暑さがまだ残る中、何十年ぶりかで訪れたレンガ造りの尖塔に風見鶏をいただく、旧トーマス邸。
ヒマラヤ杉の下に「Rhenania」と書かれたアーチをくぐると、数段の階段の先に洒落た鉄製のデザインが施された木製の扉が迎えてくれます。
中に入ると案内人が示した順路の先は陽光の差し込む「応接間」、建築当初の持ち主 トーマス夫妻の写真が飾られていました。
この館を建てた ゴットフリート・トーマス氏は、150年ほど前にライン河沿いにあるコブレンツ(ドイツ)に生まれ、20歳の時に来日して横浜で貿易の仕事を始めます。
明治35年にクリステル夫人と娘のエルゼちゃん3人で神戸に移り住み、貿易の仕事がうまくいきトーマス氏はこの館を建てました。
高さのある腰壁の装飾や天井は建築されたときのままのように感じます。写真ではわかりにくいのですが、カウンターには小型のリフトが内蔵されていて、地下の台所で作った食事を運ぶのに使っていました。
ゴツゴツとしたデザインに質実なドイツらしさとアールヌーボーのエレガントな曲線美を感じます。
トーマス一家は、エルゼちゃんが寄宿学校に入学するためドイツに一時帰国しましたが、その直後に第1次世界大戦が勃発し、ドイツは敵対国となり夫妻が日本の地を踏むことはなかったそうです。
その後、この館は取り壊しや戦火という危機に見舞われますが難を逃れ、個人や銀行・ホテル・汽船会社・学校など幾人もの人手に渡りました。
私もずいぶん前に、寮生活をしている神戸中華同文学校の生徒さんが遊んでいる姿を見かけました。
1977年に放映された連続テレビ小説「風見鶏」は、この館が舞台でその後 神戸市の所有となり、翌年には国の重要文化財に指定されます。
遠くフランクフルトの地でこのことを知ったガルボ婦人は、自分がトーマス夫妻の娘エルゼだと名乗り出てて、1979年の春 65年ぶりに神戸の地に戻ることが出来ました。
エルゼ・ガルボ婦人は以後6回も来日し、写真や家具、当時の記憶を寄贈してくださり、1998年99歳で永眠されるまで『日本に戻りたい』と話されていたそうです。
風見鶏の館は、この10月より2025年3月31日まで長期の休館をして、未来へ続くための修復工事をします。
修復費用のクラウドファンディングを募っています。
激動の歴史と阪神大震災を乗り越えたこの館が、多くの人々をまた迎え入れる日を楽しみに待ちます。
しばしのお別れ、Auf Wiedersehen!
いいね。やっぱり神戸が好き。
もっとKOBE ずっとKOBE
ではまた次回をお楽しみに♦︎