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身近に紅葉を楽しめる六甲山

■表六甲ドライブウエイを走る

石屋川沿いに六甲山を目指して車を運転します。神戸大学教育学部の横を通過して鶴甲団地を通り抜け、六甲ケーブル下駅を眼下に見ながら進みます。裏六甲や三田方面に抜ける六甲山トンネルの方向に進み、トンネルの手前を左に外れたところから表六甲ドライブウエイに入っていきます。ドライブウエイの両側には赤や黄色に色づいた木々が立ち並んでいます。11月の中旬から少しづつ色づき、11月末には最盛期を迎えている感じです。山の斜面を見ると黄葉する樹木がイロハカエデやドウダンツツジの赤色に相まって六甲山は錦絵のような多彩な色彩を描き出しています。

表六甲ドライブウエイで見られる紅葉

赤や黄色に色づいた樹木が綺麗

 

斜面全体が色づいている六甲山
紅葉を楽しみながら約20分のドライブ

どんな木がこんなに綺麗に赤や黄色になるのかを調べてみました。

■楓(カエデ)の種類

漢字の「楓」は本来「フウ」と読み「槭」が「カエデ」と読まれていたそうです。平安時代にそれが混乱してそれ以来「楓」が使われているそうです。

種類の見分け方は葉の裂けている数と大きさで見分けるようです。六甲山では★印の種類が見られると思われます。(間違ってるかもしれません(汗))

★「イロハモミジ」 裂数 3~7 、大きさ約5センチ

「ヤマモミジ」裂数 7~9  、大きさは約8センチ、北海道・東北に分布

「サトウカエデ」カナダの国旗に描かれている。英名「Suger Maple」を日本語訳されている。

★「モミジバフウ」公園や街路樹に多く見られる高木。裂数5~7 、もみじの葉に似ていることから命名された。緑からオレンジ、赤、紫と変化していくため、グラデーションが楽しめる。

「トウカエデ」江戸時代に唐から幕府に送られてた。裂数3   

★「イタヤカエデ」縁にギザギザがない 高木で黄色に色づく。

「ハウチワカエデ」葉の切れ込みが浅く、大きさが7~12センチ

★「コハウチワカエデ」葉が小型。緑、赤、黄のグラデーションが楽しめる。葉の切れ込みが浅い。

「ノムラモミジ」ノムラは「濃紫」。新緑が紫。秋は赤、橙、黄、緑と美しい。

また、六甲山で黄葉する樹木は「ダンコウバイ」「コナラ」「アベマキ」「シロモジ」などが多いようです。

■参考写真

イロハモミジ(”にわいろSELECT”より引用)、サトウカエデ(”GREEN PIECE”より引用)
モミジバフウ(”関西造園土木”より引用)、トウカエデ(”季節のは300”より引用)
イタヤカエデ(”四季の山野草”より引用)、ハウチワカエデ(”あきた森づくりサポートセンター”より引用)
ダイコウバイ(”四季の庭”より引用)、シロモジ(”きこりんの森”より引用)

■神戸市森林植物園を散策

六甲山系は明治中期までは、江戸時代から建築資材や燃料として樹木が乱伐され、大部分がはげ山でした。その後、開発とともに植林が進み現在の姿になったようです。

森林植物園は1940年(昭和15年)に「光輝ある紀元2,600年を記念すべき神戸市事業として種々熟慮の結果茲に我国に於ては未だ企画せられざる森林植物園増設を計画し、自然科学の普及の資とするは勿論併せて主要なる観光地造成せんとするものである」(原文)との計画で創設されました。

園内は、六甲山をはじめ日本の代表的な樹木や世界各地の樹木を、原産地別に約1,200種植栽しています。季節毎にイベントが企画され、秋には紅葉を中心にライトアップも実施されています。

滋賀県高島市で有名なメタセコイヤ並木

夜はライトアップされる紅葉のメイン通り
赤、黄色、緑のグラデーションが綺麗

黄葉のシンボルでもある大きなイチョウ

紅葉といえば京都や丹波に出かけることが多いですが、車で30分で行ける六甲山は気軽に秋を楽しめる場所だと再認識しました。

***

■人気のカフェの紹介

以前に紹介したカフェに加えて今回は2箇所を紹介します。

poko2023.hatenablog.com

【THIRD PLACE ROKKO】

六甲山小学校を通り過ぎて別荘地が点在する木立の中へ入っていくとTHIRD PLACE ROKKOにたどり着きます。カフェの解説には

『一人でコーヒーを飲みながらゆっくりと読書ができる場所、仲間と食事しながらわいわいとおしゃべりできる場所、居心地のいいと感じる場所は、人それぞれ。六甲山の自然の中、ゆったりとした時間や、山ならではの遊びを楽しむ皆さんの居心地のいい場所になりたい。そんな想いをこめて”THIRD PLACE ROKKO”と名付けました。THIRD PLACE ROKKOは、食事と遊びを通して、居心地がいいと感じていただける時間・空間を提供することを目指しています。』

と書かれています。まさにこの通りの空間だと感じました。

六甲山に似合うおしゃれな外観
暖炉もあるゆったりした店内
樹木に囲まれた野外ではBBQを楽しめる

【百合珈琲六甲山】

4月12日(土)にオープンした「百合珈琲(ユリコーヒー) 六甲山」は、1935年に別荘「紫映荘」として建築された建物をリフォームしたカフェです。

六甲ケーブル山上駅から徒歩5分ほどで行けます。6台ほど駐車場があります。11時にオープンするとすぐに満員なる人気のカフェ。実は今回で3回目の挑戦でやっと列ばずに入ることができました。

 『この施設は、1935年に別荘「紫映荘」として建築された建築物です。昭和初期の建築様式である昭和モダニズムマテリアルを残した珍しい建築で、テラスからは神戸港から大阪港まで見渡せる気持ちの良い環境です。

 長年弊社の保養所として活用されてきましたが、老朽化が進み近年は活用されないまま時間が経過していました。解体も止むなし、と考えていた時、神戸市の六甲山活性化推進の施策を知り、その一助となる活用ができればと考えました。可能な限り昭和の建築様式、家具、灯具を残しつつ、店舗として活用できるようリフォームしました。百合珈琲 六甲山様のカフェ運営のもと、四季を問わず、老若男女問わず、観光客や六甲山を楽しむ方にも昭和モダニズムを感じて頂きながらリラックスできる空間となればと願っています。』施設所有者、太陽鉱工株式会社より

当時使用されていた家具や灯具は”昭和レトロ”な雰囲気で、さらに洗練された店内デザインも加わり、心地の良い空間になっています。時間を忘れてこのままずっと居ていたいと感じました。

リフォームしたとは言え90年前とは思えないモダンな建物
昭和の落ち着いた雰囲気
家庭料理のようなランチセットとデザートをいただきました

可愛い内装や展示品
木々に囲まれた環境で大阪湾が一望できる

 

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ではまた次回をお楽しみに♠️

 

長田区の村へタイムスリップ!(その2)駒ヶ林村と駒林神社・いかなごのくぎ煮発祥の地!

前回の

長田区の村へタイムスリップ!(その1)長田村と長田神社 - もっと KOBE ずっと KOBE

続きです。

 

駒ヶ林村は、長田区の南、海のそばにありました。

今の駒ヶ林町や二葉・久保・腕塚・大橋・若松・日吉町あたりです。

 

この村の名前の由来は、諸説あります。

高麗の船が多く出入りしており

・その帆柱が林のように見え「高麗(こま)林」が訛って「駒ヶ林

・その船の出入りを「高麗返し(こまかえし)」が訛って「駒ヶ林

 

どちらにせよ海に面した村で、奈良時代から平安時代にかけての遣唐使船の出入りが大輪田泊で盛んだった時、駒ヶ林(現:長田港)で遣唐使船が船繋所として使われていました。船の駐車場みたいなものですね。

この辺りの海域は、古くから海上交通の良港として栄え、摂播五泊の一つとして数えられるほど重要な港でした。

 

平清盛厳島神社へ参詣の途中にこの駒ヶ林(記述では「小馬林」)に寄港した(1179年・平安時代と、中山(藤原)忠親の日記「山槐記(さんかいき)」に描かれています。

 

さらに、足利尊氏も1336年室町時代九州へ逃げる途中 駒林神社に参詣し、駒ヶ林の浜から船出したと伝えられています。

 

この駒ヶ林村も、大輪田泊と同じように古くから繁栄していた村だったようです。

 

今の駒ヶ林は当時と異なり、静かな漁港となり日曜以外魚市場で取れたての魚がセリにかけられています。

Google ストリートビューより

 

さて、平清盛足利尊氏などが参詣したという「駒林神社」は平安時代の頃から、遣唐使船や大陸との交易が盛んだったので、入国してくる外国人を検問する玄蕃寮(げんばりょう)という、今でいう所の税関にあたる出先機関がありました。

この場所は、務古の水門の一部にあたり古代の要津でした。


その役所内に祀られたのが、駒林神社の始まりと言われています。

玄蕃寮の仕事は、国内に災いが入り込まないように取り締まることでした。なので、その敷地内に祀られていた駒林神社は、厄災を祓う宮「厄除けの宮」として崇められています。

南側海に面した鳥居     本殿と石柱の鳥居     東側にある神社の石柱

今の駒林神社は、住宅街の真ん中に寄り添っている佇まいになっています。

そして、本当に海の側で目の前が船着き場になっています。

 

 

桟橋から、神社の鳥居が見えます!

