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保久良神社とおしゃれなまち岡本

 

住宅地のすぐ北側に保久良神社(ほくらじんじゃ)(海抜185m)があります。

市民の憩いの場所でもあり、保久良登山会は「毎日登山」を実践する仲間の輪から生まれて大正11年から100年間あまり続いている様です。

蛇行した急な坂道を20分ほど歩くと到着します。軽く汗ばむぐらいでいい運動になりました。

良く整備された急な坂道          六甲山へのハイキングコース

神社の鳥居の前には「神戸らしい眺望10選」に選ばれている石灯籠があります。1825年(文政8年)に設置されたオリジナルだそうで、灯火はなたね油からLED電球に変化しましたが、いまも常夜灯として灯り続けています。

「神戸らしい眺望10選」に選ばれた石灯籠と大阪湾

鳥居に向かって左には椎根津彦命(しいねつひこのみこと)がアオガメに乗った銅像が設置されています。多くの村里と日輪(太陽)が眺められる場所を探していたところ、この山を見つけ磐座祭祀されたと解説されています。

 

鳥居をくぐるとかわいい干支の石像が並べられています。

 

神社名の由来はふたつある様です。ひとつは神霊を集めたところという意味。もう一つは村里への火種共有のため、社頭に「かがり火」を焚いていたことから「ほむら(炎)」がなまって「ほくら」となった説です。この灯火は海上からもよく見え、古くから「灘の一つ灯(ひとつび)」と呼んで沖の舟人の道標になっていたそうです 。

境内に入って振り向くと鳥居の先に石灯籠と海が見える

保久良神社の奥には保久良梅林があり2月になれば梅見を楽しむことができます。兵庫の里謠に「梅は岡本、桜は生田、松のよいのは湊川」と唄われて、江戸時代には岡本の梅は広く人々に親しまれていた様です。岡本梅林公園(阪急岡本駅北東徒歩30分)でも約130本の梅が植えられて楽しむことができます。

保久良梅林

保久良神社を降りてくると高級住宅地とおしゃれな岡本のまちが広がります。

阪急電車がよく似合います。岡本は学生のまちで、甲南大学甲南女子大学の学生で賑わってます。

 

学生のまち岡本            石塀が美しい住宅
マルーン色の阪急電車が岡本のまちに良く似合う

おしゃれな店がたくさんあり、アイスクリーム、パスタ、チョコレート、パン、カフェなど興味が尽きません。

チョコレート屋さん         近くに美味しいパン屋さんが5軒以上
駅前の喫茶店           アイスクリーム屋さん

 

阪急岡本駅のすご山側には、水上勉の小説「櫻守」のモデルとなった桜博士、笹部新太郎氏の屋敷跡に桜公園があります。10種類約30本が植栽されています。桜の季節にはぜひ訪問してみたいです。

 

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

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ではまた次回をお楽しみに♠️

 

神戸の古刹・大龍寺で迎える心静かな初詣体験

 

神戸市民になって初めてのお正月!

初詣はどこにしようか…

 

辰年の干支にちなんで

「龍」のつく寺社仏閣を検索してみると

結構、神戸市内にあるものですね。

 

その中から、縁起が分かっている古刹の

「大龍寺」を選んで行ってきました。

大龍寺

カーナビの指示通りに到着したのは

この山門を通り過ぎた先の、山道から行く参道の前でした。

初めて行く場所なので、何の疑いもなく山道に入り…

山道からの参道

まるで登山!

こんなのだったら、ブーツなど履いてくるのではなかった!💦

と、後悔しながらの初詣になりました。

 

行かれる方は、スニーカーをお勧めします(笑)

 

そしてようやく見えてきた道標 

 

参道に並ぶ祠たちに誘われて、見えてきた大龍寺の入り口には

真っ赤な鳥居が並んでいます

 

お寺に鳥居…?

そう、神仏合祀が当たり前の時代に建てられた古刹の証しですね。

 

そして正面に本堂

大龍寺本堂

左側には、立派な鐘つき堂や石仏・石塔が並んでいます。

 

 

創建は、今から1255年前の768年(奈良時代後期)

当時の称徳天皇(女帝)が

和気清麻呂(わけきよまろ)に、摂津の国に寺塔建立を命じられ

清麻呂が霊地を求めてこの場所に来た時

 

彼を暗殺しようと僧の道鏡(700年~772年)が放った刺客の前に

忽然と現れた大蛇!

