舞子公園の中にある
この建物は、もともと神戸で活躍していた
中国人実業家・呉錦堂(1855~1926)の別荘「松海別荘」で
1915(大正4)年春に、その別荘の東側に
八角三層の楼閣「移情閣」が建てられ
外観が六角に見えるところから
地元では「舞子の六角堂」として親しまれていたようです。
さて、この移情閣ですが
大正時代の建築技術が込められた
とても歴史的に価値のある建物だそうです。
だから、重要文化財なんですよね ^_^
その中で、まずご紹介したいのが、
金唐紙の壁紙!
すべての壁紙が、金唐紙(きんからがみ)で覆われています。
* 金唐紙とは
金属の箔を施した和紙に凹凸加工を付け、その上からニスを塗り色を付けて仕上げた紙の事
そのルーツは、
ヨーロッパの金唐革で、江戸時代に日本に伝わり
革を和紙に変えて発達した技術で、明治時代に花咲いたそうです。
次に、紹介したいのが八角形・移情閣の中の天井
何が書かれているのか、さっぱり分からないけれど💦
多分、有名な人の達筆な扁額がぐるりと飾ってあり
荘厳な雰囲気を醸し出しているのが分かります(笑)
その荘厳さを和らげているのが
鳳凰と牡丹の花は、中国では縁起の良い物の代表で
中国色を強く感じるところです。
美しい~✨
☆ ここで、チョットだけ孫文さんについて…
中国で、何度も革命を起こすも失敗して日本に亡命したこともありました。
その後やっと、1911年辛亥革命が成功し1912年に南京に中華民国を樹立。
臨時大統領になったそうです。
丁度、その頃でしょうね。
孫文が1913(大正2)年3月14日に、国賓に準ずる待遇で来神した際
神戸の中国人や政財界有志が開いた、歓迎の昼食会の会場に
この「松海別荘」(移情閣)が使われたことで
孫文ゆかりの建物として、神戸の人々の心に刻まれていったようです。
この孫文さん、とってもイケメンで…
それもあって、人々の心に刻まれたのではないかと
個人的に思っています(;^_^A
移情閣は、舞子浜に1915年に建てられましたが
1923年に国道の拡幅工事のため
曳家移築で今の形に改築されました。
【曳家移築】
建物を解体せずに、そのままの姿で移動させる方法
が、しか~し!
1964年・1965年の2度にわたる台風の被害に見舞われ
屋根・テラスの倒壊、壁紙・灯具などの貴重な大正時代の物を失いました。
神戸の華僑たちが、
資金不足で暫定的な補修しか出来ませんでした。
そして、1983年(昭和58)11月
兵庫県が「移情閣」を管理していた神戸華僑総会から寄贈をうけ
回収を行うことになりました。
ですが、明石海峡大橋建設のため又、移転する羽目に…
そして、ようやく今の場所に落ち着く事となり
名前も「孫文記念館」と改められました。
移情閣の窓から見える海を眺めながら
この建物の数奇な運命に思いを馳せたら
「この場所に落ち着けて本当に良かったね❣」と言ってあげたくなりました。
いいね。やっぱり神戸が好き。
もっと KOBE ずっと KOBE
ではまた次回をお楽しみに♥