 

久しぶりに、潮の香りと打ち寄せる波の音に出会えて癒されました。

漁船もあり、漁業で営んでいる様子が分かります。

 

そして神社の鳥居の際に、「いかなごくぎ煮発祥の碑」が建っています!

 

 

神戸っ子なら、誰もが知っていて・誰もが作れる「いかなごくぎ煮

毎年春になると、どの家からもくぎ煮を炊く匂いが流れてくるという、神戸の春の風物詩です。

そのくぎ煮の発祥の地が、駒ヶ林だとは知りませんでした💦

 

実は、垂水にも「いかなごくぎ煮発祥の地」という碑がありまして💦

 Google Search  より画像はお借りしました。 

 

垂水の「いかなご」はこませ網漁で獲れた稚魚(しんこ)でくぎ煮を作っていました。

こませ網漁とは、潮の流れに乗って移動する魚を、袋状の網を潮流に沿って設置して待ち伏せて獲る漁法

 

それに対して長田は、底引き網漁で海底に居る「いかなご」の親魚(ふるせ)でくぎ煮を作っていました。

底引き網漁とは、船からワイヤーで連結した大きな袋状の網を海底に沈め、船を移動させて網を引くことに より、海底にいる魚介類や甲殻類を獲る漁法

 

平安時代の頃より、いかなご漁はあったようですが「くぎ煮」がいつから始まったのかは定かではないようです。

 

ですが、昭和10年出版の「滋味風土記」(魚谷常吉著)の中に「釘煎」とあり、美味しいいかなごの「釘煎」を手に入れたければ、駒ヶ林の漁業組合か・垂水の魚市場にと書かれてあります。*1

戦前には、すでに馴染みの味だったのですね。

私も子どもの頃のいかなごくぎ煮は、ふるせの太いくぎ煮を食べていました。

(左)ふるせのいかなごくぎ煮 https://zako-akashi.shop-pro.jp/?pid=162359407               
(右)新子のいかなごくぎ煮 https://store.shopping.yahoo.co.jp/bouze-karasumi/ik-0100.html
* シーズンOFFの為、画像はネットからお借りしました。

 

最近では、しんこサイズのくぎ煮が主流になっているように思われますが、ここ数年不漁で庶民の手に届かなくなっており、寂しい限りです。

 

さて、この駒林神社には古くから伝わる「左義長祭り」というけんか祭りがありました。火祭りの一種で、988年(平安時代)に宮中行事を模して始まったとされています。毎年1月15日に行われ、三基の「お山」の内二基が東西に分かれ、漁場を巡って地引網の網入れの優先権をかけ、10mの高さの「お山」を、100人ほどの漁師が担いで浜辺で倒し合いをする祭りはその年の漁獲が掛かるけんか祭りでした。

駒林神社が、その東西に真ん中にあったため行司役を務めたそうです。

 

ただ、浜が埋め立てられたことなどから1959年(昭和34年)を最後に途絶えました。1993年に神戸市のイベントとして1度復活したことがありました。*2)

 

34年ぶり復活 駒ケ林左義長(番外編) | 深デジ | 神戸新聞NEXTより画像をお借りしました。


こうして長田区の村をタイムスリップしてみてみると、神戸の街は古くから港と関係して繫栄していたことがよく分かります。

 

 

参考資料

 

*1)「いかなごのくぎ煮発祥の地」石碑除幕式 | 株式会社伍魚福 代表取締役社長 山中勧ブログ

*2)長田にも「けんか祭り」? イカナゴ漁の順番競う | M's KOBE - 神戸新聞NEXT

 

 

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ではまた次回をお楽しみに♥

 

続・レコード事情@KOBE

 

2024年の5月に「レコード事情@KOBE」という記事を書いたところ、Google や Yahoo などの検索エンジンからコンスタントにアクセスがある。やっぱりレコードは人気・関心が高いのかと思い、続編を書いてみようと思った。前回は大手チェーン店ではない店を中心に紹介した。どちらかというとマイナー路線だったわけだが、今回はさらに個性的な店の紹介になるだろう。神戸、花隈、元町界隈でちょっと個性のある店を紹介していこう。

(前回の記事はこちら)

 

■ CARAVAN RECORDS

花隈公園の東の道路に沿って 100m ほど上がったところ。歩道に看板が出ている。それを見過ごしてしまうと通り過ぎてしまうぐらい入口が奥まったところにある店。

右側の歩道を登ったところ
短い階段を登った右奥に店がある


店長はカナダ人。愛想が良くて、精一杯の日本語で話しかけてきてくれる。多くはカナダからの輸入レコードで、中古と新譜が混在している。ジャンルはロック中心。日本の中古も少しだけある。ロックは、どちらかというとマイナーなものが多い。
超メジャー(Led Zeppelin とか)は見当たらなかった。店内はきれいで、壁面にもレコードが陳列されている。全ての箱にはレコードが均等に適度な量で置かれているので探しやすい。特徴的なのは、値段が 500円刻みであること。店の都合なんだろう。1,500円から6,000円まで 500円刻みとなっている。ボリュームゾーンは 2,000円かな。壁面に陳列してあるレコードは、少々高めのものが多い。

 

■ THE TRASH RECORDS

高速神戸駅を東改札口で下車し、湊川神社の西側に出る出口から地上に上がったところから西へ向かう。徒歩で3分程度か。しかし、なかなか見つけにくい。

高速神戸駅から地上に上がったところ
右手(東側)が湊川神社 左手(西側)に向かう

どんな店なのか興味津々

実は2度来たのだが、運悪く休みだった。また、機会にめぐまれたら、そのときに追記するとしよう。今回は店の入口だけの紹介。

 

パラドックスレコード

JR元町駅西口の道路に面した元町プラザビルの3階にある。ここも看板を見落とさないことがポイントだ。

看板のある入口から階段を登って3階へ
「見つけた」って感じか

店内は明るく、中古レコードと中古CDの販売だ。看板が「売ります」だけになっていたので、買い取りは今はやっていないようだ。中古レコード店は、レコードをジャンルごとに整理していることが多いが、ここは極力アーティストごとに整理しているので、探しやすい。洋ロックが中心だが、国内の古いロックやフォークもそこそこの量があった。Jazz と Classis はあるにはあるが、足元に置かれているので探すのがつらい。腰が痛くなる。メインがロックだから仕方ないか。LPレコードの値段は 1,000円から2,000円がボリュームゾーンかな。45回転のドーナツ盤もけっこうある。

 

***

LPレコードの人気の要因は何だろうかと考えてみる。レコードプレイヤーで音を出すときのアナログ感もあるだろうが、レコードジャケットにも魅力があるのではなかろうかと。特にロックにおいては、イギリスのデザインアートグループ「ヒプノシス」の影響は大きいと思う。ピンク・フロイドのアルバムデザインで有名だが、他にも数多くのアーティストのアルバムデザインを手掛けている。作品集からいくつか紹介しておこう。

ヒプノシスによるピンク・フロイド
魔訶不思議なアルバムデザイン

 

超メジャー「聖なる館」Led Zeppelin

 

さまざまなロックアーティストの
アルバムデザインを手掛ける

 

(左) え?これも、、、知らなかった
「昨晩お会いしましょう」松任谷由実

 

同じデザインでもCDのサイズだと芸術性を感じるインパクトはない。30cmのLPのジャケットにしかない魅力なんだろうと思う。

 

さて、話をレコード店探訪に戻そう。元町の穴門(あなもん)商店街近辺にも中古レコード店が多い。前回のブログで紹介したリズムボックスやハックルベリー以外にも個性的な店がある。

JR元町駅東口を南側に渡ったところが穴門商店街

 

■ RocK’n Roll Aids Production

穴門商店街の入り口から少し南下したところにある。細い階段を上がった2階の店。前回の記事でも書いたが、なぜか2階の店が多いのだ。

2階の看板は一部が壊れているが、、、

 

この店は、販売も買い取りもやっている。看板のとおり、洋ロックが中心。ジャンル分けは「'70 UK ROCK」「'80 アメリカROCK」ぐらいのレベルで整理されている。単に ROCK だけよりは探しやすいだろう。日本のPOPSというボックスも2つほどあったが、ユーミンもあれば演歌もあるといった感じ。Jazz は1ボックスぐらいで少ない。ミュージックテープ(カセットテープ)も販売していた。CDも十分な量あった。値段は 800円から 2,500円ぐらいがボリュームゾーンで幅が広い。お買い得に巡り合える可能性もありそう。メジャーなのは少ないが、ちょっとマイナーなのが好きな人には探しがいがある。

店内は縦長で、両サイドにレコードが置いてある

 

穴門商店街の東西の筋にも色んな店がある。その中にも中古レコード店もある。

革靴の修理屋からBARまでさまざま

この奥の方に外階段が螺旋階段のビルがある。その2階にレコード店がある。

 