それに驚いた刺客は一目散に退散して、命を救われたそうです。

 

清麻呂が辺りを見回すと、姿を消した大蛇の跡に

「聖如意輪観世音菩薩」が立っておられたので

霊験を感じた清麻呂は、この地に伽藍を建立し「大龍寺」と

名づけたのが由来です。

 

また、弘法大師空海(774年~835年)

唐に渡る前に、旅の所願成就をこの大龍寺のご本尊に祈願し

無事に所願成就を果たし帰国できたので

再びお礼参りに詣でたところから

この地の山を「再度山」(ふたたびさん)と呼ばれるようになったそうです。

 

そして、弘法大師が修法した場所を

「修法ヶ原行場」呼ぶようになったそうです。

あの弘法大師が、お参りするくらいの格式あるお寺だったのですね。

 

この大龍寺には

霊験あらたかな伝説が数多く残っており

中でも天授元年(1375年南朝時代)後円融上皇が中風(脳梗塞)を発症した時

善妙上人がご本尊に向かって7日間祈り続けたら

中風が治ったと伝えられています。

 

このことから「大龍寺」は

「中風除けの寺」「病気平癒の寺」として慕われるようになったそうです。

 

たしかに、境内には立派な「ボケ封じの観音様」が立っておられました。

ボケ封じ観音

私も怪しいお年頃なので

シッカリと手をあわせてお願いをしてきました(笑)

ご利益がありそうです。 ^m^

 

 

なにせ、歴史のある奈良時代から続くお寺なので

鎌倉時代の戦火では、伽藍の消失からの復興

その尽力には、善妙上人や唐招提寺の実裕上人・尼崎城主光録居士などが

係わって今の規模のお寺になったと言われています。

 

その後、明治の廃仏毀釈の嵐に巻き込まれそうになった時も

当時の和尚が地元の人々と共に奔走し

東寺真言宗所轄の寺院として残る事が出来たそうです。

 

艱難辛苦に耐え、紆余曲折を経ながらも

今なお、再度山(ふたたびさん)の山の中に

凛として立つ「大龍寺」には風格を感じます。

御朱印

 

道中は、ヘアピンカーブの連続に急斜面ですので

安全運転で行ってくださいね。

 

この登山道から行かれる場合は

スニーカーやウオーキングステッキなどがあると便利でしょうね。

 

山門からは、整備されたアスファルトの道や階段で

本堂まで行けるようです。

 

大龍寺

神戸市中央区神戸港地方(こうべこうじかた)字再度山1-3

 

 

来年の初詣も

この大龍寺へ行きたいと思います。

 

 

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

 

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ではまた次回をお楽しみに

 

いろいろありの大倉さんのお山

今回はちょっとマイナー路線で。神戸の名所や観光スポットには入らないかもしれない。神戸市営地下鉄大倉山駅から歩いてすぐのところ。小高い丘みたいなところに野球グランドもある公園。元は大倉喜八郎氏の別荘地だったところを神戸市に寄贈されたところから大倉山と名付けられ、大倉山公園として利用されている。

坂を登っていくと公園と野球グラウンドがある

 

丘のてっぺんには、屋根付きのベンチがあり、そこからの眺めは良い。近所がぐるり一回りを眺めることができる。

公園の中にはさらに小高いところがあり、その上に展望休憩所?がある

 

この公園の特徴は各都道府県の森が公園内に点在しているところだ。鹿児島県の森には、阪神淡路大震災で亡くなった鹿児島県出身の人の慰霊碑がある。

都道府県の郷土色が感じられる

 

ここまでは、普通の公園やねという話だが、やはりここにも歴史があるわけです。元々、大倉喜八郎氏の別荘だったが、主に初代兵庫県知事であった伊藤博文氏がここを利用し、ここからの景色をたいそう気にいってたそうな。大倉氏と伊藤氏は仲が良かったらしい。伊藤博文氏が 1909年ハルピンで射殺されたことを契機に、大倉氏は、この丘の上にに国会議事堂を模した台座を作り、その上に伊藤博文氏の銅像を作り、別荘と土地を神戸市に寄贈した。そして大倉山公園として開園した。

これが銅像の台座だとは知らなかった

 

