商店と神戸の歴史・文化の再発見」

5月7日(日)まで行われています。

 

GWに出掛けて見られることをお勧めします(^^♪


そこでは、鈴木商店の流れを汲んだ

双日株式会社さんが作られた

「総合商社 双日 未来を創造した先駆者たち」と題して

鈴木商店やその他、明治維新後の日本を支えた多くの会社の歩みを

漫画仕立ての冊子で1巻から4巻までが無料配布されています。

 

部数に限りがあるので、もらえなかった方は

webのPDF版で見る事が出来ます。

上記タイトルで検索してみてください

 

なんでも、5巻目を制作中とか… 

楽しみです(^^♪

 

こんな勢いのある商店が

神戸の地で活躍していたのかと思うと

チョッピリ嬉しくなります。

 

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

もっと KOBE ずっと KOBE

ではまた次回をお楽しみに♥

 

 

 

以下、鈴木商店の栄枯盛衰の 抜粋年表です

お時間のある方は、ご覧ください。

詳しくはこちらをご覧ください → 鈴木商店記念館 

 

明治33(1900年)

神戸に、樟脳製造所(後の日本精化)設立

日本教育保険(明治29年設立)を日本教育生命保険(後の大正生命)に改称し系列化する

明治35(1902年)

鈴木商店最初の本格的工場・薄荷製造所(後の鈴木薄荷)設立

明治36(1903年

北九州大里地区への進出、大里製糖所(後の関門製糖)設立

明治38(1905年)

小林製鋼所を買収し、神戸製鋼所と改称

明治39(1906年

東亜製粉(後の日本製粉)買収
東京毛織(後の三菱レイヨン)設立

明治40(1907年)

東レザー(後の帝人ニチリン、東洋ファイバー)設立

明治41(1908年)

日本セルロイド人造絹糸(後のダイセル)共同出資設立
東洋塩業(後の日塩)買収

明治42(1909年)

日本商業(後の日商日商岩井双日)設立
札幌製粉(後の日本製粉)買収

明治43(1910年)

北港製糖(後の大日本明治製糖)設立

日沙商会設立

明治44(1911年)

大里製粉所(後の日本製粉)設立

明治45(1912年)

関東洲普蘭店塩田開設。

斗六製糖(後の東洋精糖を経て大日本明治製糖)設立
帝国麦酒(後のサッポロビール)設立

大正2(1913年)

大正生命保険(後のプルデンシャル ジブラルタル ファイナンシャル生命保険)設立

大正3(1914年)

大里酒精製造所(現ニッカウヰスキー門司工場)設立
大日本塩業(後の日塩)買収

東洋製糖買収

大正4(1915年)

南洋製糖、帝国炭業、宜蘭殖産を設立

満鉄より大連油房(後の豊年製油を経てJ-オイルミルズ)を譲り受く

大正5(1916年)

播磨造船所(後のIHI)設立
鳥羽造船所を買収
帝国汽船設立
日本金属(後の彦島製錬)、沖見初炭鉱(後の大倉鉱業)設立

帝国染料・日本火薬製造(後の日本化薬)を設立(共同出資)

大正6(1917年)

日本一の総合商社に

売上高15億4,000万円を達成し、三井物産の10億9,500万円を大きく凌ぐ

浪華倉庫設立(後の澁澤倉庫
大阪浪華造船所買収
鳥羽造船所に電機試作工場を開設(後のシンフォニアテクノロジー
東洋燐寸(後の兼松日産農林を経て兼松サステック)設立

大正7(1918年)

東工業より分離独立し帝国人造絹糸(後の帝人)設立
帝国石油(後の旭石油、昭和シェル石油)買収
日本冶金(後の東邦金属)設立
鈴木商店直営樟脳工場が日本樟脳(後の日本精化)に合流

大正8(1919年)

太陽曹達(後の太陽鉱工)を創立
国際汽船(後の商船三井)に共同出資
信越電力(後の東京電力)に出資
日本セルロイド人造絹糸、大日本セルロイド(後のダイセル)に合流
再製樟脳(後の日本香料薬品、日本テルペン化学)設立
三国紡績(後のシキボウ)設立

大正9(1920年

日本火災海上(後の三井住友海上火災保険)設立
支那樟脳設立
大里製粉所・札幌製粉が日本製粉と合併

大正10(1921年

東海製油所を設立
米星煙草(後の双日ジーエムシー)設立
スタンダード油脂(後の日油)設立

大正11(1922)

豊年製油(後のJ-オイルミルズ)を創立
クロード式窒素工業(後の下関三井化学)設立
帝国樟脳(後の太陽林産)設立
東京無線電機(後の帝国通信工業、三桂製作所)設立
大陸木材(後の王子木材緑化)設立
帝国石油が旭石油(後の昭和シェル石油)へ合流

大正12(1923年)

合同油脂グリセリン(スタンダード油脂が日本グリセリン工業と合併、後の日油)設立

大正13(1924年

山陽電気軌道(後のサンデン交通)設立
天満織物(後のシキボウ)が三国紡績と合併

大正14(1925年)

日本エヤーブレーキ(後のナブテスコ)設立
長府土地(後のサンデン交通)設立
東亜製粉、日本製粉に合流

大正15(1926年)

第一窒素工業(後の下関三井化学)設立

昭和2(1927年)

台湾銀行鈴木商店との取引断絶(3/28)
鈴木商店破綻(営業停止4/2)

昭和3(1928年)

高畑誠一、永井幸太郎ら鈴木商店社員が日商(後の日商岩井双日)設立
金子直吉は太陽曹達にて再起を図る

昭和8(1933年)

債務弁済し、整理会社解散