■ 汎芽舎 (hangesha record store)

ちょっと変わった看板の横の螺旋階段を登る

ここは、他の店とはちょっとジャンルが違う。New Wave, House Music, Disco, Soul などなど。World Music というのだろうか、色々な国のレコードがある。国内ものも、その一つとして Japanese というジャンルで整理されていた。申し訳ないが得意分野ではないので、どれが新譜でどれが中古かもわからない。プライスレンジも、うまく説明できません。すいません。

なかなか個性が強い店だった。穴門商店街からさらに南に下って元町商店街を横切って、中華街にやってくる。中華街も東西に走るメインストリートから脇へ入る南北の筋は、中華とは関係ない店も多い。その中に中古レコード店もある。

 

■ Disc Garden (ディスク・ガーデン)

店の周辺と看板の画像のみですいません


この店は販売も買い取りもやっているが、ジャンルは Classic のみ。他のジャンルは全くない。レコードの保有量は多い。ゆえに Classic を探したい人にはおすすめ。Classic も得意分野ではないので、プライスについても何ともコメントしようがありません。こちらもすいません。

 

花隈、元町界隈の2階に多く存在している個性の強い中古レコード店の数々。その個性で、大手チェーン店に負けないように頑張り続けてほしいと願う。微力ながら応援するので。

 

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ではまた次回をお楽しみに ♣︎

 

クリスマスを待ちながら楽しむ シュトーレン!2025年

 日本のクリスマスの定番になっているドイツの伝統菓子のシュトーレン。まだ11月中旬ですが、もう販売が始まっていたり、注文が締め切られているお店もあります。
いつの間にやら、大人気になったシュトーレンにはクリスマスケーキのような華やかではないけれど、アドベントに入り薄く切って、少しずつおやつにいただくのが楽しいお菓子です。

 今年も美味しいシュトーレンをご紹介します。

 

mont plus(モンプリュ) シユトーレン

中央に薄く延ばしたマジパンが入っていて、オレンジ風味が特徴


林シェフが作るお菓子で人気のモンプリュは、元町の南の海岸通りにお店があります。Cafeやお菓子教室のスタジオも併設されていて、ステキなスポットです。

販売期間:11/1(土)~12/25(木)*無くなり次第終了

★パティスリー モンプリュ 本店★
〒650-0024 神戸市中央区海岸通3-1-17
TEL & FAX: 078-321-1048

 

BOULANGERIE PAUL BOCUSE (ブーランジェリー ポールボキューズ)

ショコラ・シュトーレン 中央にあるのは栗ではなく、マジパンでチョコ好きにおすすめ

大丸神戸店に入っている、パンの「ブーランジェリー ポールボキューズ」。
プレーンなタイプもあります、小ぶりなのでショコラと食べ比べしても楽しい。

★大丸神戸店/ブーランジェリー ポールボキューズ★
神戸市中央区明石町40番地
078-335-0828
※店舗はこのほかにもあります

TOOTH TOOTH(トゥース・トゥース)シュトーレン

封を開けると芳醇な香りが漂い、ナッツやレーズンが甘く口の中に広がります


 この商品は店販売のみですが、ONLINEで別の種類のシュトーレンが販売されています。

 トゥース・トゥースは、お菓子だけでなく包装までもデザインが凝っていて、渡した瞬間に喜ばれます。シュトーレンも黒っぽいのとアイボリー(写真)の2種類の包装紙がありました。

★PATISSERIE TOOTH TOOTH 本店★
神戸市中央区三宮町1丁目4-11ラティス三宮 1F/2F
TEL 078-334-135
※店舗はこのほかにもあります


FREUNDLIEB(フロインドリーブ) シトーレン

ずっしりとして、バターの風味をしっかり感じるシンプルだけど忘れられないおいしさ

 予約は終わっていますが、店頭販売はまだ購入できます。
本店の生田町のお店は、旧神戸ユニオン教会をリノベーションして作られていて、2階のCafeは天井が高く広々とした空間を楽しめます。これからの時期ははクリスマスの飾りがステキです。

★フロインドリーブ 本店 SHOP&CAFE★
〒651-0092 神戸市中央区生田町4-6-15
078-231-6051
※店舗はこのほかにもあります。

販売がこれからのおすすめシュトーレン

LE PAN( ル・パン)の「クリスマス シュトーレン
販売:2025年12月1日(月)~
3年ぶりぐらいの販売で、嬉しい~!
「福寿 純米吟醸」に漬け込んだドライフルーツが美味しい!

★ル・パン総本店★
〒650-0041 神戸市中央区新港町1-12 ラスイートルパンビル1階
TEL:078-391-7777

DONQ(ドンク)
シュトーレン」はもう販売されています。
 販売:2025年11月1日(土)~12月25日(木)
 マジパン入りの安定のおいしさ
「栗のシュトーレン
 販売:2025年12月5日(金)~ 
 シュトーレンというより、栗の目の詰まったパウンドケーキって感じ。
 ごろっとした栗が入っていて、シンプルな美味しさが楽しめます。

★ドンク 三宮店★
神戸市中央区三宮町2丁目9番6号
078-391-5481
※店舗はこのほかにも全国にあります。

シュトーレンの食べ比べが出来るイベント情報

シュトーレン クリスマス」
神戸阪急
●11月26日(水)~12月2日(火)
●本館地階 フードステージ
〒651-8511 神戸市中央区小野柄通8丁目1番8号
三宮駅各線からすぐ

昨年の情報ですが、いろんなお店のシュトーレンが販売されていました。
一切れサイズの販売もあり、手軽さがうれしい。
ただ人気があり、ものすごく混むのでその心づもりで行ってくださいね。

ご注意!
商品の情報は、店員さんに聞いたものが主なので、お店の情報は事前に電話で確認してくださいね。
また、シュトーレンはちょっとお高めなので、価格も確認してから注文してくださいね。

 

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ではまた次回をお楽しみに♦

 

六甲山材へのこだわり、棚の製作【最終回】

いよいよ棚製作の最終回です。

初回は製材屋さんから購入した原木を板に加工するところ、中盤では板材をハギ加工して幅広の板材を作るところを紹介しました。

poko2023.hatenablog.com

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最終回では板材を組み立てて棚にする工程を紹介する。

 

■棚の背面にベニア板を張るための溝加工

5mmの溝を作るために、丸鋸の歯の出具合を5mmに調整する。試し加工をしてノギスで深さを確認する作業を何回か繰り返す。溝加工は棚の天板、底板、側板2枚に行う。丸鋸の歯幅は3mmなので2.5mm程度ずらして5.5mmの溝に加工。

 

右写真のハンドルを回して左写真の丸鋸の歯の出具合をを調整

 

■組み立て方法を検討

底板と側板、天板と側板を直角に貼り合わせるために板のハギ加工と同様のビスケットを用いる方法とダボを用いる方法を検討し、簡単なビスケットを用いる方法にした。ダボの場合は穴加工の精度が重要になるので手間がかかるからだ。

また、棚板を固定にするか、可動にするかも迷ったが、棚板の位置を変えることはほとんど無いと考えて、固定にすることにした。

■組み立て用にジョイントカッターでビスケットの溝加工 32箇所

今日はジョイントカッターの失敗が多かった。溝深さ調整ボルトが動いているのに気が付かず、浅い溝になってしまった。加工前に確認が必要なことを学んだ。また、溝の位置(基準面からの高さ)調整が上手く出来ていなかったので溝が板の中央じゃなく偏った。これまでは機械の調整はラボの責任者の野口さんがやってくれていたのでうまく作業が出来ていた。失敗をして初めて準備作業の重要さがわかる。

ジョイントカッターの調整、溝深さ調整(中央)と高さ調整(右)

■組み立て工程

組み立ては1)棚板と側板→  2)底板の接着 → 3)背面板の挿入 → 4)天板の接着の順で行った。

1)棚板と側板の接着

初めはクランプを使わずにやろうとしたが、2枚の棚板を同時に組み立てていくのは1人では到底出来ない作業でパニックに陥った。考え直して棚板を一枚ずつクランプを用いて固定してなんとか出来た。

2)底板の接着

底板に接着剤を塗りその上に棚板を組んだものを載せる。ビスケットをピッタリはめ込んで棚板部分の重量で仮に固定。

3)背面板の挿入

背面板(5mmベニア板)を溝に滑り入れるつもりだったが、溝幅と板厚がぴったりすぎて簡単に入らなかったのでトンカチで叩きながら入れていった。板厚5mmのベニアだったので5.5-6mmの溝を作ったが、7mmの溝でも良かった。この感覚も経験しないとわからない。

4)天板の接着

最後に天板のビスケットをはめ込んで接着、クランプで上下に締め付けて固定。

 

上下左右をクランプで固定して接着

 

■棚の完成

仕上げのサンダ掛けとオイル塗装が残っているが、とりあえず形を完成することが出来た。段差ができてしまった所はあるが、カンナにより修正を行う。自己採点で90点、上手く出来たと思う。