公園内に伊藤博文氏の銅像が残っていないのはなぜ? 第二次世界大戦中の金属供出で、何と銅像も。。。ということで台座だけが残っているわけです。戦争が無かったら、銅像も残っていたのでしょうね。戦争中は、丘の上には高射砲を設置する計画があったようで、おそらく台座も丘の上から移動されたものだと思います。

公園内には、他にも第60回の兵庫県統一メーデーの記念碑があったり、第二次世界大戦の神戸空襲の記録碑「いのちと平和の碑」がある。軍需工場地であった神戸が B29爆撃機による大規模空襲によって 8000人近い人の命を失っている。

神戸空襲は神戸の悲しい歴史なのだ

 

公園の南にもこの大倉山の歴史に関係した建物がある。大倉山には、戦争が無ければ公会堂を建てる計画もあったとか。その計画が形を変えて「神戸文化ホール」になったと。生徒や学生のコンクールやフェスティバルに使われたりしていて、その役割を果たしていると言える。この神戸文化ホールは 50周年を迎える。

公園の南には 50th Anniversary を迎える「神戸文化ホール」が

 

こんな街の公園ですら、歴史の中で形を変えながら、記録を残す役割をしてるんやなと感じました。

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

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ではまた次回をお楽しみに ♣

 

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今年の1月からはじめて、週1回の投稿を続けてきました。今回で 2023年最後の投稿になりますが、来年も同じようなペースで投稿していこうと思うので、よろしくお願いします。読者の皆さま、良いお年をお迎えください。

 

教会で祝うクリスマス!

遠い昔の記憶、、、
12月に幼稚園でイエス・キリストの誕生の劇をしました。
マリアさまの役は優しくて人気のあったゆりちゃん、私はその他大勢の聖歌隊
ヨゼフ役のひろしくんの衣装は、ぼろ布のようで少しかわいそうに思った。
東方からきた博士のセリフが「おーごん(黄金)、もつやく(没薬)、にゅうこー(乳香)」だったこと。
昨日のことは忘れるのに、50年以上の前のことをこんなにちゃんと覚えているとは。

エスさまの誕生を祝うクリスマス
神戸にはいくつものキリスト教の教会があり、24日・25日にはお祝いの礼拝があります。
さすがに劇はしないと思いますが、イエスさまの誕生のお話を聞くことができます。

カトリック神戸中央教会(旧中山手カトリック教会)

ハンター坂を北に進み、パールストリートと交わるところに位置するカトリック神戸中央教会は、阪神大震災後で被災した灘教会・中山手カトリック教会・下山手教会3つの教会を統合して1999年に誕生しました。
聖堂は新しくモダンになりましたが、ステンドグラスの一部は1956年に再建された時代のものが継承されています。

主聖堂の採光による幻想的な雰囲気は、身も心も温かく包んでくれるようです。

神戸市中央区中山手通1丁目28-7

 

神戸バプテスト教会

北野坂を北に進み、異人館通りと交差したら右手に進むとすぐにかわいらしい教会が見えてきます。シンボルツリーはトウヒでしょうか。きれいに剪定され来館者を迎えてくれます。教会の横には光の丘幼稚園が併設されています。

神戸市中央区山本通1丁目7-27

あれ?シンボルツリーはヤシの木?ううっ、もうちょい右が写ってない。

 

神戸ハリストス正教会

一宮神社の北側にあり、民家の中に白くひっそりたたずむ会堂は、明治・大正・昭和の時代を経てこの地やって来ました。
正教会とはハリストス(キリスト)から弟子たちへ、その弟子達から次の弟子達へと二千年間連綿と受け継がれてきた歴史と伝統をもった教会です。
観光地として有名な函館ハリストス正教会や東京神田のニコライ堂と同じく日本正教会に属しています。”(教会のHPより引用)

神戸市中央区山本通1-4-11

丸い青い帽子のような屋根がエキゾチック。

 

日本基督教団 神戸教会

来年創立150年を迎えるこの教会は、神戸高速花隈駅」を北へ200m進み、山手幹線と交差する地点にあります。
長い歴史の中、女子教育の礎を築き神戸女学院や頌栄幼稚園とも深い関りがあります。
教会の横にいずみ幼稚園を併設しています。

