昭和は、自分が生まれ育った時代
つい、最近のこと…と思っていたのに
昭和16年に建てられたという「旧木下家住宅」は
国の登録有形文化財に登録されていました!
舞子公園の北側にあります。
昭和16年ですから、戦前に建てられたということになります。
ですので、造りとしては
「数寄屋造近代和風住宅」となるそうです。
では、中をご紹介します。
この間取り図の数字に沿って、ご案内します。
① 応接室
ここは、とてもオシャンティーなデザインの窓ガラス
暖炉上にあるダウンライトに使われている模様入りのすりガラス
頑丈そうなデザインで天井から下がっている照明器具
ガラスに拘りを持たせた部屋になっていました。
そして、暖炉 ❣
普通は、薪をくべて炎が見える暖炉を想像しますが
なんとここの暖炉は、電気ストーブ!( ゚Д゚)
右の写真に、コンセントが見えるでしょう?
スゴイよね~
さて、次へと参りましょう
②③④座敷・中室・広縁
三福の軸が掛けられる、広い床の間
そして、その天井は贅沢な網代天井になっています。
年数が経って、濃い飴色のいい色合いになっています。
個人的に網代編みが好みなので、見てため息が出ましたw
この広い10畳の座敷に続いてあるのが、6畳の中室です。
ここには、違い棚を配した床の間があり
座敷との間にある襖を取り払って、16畳の大広間として使ったとしても
バランスが取れた設計になっているな!と関心してみていました。
そして、この二間の横にはとても幅の広く長い縁側があります。
昔は、縁側のある家が多かったですよね
縁側で、日向ぼっこしてお茶をすするなんて、憧れます。(* ´艸`)クスクス
次!
私、これにはオッタマゲました。
⑤浴室
昭和16年に、タイル張りの浴室ですぞ!
しかも、ステンレス製のシャワーヘッドにカラン
庶民は、家風呂もままならない時代
よしんば、有ったとしても五右衛門風呂ぐらいの時代に
今とそう変わらない浴室で、生活をしていた人が居るなんて…
上には上があるモノのですね。
そして最後に
⑥庭
芝が張り巡らされ
さつきが、そこかしこに植えられています。
ちょうど、花の季節が終わった所だったのがとても残念でしたが
ピンクの花が咲きほこる姿は、目を閉じれば容易に思い描く事が出来ます。
それくらい、空間のとり方が素晴らしいお庭でした。
この住宅を建てた人物は
神戸で海運業を営んでいた又野良助という人が、私邸として建てました。
その後、昭和27年に船舶用エンジン製造業を営んでいた
木下吉左衛門氏の所有となりました。
っして、平成12年にご遺族から兵庫県が寄贈されたものです。
では、どうして昭和の建物が
国の登録有形文化財に登録されたのかというと
この旧木下住宅が
1.戦前に建てられたこと
2.戦火を潜り抜け無事だったこと
3.阪神大震災をも潜り抜けたこと
が、大きな要因になったようです。
戦時中、神戸大空襲があり一面焼け野原になったと
親から聞いた記憶があります。
また、あの強烈な揺れの阪神大震災は私も体験しており
あの揺れに持ちこたえた、木造建築というだけで
賞賛に値すると思ってしまいます。
こうした、後世に語り継ぎ引き継ぎたい
先人の知恵と技術を守っていることに感謝です。
いいね。やっぱり神戸が好き。
もっと KOBE ずっと KOBE
ではまた次回をお楽しみに♥