何の変哲も無い箱型の棚だけど苦労した分だけ愛着が強い



木目が綺麗。六甲森林植物園で育ったヒマラヤスギがこんな形で再利用。

■今回の棚製作を振り返る

(良かったこと)

・木工工房六甲山クリエイティブ・ラボを見付け、責任者の野口僚さんと出会ったこと。野口僚さんは木材や木工について詳しくたくさんのことを教えてもらった。

・原木から板材を作る体験が出来て製材の全体像を知ることが出来た。六甲山の木材で家具が作れることなど想像もしなかったが実現出来た。

・六甲山材にこだわって棚を製作して、手間と時間はかかったが効率化とかコストでは測れない価値を感じることが出来た。DIYの深みにはまり込んでこれまで以上に楽しさを感じた。

(学んだこと)

・普段使うことない機械(帯鋸、プレーナー、精密な丸鋸など)の使い方を習い、精密に家具を製作するコツを掴んだ。

・ハギ加工の難しさを体験し、初期に素材を精度よく加工することとクランプをうまく使いこなすことの重要さを知った。

(謝辞)

・野口僚さんをはじめスタッフのクリエイターの方々に感謝する。親切な対応、生き生きした仕事への取り組みに接して楽しく作業が出来た。

 

■KOBE WOODについて

2025年6月1日より、神戸産の木材に関するブランド「KOBE WOOD」が誕生した。神戸産木材を使った家具や小物製品にロゴを付けることができる。

神戸の森林・里山・まちを未来につなげたいと願う一人一人の取り組みが積み重なり、波紋のようにどこまでも大きくなって広がっていく、そんな想いが込められているようだ。「KOBE WOOD」の他地域に無い特徴として、立っている木にも「KOBE WOOD」の利用を認め、自分の木が成長して伐採された後も家具やベンチ、小物に加工されて「KOBE WOOD」のブランドを利用できるようだ。まさに何十年の期間に及ぶサーキュレートエコノミーの取り組みだと感じる。素晴らしい取り組みだ。

今回製作した棚にもぜひKOBE WOODのロゴを付けたいと思う。

 

■番外

10月23日には二十四節気の一つ「霜降(そうこう)」に合わせた恒例行事で六甲山小学校でストーブ火入れ式が行われた。六甲山では一足早く冬を迎えようとしている。紅葉も始まりあちらこちらに赤や黄色の葉っぱを見かける。シャキッとする寒さが気持ちを引き締める。

 

六甲山小学校での火入れ式(神戸新聞NEXTより引用)

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ではまた次回をお楽しみに♠️

 

長田区の村へタイムスリップ!(その1)長田村と長田神社

「長田」という地名の由来は、弥生時代から農耕社会が発展していて神戸地域で最も広く長い田の広がる地域、という所からこの地名が起こったようです。

この地名は、日本書紀にも記されているので奈良時代以前にさかのぼる地名ということになります。(参照資料★P5)

 

安土桃山時代にあったという、長田区の村は七つ!

長田村・池田村・西代村・駒ヶ林村・東尻池村・西尻池村・野田村

 

地図にするとおおまかに、こんな感じに区割りされていたようです。

フリーハンドで境界線を引いたので、キレイに引けず申し訳ありません。

 

 

そして、それぞれの村には

神社があり人々が大切にお祀りをしていました。

 

長田村:長田神社(長田区長田町3丁目1−1 )

池田村:池田祇園神社(長田区池田寺町7)

    天照大御神(長田区池田宮町35)

この二つの神社は、同じ由緒書きです

 

東尻池村:射場八幡神社(長田区東尻池町1 - 14 - 4)

かつては東尻家村と西尻池村は、併せて「真野」と呼ばれていたので真野地域で射場八幡神社を祀っていたものと思われます。

 

~ 以上の神社は、今「長田神社」が管理しています。~

 

西台村:高取神社(長田区高取山町103−7)

    五位の池神社(長田区五位ノ池町4丁目7−6)

* この二つの神社は独立して存在しています。

 

駒ヶ林村:駒林神社(長田区駒ケ林町3 - 7 - 3)

野田村:幸殿社(長田区野田町7-7-1)

駒林神社が管理しています。

 

本当に昔の日本人は、信心深かったようですね。

 

 

長田神社

この神社の歴史は、古い!

創建が、西暦201年! なんと、日本書紀に出ている。

その中で、神武皇后が「長田の国に我を祀れ」という信託を受けて創建したと、伝えられています。

 

長田は弥生時代から発展してきた農耕社会で、人々が豊作を祈り信仰の対象としたのが長田神社でした。(参照資料★P6)

 

社格は、官幣中社

 

因みに全国で官幣中社は23件しかなく、そのうちの3件が神戸市内にあります。

 

生田神社中央区)・長田神社(長田区)・海神社垂水区

 

一番多いのは、当たり前ですが古都・京都市の5件でした。

神戸市は、2番目に多いのです。スゴイですね!

昔は神社を11段階にランキングしていた!国家神道の名残・社格制度を紹介 | 歴史・文化 - Japaaan - ページ 2

より

これも、大輪田泊という港が古くからあったおかげです。

 関連ブログ 1)・2)・3)・4)

 

今回は山陽電鉄で「高速長田駅」から向かいました。

地下の駅から地上に顔を出したところの交差点に

「式内 長田神社」の石柱が立っています。

この「式内」とは、10世紀初頭にまとめられた「延喜式」の「神名帳」に記載された神社のことで、朝廷の管理下にある官社として認められていました。(by AI)

長田神社は、そういう神社だったのですね。

官幣中社」という神社格は、明治になってから与えられた社格ですが「式内」を見ると、古さというか有難さが伝わってきました。

 

神社の中はこんな感じになっています。

 

①西鳥居          ②手水          ③本殿

ここの手水がとてもユニークで、四方八方から使う事が出来るようになっています。

人が近づくと水が流れるセンサーが付けられていました。ハイテク!(笑)

 

そして見取り図 の「高取山遥拝所」があります。

私の育った家が、高取山の登山口にありました。

そしてその高取山の山頂には「高取神社」があり、これまた長田神社と同じほどの歴史のある神社です。江戸時代の終わりころには、西代村の鎮守神氏神様として敬われており、明治以降境内の整備が整うと崇敬者は激増したという神社です。

高取山の頂上にあり、子どもの頃に何度か登ったことはあるのですが、今はとても行く自信が無いので、この遥拝所に手を合わせ「無事にここまで過ごせている感謝」の気持ちを伝えました。

高取神社            遥拝所         神撫山遥拝所

*高取神社の写真は 高取神社|兵庫県神社庁 神社検索  お借りしました

遥拝所板に「神撫山」とありますが、古く昔は高取山を神撫山(かんなでやま)呼んでいました。神様が撫でる山…なんて、とても有難すぎる名前だったのですね。

そんなこと何も知らずに。大きくなりました💦

 

境内には色々な末社が祀られています。

すべて登録有形文化財です

そして、長田神社といえば…

大楠!(神戸市指定の天然記念物)

東の鳥居を入ったところにそびえ立っています

 

長田は

「長田の国」(弥生時代

  ⇓

「長田郷」(平安時代前期★P15)

  ⇓

「長田村」(安土桃山時代★P30 )と名前が変遷しています。

 

元禄3年(1690年)八部郡内村々書出帳に

中ノ庄長田村が、戸数141軒・人口618人(男293・女325)

という記録が残っています。★P35

単純に割り算をしてみたら、一軒当たり4人家族となりました。

現代と変わらない家族構成だったのかな?と思うと、親近感がわいてきます。

 

そして、長田村の村人たちが氏子となって、長田神社の重要な神事を支えてきました。

約650年前から神社で行われている「追儺式(ついなしき)」は、神の代理を務める鬼役などのすべてが長田村の氏子に限られています。

鬼役を務める七人は、基本長男として生まれた人だけが務められます。

画像は 長田神社古式追儺式 | 長田神社 よりお借りしました。

追儺式の神事の内容も、併せてご覧ください。

神社と氏人たちによって貴重な神事が、室町時代から今に至るまで七人の鬼が厄を祓い続けているという、神々と人々との結びつきのとても強い祭りです。1)

 

 

自分が生まれ育った所ということもあり、熱くなりすぎ長くなって仕舞いました。

続きは次回へ持ち越します。

次回は、駒ヶ林村と駒林神社です。

 

参照資料

★ https://www.city.kobe.lg.jp/documents/21294/nagata-history.pdf

1)https://okumiya-jinja.com/interview/interview009/

 

関連ブログ

1)はじまりは兵庫津(ひょうごのつ)から - もっと KOBE ずっと KOBE

2)江戸時代の神戸 ☆ 酒・物流・兵庫の津・参勤交代・本陣 - もっと KOBE ずっと KOBE

3)鎌倉時代の神戸の栄光・奈良の大仏の修復にも一役買う!そして、日宋貿易と新仏教 -

もっと KOBE ずっ と KOBE

4)平安末期の神戸☆平清盛により繫栄する❕ - もっと KOBE ずっと KOBE

 

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

もっと KOBE ずっとKOBE

ではまた次回をお楽しみに♥

 