神戸市中央区下山手通4-16-1

私が聖歌隊をした頌栄幼稚園は当時、神戸教会の少し北にありました。

神戸聖ミカエル教会

“1876年(明治9年)、来日した英国聖公会宣教師H.J.フォス師(神戸教区初代主教・松蔭女学校創設者)により神戸市中央区鯉川筋に設立された伝道所が当教会の前身です。1881年明治14年)に聖堂の定礎式を行い名称を聖ミカエル教会と定めました。”(教会のHPより)

神戸市中央区下山手通5-11-1

関連のセントマイケルズインターナショナルスクールがトアロードにあります。

 

神戸栄光教会

教会の鐘楼から毎日曜日に鳴る鐘の音は、元町駅まで届きます。
赤いれんが造りの教会を写生をしている大人や子供のグループをよく見かけます。
関西学院啓明学院と深いかかわりがあります。

神戸市中央区下山手通4-16-1

昔は、この教会の前を市電(路上電車)が走っていました。

ラウンジには教会の歴史や歴代の牧師さんの写真が展示されています。


神社やお寺に行くのと同じように、クリスマスに教会を訪ねてみるのも楽しいですよ。

※クリスマス礼拝の日時は、各教会のHP等でご確認ください。

いいね。やっぱり神戸が好き。

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ではまた次回をお楽しみに♦

 

えっ!神戸に国宝?! 太山寺と塔頭・そして大掃除

神戸市で唯一の国宝「太山寺」は

播州太山寺縁起」によると716年(奈良時代)に

藤原鎌足の孫・藤原宇合が堂塔伽藍を建立

開山(初代住職)は、藤原鎌足の長男・定恵(飛鳥時代の学僧)と書かれています。

 

この定恵という人は、若くして出家!

遣唐使と共に唐に渡ったと伝えられています。

 

ただ、建立当時の建物は1285年(鎌倉時代)に焼失

今の建物はそれ以降再建されたものですが

境内やその周辺から、奈良・飛鳥時代の痕跡が残る遺跡や出土品が無いので

実際の創建は平安時代あたりだと目されているようです。

 

そして、この太山寺が最も勢いがあったのが室町時代初めの頃で

支院41ヶ所・末寺8ヵ所・末社6ヶ社あったそうです。

 

 

今回、大掃除のお手伝いをさせて頂いたのが

当時の支院の一つ「龍像院」です。

 

境内の草むしりや、室内などを手分けして掃除をしました。

 

お昼には、新米の大きなおにぎりと香の物・豚汁のおもてなしをして下さいました。

お手伝いした後、みんなで頂くご飯はとてもおいしいですよね (*^^)v

 

 

大掃除の後、キレイになった境内で

人形供養をされるというので参加させて頂きました。

 

知っていれば、私も家に残っている人形を持ってきたのに…と

少し後悔です。

 

 

現在残っている支院は「龍像院」「成就院」「安養院」「歓喜院」の5つだけだそうで

私は室町時代から残っている塔頭の大掃除を体験できたということになります。

 

「龍像院」のご本尊は、聖観音菩薩!

悩める人を救い、とても大きな慈悲の心で私たちを癒してくださる役目を持っている

有難い菩薩様です。

残念ながら、この日はお目に掛ることが叶いませんでした。

 

今残っている、茅葺本寺は江戸中期のものと伝えられていますが

 

阪神淡路大震災後の1998年に修復され「神戸市有形文化財

に指定されています。

境内にある、碑や像・塔・建物などは、昭和に建立されたものだそうです。

 

ですが、689年間 そこにあり続ける…

歴史的重みに、感動と畏怖の念が湧いてきます。

 

 

さて大掃除の後

本家本元の太山寺にも立ち寄ってきました。

 

正式名称は「三身太山寺(さんしんざんたいさんじ)

天台宗(鑑真和尚が日本に伝え、最澄が広めた宗派)の寺です。

そして神戸市唯一の国宝に指定されているのが

1300年頃(鎌倉時代)に再建された本堂(幅21m・奥行18m)です

国宝の本堂

とにかく、広い!

朱塗りの柱に蔀戸(しとみど)! 銅葺きの屋根!