「街」と「人」と「音楽」と

10/12 (日) 神戸では、いくつもの音楽イベントが催された。神戸ジャスストリート、神戸元町ミュージックウィーク、宇治川音楽祭。街中を歩いていると、どこからともなく音楽が聞こえてくる。街全体が音楽で溢れていることはいいことだ。順番に歩き回って、見て聴いてきたので紹介しておこう。まずスタートは、北野坂から。

 

神戸ジャズストリート


10/11 (土)、10/12 (日) の2日間の開催。神戸ジャズストリートの第1回目は 1982年で、今年で 42回目になる。ジャズストリートとは北野坂を指しているらしい。その北野坂を中心に、ライブハウスやクラブや教会などの会場で生演奏が聴ける。

 

北野坂やトアロード付近に会場がある
左:ジャズライブ&レストラン「SONE」
右:神戸女子大教育センター
左:神戸北野ノスタ 右:クラブ月世界

 

基本は有料のイベントが多い。1日券で 4,600円 (前売りで 4,100円) 2日券で 8,700円 (前売りで 7,700円) となる。有料でないと楽しめないわけでもない。両日ともパレードがあり、サンキタ広場では無料のコンサートもやっている。

 

左:パレードの様子
右:サンキタ広場のミニコンサート

三宮から元町に向かって歩き、元町商店街の入り口に着く。ここからは、神戸元町ミュージックウィークの会場になる。

 

神戸元町ミュージックウィーク


10/4 (土)~ 10/12 (日) 元町商店街周辺地域で色んな音楽ジャンルのミニコンサートが聴ける。1998年の震災復興のイベントとして始まって、今年で 26回目になる。最初の頃は、元町商店街には、ヤマハ神戸店、ファミリアホール、神戸風月堂ホールやライブハウスもいくつかあったのだが、今はアマデウスのクラッシクサロン、BASS ON TOP (萬屋宗兵衛のあと) ぐらいになった。それでも商店街の店先のあちこちでミニコンサートをやっており、これらは無料のイベントなので、元町商店街を歩きながら楽しめるのである。

 

元町商店街の端から端までが会場
左:準備中の会場 右:聴衆は目の前に。。。

商店街の通行を妨げてはいけないので、どうしても前後に余裕がないセッティングになってしまうが、皆さん工夫して頑張っていた。

音楽ジャンルは本当に多種多様


元町商店街を 1丁目から 6丁目まで歩き商店街を出て、少し北に上がると、メルカロード宇治川という看板が見えてくる。ここが宇治川音楽祭の会場となる。

 

宇治川音楽祭


10/12 (日) 10:30~18:30 宇治川商店街を通行止めにしてステージを作って、主にロックを中心とした音楽イベント。イベントの呼び名がいい。"UJI ROCK" どこかで聞いたような名前だ。昨年までは、商店街を横断するような形でステージが作られていたが、今年は商店街に沿った形でステージが作られていた。人の流れとしては、こちらの方がいいのかな。このイベントは全て無料だが、物販のエリアでは出演バンドのグッズを売ったり、飲食のエリアでは、商店街が出店を出したりして、経済効果も多少はあるのだろう。

 

右は普段の宇治川商店街の様子


UJI ROCK! なかなか迫力がある。10:30~18:00 の間に 12のバンドが入れ替わる。ミキサーのエンジニアの人も大忙しだ。

SUNBEAMS, explosion という2つのバンドを聴いた。explosion は、皆が良く知っているメジャーな曲を演奏してくれたので、会場は盛り上がっていた。

 

左:SUNBEAMS 右:explosion

 

UJI ROCK というだけあって、なかなかのエネルギーだった。ちょっと一休みしたくなったので、喫茶フレンドでコーヒーをいただいた。このお店は 1916年(大正5年)創業とのこと。神戸で現存する喫茶店では最も古いそうです。

 

落ち着いた空間がある昔ながらの喫茶店


北野坂、三宮、元町、宇治川と音楽に溢れた1日でした。

 

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ではまた次回をお楽しみに ♣︎

 

北野さんぽ 美術館のようなシュウエケ邸

 三宮の山手、北野町のすぐ南に異人館通りと呼ばれる東西の通りがある。
その通りに仲良く並ぶ、2件の異人館

左が「旧門兆鴻邸(きゅうもんちょうこうてい)」で左が「シュウエケ邸」、ともに設計者はアレクサンダー ネルソン ハンセル(Alexander Nelson Hansell)。この近くでは「萌黄の館」(小林家住宅)、長崎の香港上海銀行や京都の同志社「ハリス理化学館」など数々の名建築が今も残っている。
※「旧門兆鴻邸」を「旧ディスレフセン邸」、「シュウエケ邸」を「旧ハンセル邸」と記述していることもあります。
この度は、右の「シュウエケ邸」を訪ねてきました。

 公開されている異人館の多くは、神戸市などが所有者から買い取っていることが多いのですが、ここシュウエケ邸は今なおシュウエケ家が所有されています。

シュウエケ家の紋章 ユニコーンは優雅さと純粋な心、ライオンは力・コミットメント・決意を表す

 この館は1896年にハンセル氏によって建てられ、しばらくはハンセル氏自身が住んでいました。(2階のベランダで撮った、娘さんの結婚式の写真が残っています。)
その後の1945年の神戸空襲を乗り越え、戦後はアメリカ兵の住居、スイス領事館、造船会社として利用され、1954年にユダヤ人貿易商のエズラ・シュウエケ氏が所有することになります。それから今日に至るまでシュウエケ家がこの館を守り続けています。


 この館のスゴイところの1つは、約130年前から現存している事や建築家ハンセル氏の様々な試み(様式の組み合わせ)が見られること。ガイドブックには「技の宝庫」とも書いてあります。
 私の感動は、美術館のような絵画の数々が手の届くところに飾られていること。
スタッフに『こんなに展示して大丈夫ですか?』と聞いてしまうほど。この館を引き継いだエズラ・シュウエケ氏の息子さんたちの意向で、近くで鑑賞できるようにしてくださっています。


現在は公開しているだけでなく、映画(ドラマ)撮影、結婚式、フォトウエディング、個展、ミニコンサート、パーティー、フォトイベントとしてレンタルすることができます。
季節がよくなって来たので、「北野さんぽ」をお楽しみください。

お庭から見るシュウエケ邸、右に旧門兆鴻邸も見えます。

シュウエケ邸
〒650-0003 神戸市中央区山本通3丁目5-17
TEL 078-221-6126
https://choueke.jp/

三宮からだと坂を上って行くので、市バス「7系統」を使うのがおすすめ。
「山本通3丁目」で下車して山の方へほんの少し歩き、右手方向の信号を渡って歩いていくと「シュウエケ邸」が見えてきます。

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ではまた次回をお楽しみに♦

 

六甲山材へのこだわり、棚の製作2【製作編中盤】

前回の「六甲山材へのこだわり、【製作編前半】」では丸太を切断した木材から板材を切り出すところを紹介した。

poko2023.hatenablog.com

今回は【製作編中盤】としてハギ加工(板を幅方向に貼り合わせて大きな板にする)を中心に紹介する。実は【後半】のつもりでいたが、失敗があり最終まで行けなかった。(汗)

 

■板目合わせ

表面の木目を見ながら板の組み合わせを決める。柾目と板目をどう組み合わせると綺麗にカッコよくなるか、節をどう使えば面白いかを考えるが、センスがないのでなかなかわからない。結果的には適当に並べることになった(いい加減)。

木目を合わせるのが難しい

 

■ジョイントカッターによる溝加工

ビスケットという板をつなぐ木製市販部品を使う。ビスケットはめ込むために溝を加工する。付き合わせた板に溝を作るために、その位置を150mm間隔ぐらいにケガク。ケガいた位置にジョイントカッターを当てて加工。この作業は比較的簡単だ。

ジョイントカッターと加工した溝

溝にビスケットをはめ込んで状態をチェックする。溝の加工が不良であれば隙間ができてしまうので確認をする。

ビスケットをはめ込んで確認

 

■接着作業

接着剤を塗布する。ビスケットの溝にも接着剤が入るように竹串を用いて塗布する。クランプを用いて板同士の隙間がないように締め付ける。はみ出した接着剤は濡れたウエスで丁寧に拭き取る。

板の継ぎ目とビスケットに接着剤を塗布

クランプにより貼り合わせた板を締め付ける

クランプ作業は簡単なようだが、なかなか難しい。締め付け具合で板に反りが出てしまうからだ。出来るだけ反らないように注意して作業をするが、3枚目の板でどうしても反ってしまった。諦めて乾燥させたが、案の定どうにもならなくて乾燥させてから切断して再度やり直すハメになった。反りの原因を考えたが、①の前工程での直角出しが重要。②はクランプの位置を工夫することで解消する。

 

まだ接着していない残りの板は再度プレーナーによる直角出しからやり直した。板合わせでも表面から見て隙間がないことを確認したのち、裏面での隙間をチェックすることにした。隙間がある板はプレーナーで削り直して裏表両面で隙間がないことを確認した。プレーナーによる直角出しが大事なことにここまできて気が付いた次第だ。

 

板の厚み調整と表面仕上げ

1日乾燥させて厚み調整と表面仕上げを行う。接着した板の厚みは20mm程度なので自動プレーナーの厚みを初めは19.7mmぐらいに設定して厚いところを削る。注意点としては板が安定するように凸部が上になるように挿入する。削れ具合を見ながら0.3mmぐらいずつ削り最終的に18mm±0.2ぐらいを狙う。表面が荒れる場合は逆目になっているので挿入方向を逆にする。

接着した板材の厚みを仕上げる

今日はここまでで合計8枚の板材を仕上げることが出来た。これでやっと普通のDIYであればホームセンターでパイン集積材などを買ってきた段階だ。手間はかかるが板に対する愛着が変わってくるし、何より六甲山材であることに誇りを感じる。(自己満足)

 

出来上がった六甲山材(エノキとヒマラヤスギ)による板材

■次の工程

丸鋸により板の幅と長さを製品寸法に仕上げる。

棚の奥にベニヤ板を貼るための加工。

棚の組み立て。

棚板2枚の寸歩仕上げと取付け受部の加工。

全体の仕上げサンドかけと塗装。

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

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ではまた次回をお楽しみに♠️

 

兵庫区の神社仏閣に感動!清盛七辨天と兵庫七福神

今回は、兵庫区をタイムスリップ!