和風に中国風を取り入れた、なんとも伸びやかで優雅な姿のお堂です。

 

個人的には、蔀戸が大好きで

源氏物語に出てくる景色と重なり、心でタイムスリップします(笑)

 

ご本尊は、薬師如来(病気を治し、心身の健康を守ってくれます)

ご本尊 薬師如来

そして本堂の左手にある阿弥陀堂には

阿弥陀如来坐像(国・重要文化財)がおられ、お目に掛ってきました(^^♪

阿弥陀如来座像(国・重要文化財

鎌倉時代の寄木造りの座像で、高さはおよそ270cmだそうです。

中々のイケメンよ

 

本堂の右手には、三重塔兵庫県指定文化財があり

阿弥陀堂と共に1688年(江戸・元禄時代に再建されたものです

 

 

 

三重塔(兵庫県指定文化財

 

境内入口にある、

国の重要文化財指定の仁王門室町時代1334~1573中期建立)

現在の場所から2Km以上離れた、地下鉄伊川谷駅あたりにあったそうで

太山寺に勢いがあった頃は、そのあたりまで敷地だったのでしょうね。

 

寺のそばを流れる伊川の左岸には

鎌倉時代に掘られた兵庫県最古175cmの摩崖仏不動明王があります。

 

そこを訪ねようと歩いていたのですが

途中で足が攣りだし💦案内板だけ撮って引き返す羽目になりました

( ノД`)シクシク…

摩崖仏へ続く道

残念!

絶対にリベンジします。💪

 

 

晩秋の紅葉が見事な時期に

大掃除を体験し

歴史に触れながら時間を過ごせたのは何よりの癒しでした。

太山寺の秋

 

太山寺

住 所:神戸市西区伊川谷町前開224

 ☎ :078-976-6658

拝 観:8:30 ~ 17:00(12月~2月は16:30)

拝観料:300円

 

 

さぁ!自分ちの大掃除もしなくちゃ!💨

 

 

龍像院の来年の大掃除の予定は、12月3日(日)です。

誰でも参加できるようですので、

歴史を感じながら大掃除のお手伝いをしてみるのも悪くないですよ(^^♪

 

 

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

 

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ではまた次回をお楽しみに♥

 

ヴィッセル神戸 優勝!

祝、サッカーJリーグヴィッセル神戸が優勝!

阪神タイガースオリックスバッファローズの優勝に続く快挙で、神戸にゆかりのあるチームの活躍が目覚ましい年になりました。

11月25日に優勝を決定して、12月3日に優勝を祝う会がメリケンパークで開催されました。

神戸市長、兵庫県知事ら関係者がお祝いに集まりました。(ヴィッセル神戸HPより引用)

■優勝への軌跡

1995年 ヴィッセル神戸設立

    1月17日初練習が予定されていた日の朝、阪神大震災

1996年 JFL準優勝 Jリーグ昇格

2001年 ウイングスタジアム完成

2004年 三木谷会長がチームを受け継ぐ

2005年 J2降格

2006年 J1復帰

2012年 2度目のJ2降格

2013年 J1復帰

2017年 元ドイツ代表 ルーカス・ボドルスキ加入

2018年 元スペイン代表 アンドレス・イニエスタ加入

    元スペイン代表 ダビド・ビジャ加入

2020年 天皇杯優勝

2020年 FUJI XEROX SUPER CUP優勝

2023年 イニエスタ退団

2023年11月25日 J1優勝

 

阪神大震災は神戸に大打撃を与えて、その復旧のための地方債の返済が2020年3月で完済し、いよいよ街の活性化につながる積極的投資ができる状況になり、三宮の再開発などが進められています。

震災のこの日にヴィッセル神戸の初練習が予定されていたことは知りませんでした。震災を起点にした神戸の復興とヴィッセル神戸の軌跡が重なっていることに不思議な因縁を感じます。

ヴィッセル神戸会長の三木谷浩史ヴィッセル神戸HPより引用)

神戸出身の三木谷さんがヴィッセル神戸を引き受けることを決断した言葉が、神戸市からの「このままでは消滅します。」だったそうです。赤字覚悟の決断には神戸に対する想いと男気が感じられます。いろいろなことに挑戦していく三木谷さんにも声援を送りたいと思います。挨拶の最後に「楽天モバイルもよろしく」と言われたことが印象的でした。

 

■1万5千人のサポータが集まり初優勝を祝福

吉田孝行監督、全選手、スタッフが舞台に上がり、神戸市長久元喜造兵庫県知事齋藤元彦のお祝いの言葉、吉田監督、初瀬亮選手、三木谷会長、山口蛍主将、のユーモアたっぷりの挨拶は喜びに満ちあふれていました。優勝シャーレが掲げられた時、お祝いは最高潮に達しました。サポーターと選手が応援歌「神戸讃歌」の大合唱をして、みんなで幸せに酔いしれました。海辺では花火も上がり、V・I・S・S・E・Lの文字が花火で描かれて会場は大歓声に包まれました。