元禄時代の、兵庫区あたりの古地図

 

コレクション詳細 - 神戸市立博物館 より

 

ここに描かれている地図から、元禄時代の神社仏閣を拾い出してみました。

(字が読めなかったものは省略)

【神社】弁財天・八王子・天神・八幡・七宮大明神・えびす

【寺】西光寺・恵林寺・福厳寺・久遠寺阿弥陀寺・真光寺・長楽寺真福寺能福寺漢福寺・薬仙寺

 

そして今尚残っている神社仏閣は、驚いたことに「八王子・長楽寺・漢福寺」の三つ以外は全て、現存していました!

【神社】                                   弁財天 ➡ 現・真光寺(兵庫区松原通1ー1ー62)

天神 ➡ 現・柳原天神社(兵庫区東柳原町1ー12)

八幡神社 ➡ 現・湊八幡神社兵庫区兵庫町1ー4ー37・旧湊町1丁目)

七宮大明神 ➡ 現・七宮神社(兵庫区七宮町2ー3-21) 

えびす ➡ 現・柳原蛭子神社兵庫区西柳原町5ー20)

【寺】

西光寺(兵庫区湊川町9ー2ー16)/ 恵林寺兵庫区兵庫町2ー2ー1)

福厳寺(兵庫区門口町3ー4)/ 久遠寺兵庫区門口町4ー5)

阿弥陀寺兵庫区中之島2丁目)/ 真光寺(兵庫区松原通1ー1ー62)

真福寺兵庫区下沢通1ー2ー2)/ 能福寺兵庫区逆瀬川町1ー39)

薬仙寺(兵庫区今出在家町4丁目)

 

さすが、港で栄えた町だけに神社仏閣を手厚く祀る信仰心は揺るがず、現代まで存続していますね。

 

さてこの兵庫区には、遠く奈良時代に開かれた「大輪田の泊」後に平清盛が改良を加えた「兵庫の津」があります。

この「兵庫津」は、江戸時代には西国各地から大坂入りの船舶の寄港地としてにぎわっていました。山陽道もこの地へ迂回して通り、海運と陸運の結節点ともなっていた。1826年この地を訪れたシーボルトは兵庫の町について「16の町があり1万6千人が住み、そばに港があって活気がある」と述べています。港の様子は「港内には絶えず非常に多くの大小の船舶が停泊し、郊外には数え切れないほどの船が大阪に向かっていくのが見える」「世界中を探しても、ここほど船舶が往来している水域はない」との感想を残しています。当時の外国の人の眼にも非常に繁栄した港町だったことが分かります。*1)

 

兵庫津の前身、大輪田泊平清盛が経ヶ島を築いたとき、安芸の宮島厳島神社勧進していて宮島にある七つの海岸に因んで、この兵庫の地に七つの弁財天を祀りました。それが「清盛七辨天」です。

 

☆弁財天とは

財運・芸術・学問・恋愛成就など、様々な面で人々を支える女神のこと。

 

その【清盛七辨天】を巡ってみました。

 

① 安全辨天 = 和田神社 (兵庫区和田宮通3ー2ー45)

     

最初に訪れた、和田神社に度肝を抜かれてしまいました💦

この神社を訪れたのは初めてですが、この和田岬という場所には子どもの頃からよく通っていた場所でした。その当時のこの辺りは、ゴチャッとした工場地帯といった感覚しかなく、歴史など全く興味のない子どもだったので仕方がないのですが・・・

こんなに大きく広々とした開放感のある、立派な神社があるとは全く知りませんでした。私の心を大きくつかんだ神社となりました。

御朱印を頂いてきました。

 

② 音楽辨天 = 真光寺(兵庫区松原通1ー1ー62)

   

琵琶を弾く姿から、音楽・芸能・弁舌・学問、豊穣や財宝をもたらす弁財天です。

 

③ 勉強辨天 = 済鱗寺(兵庫区兵庫町2ー1ー38)

  

なるほど!瞼のない魚にあやかって、寝ないで勉強で勉強辨天!(笑)

 

④ 運動辨天 = 恵林寺兵庫区兵庫町2ー2ー1)

   

運動辨天、別名「波除辨天」とも言われ、特にスポーツの成功や上達を願ってお参りする人が多いようです。「波に乗れるように…」の願いも込められているようです。

 

⑤ お洒落辨天= 兵庫厳島神社兵庫区永沢町4ー4ー21)

 

この神社は、毎年2月8日に針供養をしていることから、裁縫上手 =お洒落につながり、お洒落辨天と呼ばれるようになったのかな?

 

https://youtu.be/j1-ovTa0QtQ?si=mwic_f88_NL6Yk5N より

 

⑥ 健康辨天 = 花隈厳島神社中央区花隈町6ー5)

ここだけ、兵庫区から外れ中央区ですが清盛七辨天に含まれるので、参加させました。

  

鳥居の額に「神戸最初初船場鎮座」と書かれている所から、屈強な海の男たちにあやかって、健康になれるよう祈るそうです。

 

⑦ 恋愛辨天 = 氷室神社(兵庫区氷室町2ー15ー1)

1800年の歴史のある氷室神社は、市杵島姫命という恋愛辯天を祀っています。清盛七辨天を巡った中で、ここほど弁天様をイチ押しで祀っているいるところはありませんでした。ご利益がありそう・・・💛

目立たない、山奥へ行くかのような細い道の先にあります。境内には、弁天様へ恋愛成就のお手紙を書く用紙が用意されていました。

 

  

 

 

七辨天なので、ここで終わりのはずですが、清盛七辨天巡りには、下記の二か所が加えられ9つとなっています。

 

 松王丸君 = 来迎寺(兵庫区島上町2ー1-3)

すぐ前が、兵庫の津という立地条件! 築島建築を語る時、涙失くしては語れない松王丸の話。ここに手厚く祀られ、約850年経った今尚手を合わせに来る人がいます。

 

 

 清盛君  = 能福寺兵庫区逆瀬川町1ー39)

平相国廟(平清盛廟)

能福寺には、平清盛墓所として平相国廟が作られたといわれています。平相国とは、平清盛位号太政大臣の別称のことで、清盛に与えられた敬称です。

 

 

次に【兵庫七福神も巡ります。

 

古くから兵庫の津という港で栄えた兵庫区ですが、西国街道の要でもあり、陸路や海路を通じてたくさんの神様が集合したといわれています。

昔から兵庫七福神巡りは、人々の間で受け継がれ今も福運とご利益を願ってお参りする人が絶えません。

 

弁財天 = 和田神社 (兵庫区和田宮通3ー2ー45)

インドの「サラスヴァテイ」という水と知恵、学問・音楽の女神で、日本に伝わってからは、知恵や財運・恋愛成就の女神として祀られている。

 

寿老人 = 薬仙寺(兵庫区今出在家町4丁目)

 

 

長寿を授ける神様。

その姿から、知恵授け・延命長寿・身体健全・富財・福徳円満・家庭円満・厄払いといったご利益がある。

 

福禄寿 = 真光寺(兵庫区松原通1ー1ー62)

長寿と人望のご利益がある神さま。「福」幸運・「禄」高給・「寿」長寿につながるといわれている。

真光寺には、福禄寿の像がご本尊と並んで祀られていました。

 

毘沙門天= 能福寺兵庫区逆瀬川町1ー39)

能福寺といえば、兵庫の大仏さんで有名なお寺です。

そこに、毘沙門天が祀られています。どうやら、ココの毘沙門天さまは秘仏だそうでお目に掛れません。ただこの秘仏の作者は、高村光雲だそうですよ。

お目に掛りたかった。残念!

別名「多聞天」といい、全てのことを一切聞き漏らさない知恵もので、勝運の神さま・仏法を守護し道徳を授ける神様として信仰されている。

 

布 袋 = 柳原天神社(兵庫区東柳原町1ー12)

 

写真の布袋様は、後列右から二人目に立っておられます (^^)

 

布袋さまは、度量の広さや心の大きい神様で、財運・夫婦円満・子宝・無病息災・商売繁盛・開運・良縁などのご利益があるとされています。

 

蛭 子 = 蛭子神社兵庫区西柳原町5ー20)

地元では、「柳原のえべっさん」と呼ばれ親しまれています。

 

蛭子とは、 恵比寿様のこと。

釣り竿と鯛を抱えている姿から、豊漁と航海安全の神さまとして祀られています。また、船の出入りでみなとは商売繁盛するので、商売繁盛の神様としても知られています。

 

大黒天 = 福海寺兵庫区西柳原町10ー10)

 

本堂に祀られている大黒天が、真っ黒でその表情は憤怒! 

私の中の大黒様は、「大きな袋を肩にかけ、大黒様が来かかると~」の童謡にある、ふっくらとして優しげな出で立ちなのが、真逆の姿にビックリ! インド発祥の大黒様は、元々は青黒い身体で憤怒相をした怖い神様だったそうです。なので、祀られているお姿が正しいのです。でも、本堂の外には丸みを帯びた愛らしい大黒様もいて、心が和みました。

 

俵に乗っていることから、「ご飯を備えてお参りすると、一生食べることには困らない」といわれ、食堂や台所に祀られることが多いです。

 

 

これで、私の「清盛七辨天巡り」と「兵庫七福神巡り」は終わります。

 

回ってみて感じたのは、大切に密やかに祀られている弁天様や七福神があったり、大っぴらに、堂々と正面を切って祀られている弁天様や七福神がいたりして、その差はどこから来るのかが疑問に残りました。

 

また、機会があれば調べてみたいと思います。

 

皆さんも一度、清盛七辨天・兵庫七福神巡りをしませんか?

車で、ルートを上手に選べば半日ほどで回り切れます。

私は、和田神社からスタートしました。

 

https://www.hyogo-ebisu.com/syokai/shichifuku.php

 

 

それにしても、兵庫区というのは今とは違って、平安時代以前から港で栄えた一大都市だったので、神社仏閣も町の繁栄と同じく、人々の信仰のよりどころとして大切に扱われ、現代にまで引き継がれている様子に感動を覚えました。

 

 

いいね。やっぱり神戸が好き。

もっと KOBE ずっと KOBE

ではまた次回をお楽しみに♥

 

 

*1)引用 ひょうご歴史の道 〜江戸時代の旅と名所〜

 
参照・引用・出典元
 
関連過去ブログ
江戸時代の神戸 ☆ 酒・物流・兵庫の津・参勤交代・本陣
 はじまりは兵庫津(ひょうごのつ)から
 
 
 
 

 

続・Books事情@KOBE

海文堂書店の元店員だった平野義昌氏の書かれた「神戸元町ジャーナル 通り過ぎた人々、喪われた街」という本を買った。ビッグなサイズでボリュームもたっぷりある。まず海文堂書店の閉店の話から始まる。次に陳舜臣司馬遼太郎横溝正史らが神戸の街とどのように関わってきたか、またどういう思いを持っていたか。そして、空襲や震災の中で神戸の街がどう変わってきたか。盛りだくさんの内容である。


さらに番外編として、コーベブックス、ジュンク堂、三宮ブックスの話がけっこうなボリュームで書かれている。この番外編を読んでいて、また神戸の Books事情の続編を書いてみようかなと思った。

 

本のサイズもBIGだが、帯のサイズもBIGなのだ

この本には、海文堂や日東舘などの懐かしい書店がいっぱい出てくる。残念なことに大きな書店は閉店が相次いだあと、新しい書店が生まれてくることはないのが現状。しかし、小さな古書店は、店舗の場所を移動しながらも、続いているところがある。前回のブログでいくつか紹介したが、今回はその続きみたいな感じで紹介していこうと思う。

前回のブログはこちら。

 

 

今回は花隈界隈から三宮方面に向かって歩いて行きながら、古書店を紹介していこう。

まずは花隈公園の北東に位置する「古書ノーボ」

 

明るくて入りやすいお店

 

平積みもあるけど、カテゴリごとに整理されているので、本は多いが見やすい。本は比較的新しいめのものが多い。書棚に表紙が見えるように飾ってある本は中々興味深いものが多い。雑誌類よりも書籍がメインかな。店の奥にもいっぱい本があるような感じだったので、ストックは多いと思う。

 

花隈公園まで南下して、さらにJRの高架をくぐって少し西に行くと(マリンロードと花隈本通りの中間ぐらいのところ)、古本絵本雑貨の「honeycombBOOKS」(ハニカムブックス) という書店がある。

 

お店は2階で1階の入り口に看板が出ている

 

子供向けの本が中心。看板にあるように雑貨も扱っている。「主婦の友」とか「暮しの手帖」とかのバックナンバーもある。明らかにターゲットが絞られている。私の好みそうな本はあまりなかったので、ここは早々に引き上げた。

 

「honeycombBOOKS」のすぐ南に「本の栞」という書店がある。書店か?と思うようなお店。ひとことで言うとおしゃれな店。

 

この看板があるから本屋だとわかる

 

平積みはほとんどなく、全ての本が書棚に綺麗に並べられている。他の古書店が所狭しと本で溢れているのに対して、これだけ?と思えるぐらいあっさりしている。お客は、私以外は若い人ばかりだった。店には Technics のターテーブルが2台、DENON のアンプがあり、低音量ではあるが音楽がずっと流れている。本は芸術関係中心。音楽や美術やそれにまつわる書籍。それも新しいめのもの。よく見ると新刊もずいぶんある。ここは、新刊と古書(といっても新しいめ)を扱う本屋だった。古書店として紹介するのは失礼だったかもしれない。HPでは店内Live情報も掲載されている。

 

古書店を巡る楽しみは、人それぞれだと思うが、私の場合は古いミステリー。ハヤカワのポケットミステリー(通称ポケミス)や、同じくハヤカワのミステリーマガジンのバックナンバーとかを漁っている。

 

ポケミスは昔は1冊160円〜250円ぐらいだった

 

ポケミスの古いものになると、現在では入手困難なものもあり、コレクターやマニアの間では高値で取引きされているものもある。私はコレクターではないので、昔(中学生の頃)こづかいの中で買えなかったものとかを見つけて買うぐらい。面白ければ「当たり」なのだ。出会いを求めて巡回を続けるといったところだ。

 

では、巡回を続けよう。先ほどの「本の栞」から元町商店街を西に進み、マリンロードを少し北に上がったところに「サンコウ書店」がある。

 

青いのれんがとてもいい感じ

 

何かに偏ったところがなく、色んな本がある。本来の古書店(古本屋)はこうだという人もいるのではないだろうか。本当に種々雑多。平凡パンチとかGOROとかの昭和の雑誌も豊富にあり懐かしさを感じる。色んな種類があり、蔵書は多く、脚立に乗らないと届かない本もたくさんある。

 

古書店ではないので番外編になるが、サンコウ書店のすぐ南に「Time Roman・絵葉書資料館元町館」がある。

2024年の冬にオープン

古い絵葉書もりっぱな資料になるという証。古書店を覗くのと同じようなワクワク感があるので番外編として紹介しておく。

 

三宮の方に歩いて行くと、三宮センター街に「あかつき書房」がある。ここは古い。

 

看板もりっぱ

昭和20年創業から同じ場所で古書店を営んでおられる。学術系中心の古書店だ。社会史、近代史、哲学などから戦時中の資料もある。古書店の王道と言えるかもしれない。

 

三宮センター街を北上し、JR三宮駅の高架下に並んでいる店の一つに「三宮駅古書店」がある。店内には、ちょっと変わった本が多い。ミステリーではなくても、興味を惹かれる本はいくつかあった。もちろん、それなりのお値段だが。

 

左:三宮駅古書店  右:やまだ書店

 

最後にひとつ。昔からお世話になった平野商店街にある「やまだ書店」。当分お休みしますという小さい張り紙のまま。何とか復活してほしい。

 

***

昔ながらのやり方だったり、全く新しい方向性を打ち出したり、ターゲットを絞り込んでいたり、新旧ミックスなど様々なやり方で古書店を営んでおられる店主の方々には感謝しかない。そして、神戸で「本」の文化を絶やさないでほしいと願う。

 

いいね やっぱり神戸が好き
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ではまた次回をお楽しみに ♣︎

 

街を歩けば、穴がいっぱいマンホール

 この夏 急激な降雨のせいで、マンホールのふたが持ち上がって水が噴き出している映像をみた。だいたい鉄で出来たふたがそんなに簡単に持ち上がるものではないはず、想像を絶する水量がもたらす圧力だったのだろう。
それ以来、マンホールのふたがとても気になってしまう。

 そもそも「マンホール」を直訳すると「人の穴」、穴というより「管」。それも『ドラえもん』でのび太たちがいつも遊んでいる空き地にある土管のような大きなもの。
この穴には点検・調査・清掃・修繕など維持管理するための役割があるから相応の大きさがなくてはならない。しかし穴に人が落ちてはいけないし、簡単に開けられても困るので、頑丈な鉄製のふたが使われている。

街の特徴をデザインしたマンホールのふた

いろんなマンホール

マンホールと一口に言っても、さまざまな用途に使われていている。神戸市が設置したものだけでなく、企業が設置したものもあった。

 

□汚水(おすい・OSUI)
その名の通り、トイレの汚水やキッチンで使用した水などを流す管であり、これらは下水処理場に送られる。工場排水を流すのにも使われている。

 

□雨水(うすい)
よく見ると「うすい」という文字がある。ふたの大きさは「汚水」と同じぐらいで、雨水を汚水と一緒に下水処理場に送る。近年の豪雨災害を見ると、雨水管の役割を改めて感じる。

市章マークの下に「うすい」とある

□量水器
横長の長方形の蓋に「量水器」という文字がある。水の使用量を測定する装置全般を示し、水道メーターも量水器の一種といえる。

開けると管(穴)ではなくメーターがある


□水道メーター

家庭や施設で使用される水の量を計測するための装置で、水道料金が算出される。通常、各家庭の水道元栓の近くに設置されていて、必要な水の量を測定する役割を果たしている。

1号から3号がある、家庭用と業務用の違いか?