1万5千人のサポータで埋め尽くされたメリケンパーク

優勝シャーレを掲げて最高潮(神戸新聞NEXT12/3より引用)

 

クリムゾンレッドにライトアップされたモニュメント

神戸讃歌

俺たちのこの街に お前が生まれたあの日

どんなことがあっても 忘れはしない

共に傷つき 共に立ち上がり

これからもずっと 歩んでゆこう

美しい港町 俺たちは守りたい

命ある限り 神戸を愛したい

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

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ではまた次回をお楽しみに♠️

 

「和悦相楽」(わしてよろこびあいたのしむ) とは

 一粒で二度おいしいというのは、こういうことを言うのかもしれない。JR元町駅北西の住宅街のど真ん中にある庭園と異人館。敷地面積は 19,566㎡ (甲子園のグラウンド部分の面積は 13,000㎡) とかなり広い。「和悦相楽」(わしてよろこびあいたのしむ) から「相楽園」と名付けられて一般公開されている。

 

すぐ向こうにビルが見える。街のど真ん中なのだ
とにかく広い庭だ

 

門をくぐると、蘇鉄園や、りっぱな大クスノキがある。(どちらも樹齢は数百年という)

クスノキは樹齢500年と言われている

 

しばらく行くと庭園入り口があり、そこをくぐると住宅街とは全く別の世界が広がる。

庭園入口は小さいが中は広大だ

 

池泉回遊式 (ちせんかいゆうしき) と言われる庭園は、その名のとおり、飛び石や石橋を渡ったりしながら、庭園をグルッとひと回りできる庭園。途中には滝や小川や色んな種類の灯籠があり庭を形作っている。大きな池には鯉が泳いでいるところも見ることができる。

庭の中を歩き回れるのがいい
「和」を満喫できる空間だ

 

こういう庭園に居ると心落ち着くもので、やっぱり日本人なんだとあらためて思う。「和悦相楽」のとおり「和」を満喫できる空間である。写真が趣味の人にぜひはおすすめしたい。

庭園内には菊の展示があった。子供の頃には「菊人形」とかがあったように覚えている。また、船屋形が池の中央付近にせり出して置かれている。江戸時代に遊覧に使われていた屋形船の屋形部分だけを持ってきたもので、重要文化財となっている。これが上手く池の風景に調和している。

川御座船(かわござぶね)の屋形部分だけを移設。ここにしかないそうだ

 

一粒で二度おいしいこの相楽園には、もう一つの楽しみがある。それが「旧ハッサム邸」と言われる異人館である。元々は北野の異人館街にあったものを移設されたとのこと。邸内は公開されていて撮影も可。間取りは典型的な洋館の間取りで、正面中央に玄関を配し、廊下階段を中心にその両側に居室がある。

明治35年頃に建築。昭和38年に移設。これも重要文化財
フローリングの貼り方に特徴がある

 

玄関を入ったところの階段は見栄えも大切なところなのか、階段裏には見事な細工が施されている。異人館は階段の造作が凝っているものが多い。

階下から上の階が見えないように作られている

 

異人館の特徴的な間取りとして、裏には使用人の居室があり、渡り廊下でつながっている。コロニアルスタイルと言われている。相楽園に移設後も忠実に再現されている。

裏の建物から渡り廊下を使って食事を運んだりしていた

 

阪神淡路大震災で屋根の煙突が1階まで落ちてきたらしく、それが邸前の庭に記念のように置かれている。

今はきちんと屋根の上に復元されている

 

紹介してきたこの広大な庭園がまるでハッサム邸の庭のように思えるが、実は小寺さん家の庭なのである。その小寺さん家の厩舎(牛や馬などの家畜を飼っておくところ)がハッサム邸の横に残っている。

こちらも重要文化財

 

「和悦相楽」の「和」は、和と洋の調和の「和」と解釈してもいいかもしれないと思うぐらい和洋が上手く融合された「相楽園」でした。こんな場所が神戸のど真ん中にあるなんてね。

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

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ではまた次回をお楽しみに ♣