□水道仕切弁

水道管を流れる水を遮断する際に用いられる設備で、この中に弁がありそれを閉めたり開いたり出来る。サイズは直径20㎝ぐらいの小きさ。

ふた状のタイプと蝶つがいのようなものがついているタイプ、右の「辨」の文字に年代を感じる

 

□消火栓

汚水のマンホールのふたのように神戸独自の図案が見られる

□まだまだある

 

日本各地のマンホールのふたが「熱い」のをご存じだろうか神戸も例にもれず、すぐ上の画像のようなユニークなデザインを見かける。

神戸市では2016年度から2022年度までの「マンホールデザインコンテスト」最優秀作品が実際にマンホールのふたになっている。また神戸市内の区ごとにデザインを変えているところも見どころの1つ。

神戸市水道局のHP
最優秀作品やマンホールのふたが出来る工程も紹介されている。
https://www.city.kobe.lg.jp/a78445/kurashi/sumai/sewage/pr/designmanhole.html

毎日のように歩く道にこんなに生活を支えてくれる穴が、ずっと以前からあることに今更ながら気がつきました。

居留地時代のマンホールを以前のブログで紹介しています。
 都市行政のお手本だった「居留地会議」 - もっと KOBE ずっと KOBE 

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ではまた次回をお楽しみに♦

 

六甲山材へのこだわり、棚の製作【製作編前半】

六甲山材にこだわって棚を製作する。その記録をブログにまとめようと思う。前半として、六甲山クリエイティブラボに於いて原木から板取りをして板材にする製材作業の様子を記録する。

六甲山クリエイティブラボ

六甲山材の原木手配については以前のブログを参照。

poko2023.hatenablog.com

 

棚の扉には六甲山材のエノキと棚本体にはヒマラヤスギ(森林植物園産)を利用することにした。製材所の三栄さんが保有する乾燥を終えた原木の中から加工性や家具としての適性を考えて決めた。原木は50mm程度に製材されているので経済性を考えて18mmの板材を2枚切り出すことにした。エノキは木目がはっきりしてユニークな製品ができそうだ。ヒマラヤスギは加工性が良さそうで甘い香りが印象的。もちろん木目も美しい。

左:エノキ(中央の白みがかった木材)   右:ヒマラヤスギ



🔳木取り
できるだけ捨てる部分が無いように木取りを行う。長手方向には最終寸法プラス50mm〜100mm程度の余裕を、幅方向には最終寸法プラス10mm〜20mm程度の余裕をとることにする。原木にマジックインキで木取りをけがく。

原木にマジックでケガいて横方向はジグソウで切断

🔳板の荒加工
横方向はジグソウで切断して、縦方向は帯鋸(オビノコ)で切断する。帯鋸では
①原木を機械に載せてけがき線に合わせて切断
②切断した面をガイドに沿わせて切断板幅120mm程度に切断
③切り出した木材を立ててガイドに沿わせて厚み方向に切断して約20mmの板材にする
帯鋸は鋸刃のテンションを設定してぶれないで安定して回転することを確認し、注意しながら原木を送る。回転する鋸刃の横には手をもっていかないように注意。

帯鋸 木材をガイドに沿わせて20mm程度に切断

切断を終えた木材

 

🔳板の精度出し

プレーナー(電動カンナ)により寸法出しを行う。手動で2面を削り、直角を出すようにする。長さ方向の反りと木目の状態を見て削る面を決める。

削り残しがなく全面が平面になるまで繰り返す。直角を出した面がどこかを後の自動加工の時にすぐに分かるように印を入れておく。手が巻き込まれないように木材を送る専用の治具を用いて慎重に作業をする。

プレーナー(手動)で2面を切削して直角を出す。

残りの2面は自動加工して寸法を出す。まず、板の幅方向を加工する。仕上げ幅110mmに対して板により120mm〜130mmぐらいにバラついているため、例えば123mmの板は119mm→115mm→113mm→111mmのように繰り返して寸法を出す。寸法を測りながら巾方向は仕上げ寸法±0.5mm程度の精度で仕上げる。

幅方向の切削により寸法を出す


次は厚み方向の加工。板材は厚みの仕上げ寸法18mmに対して20mm〜24mmぐらいにバラついているため、例えば24mmの板では22mm→20mm→19mmのように繰り返して寸法を出す。板幅があるため1回に2mm以上を削ると表面が荒れるので少しづつ削る。次工程で数枚をハギ加工(接着)して板にするのでハギ加工後に0.5mm-1mm程度仕上げるため19mmを目標にする。

厚みを19mm±0.5に切削する

 

次回作業(後半)は木目を合わせて扉及び棚の上面、底面、側面の板材を作る。

 

***

番外

1000m近い六甲山の上では気温は数度低く快適、ただし作業した日は湿度が高くジメジメした感じだった。クリエイティブラボの回りを散策すると紫陽花に似た「ボタンクサギ」が咲いており、大型のアゲハチョウが蜜を求めてに飛んできた。

ボタンクサギとアゲハチョウ、カマキリも一緒


クリエイティブラボの向かいには「ホテル神戸六甲迎賓館」が今春にオープンした。国立公園六甲山敷地内に1世紀ぶりに新築されたホテルだそうだ。こじんまりとしたホテルでBBQやランチ・カフェのほか季節に応じてイベントが開催される。

ホテル六甲山迎賓館 右:ロビーからの眺め

いいね。やっぱり神戸が好き。

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ではまた次回をお楽しみに♠️

 

神戸市中央区・江戸時代の神社と村の物語り ☆ 神戸(かんべ)村・二茶屋村・走水(はしうど)村・北野村

今回は、江戸時代の神戸市中央区にあった村の話です。

中央区には

生田村・小野新田・神戸村・中尾村・滝寺村・北野村・生田宮村・中宮

二茶屋村・走水村(はしうどむら)・花隈村・宇治野村がありました。

神戸村 (290000034600) | 『日本歴史地名大系』地名項目データセット より

中央区の村を語るのに「神戸(かんべ)村」は、外すことが出来ません!

前回、江戸時代の村の暮らしは神社との関係が深かった。と紹介をしましたが、それが如実に表れているのが「神戸(かんべ)村」です。

 

神戸(かんべ)

「神戸(かんべ)村」は、生田神社の神々に仕える人々が住んでいた村でした。

806年(平安時代)、朝廷より生田神社のためにお供えをしたり、世話・守るための家である神戸(かんべ)を44戸頂き「神戸(かんべ)村」が出来ました。

明治44年3月発行の「西摂大観」によると、神戸村は東を生田川・西は二つ茶屋村・北を生田宮村及び北野村を区域とする。とあり、神戸村が東を居留地の東を流れていた生田川とし、北へは北野あたりまで迄の広さを持っていたことが分かります。

地図にフリーハンドで神戸村の範囲を記してみました。

https://geoshape.ex.nii.ac.jp/nrct/resource/29/290000034600.html の地図より

この区域内に、生田神社の神さまへの奉仕を行う人々が住んでいました。

 

生田神社の境内には、住吉神社八幡神社諏訪神社日吉神社・稲荷神社・蛭子神社・市杵島神社・戸隠神社大海神社松尾神社・塞神社・人丸神社・雷大臣神社・生田森坐社。以上、14もの末社が祀られています。

 

それぞれへの神さまへのご奉仕の内容は

✅毎朝のお供え・清掃・お守りやお札を渡す

✅人々の安全を記念する御日供祭(おにっくさい)を行う

✅毎月1日(月始祭)と15日(月次際)に行う「つきなみさい」という祭典を行う

✅祭式や雅楽神道行法・神楽・御朱印書きなどがあります。

 

神道行法とは

禊(みそぎ)・祓(はらえ)・鎮魂(みたまふり)・祝詞(のりと)奏上など、心身を清め、神に近づくための実践的な行いをすることです。

 

1760年当時、神戸村の人口が1985人という記録が残っています。

すでに、大都市になっていることにビックリ!

14もの末社を含む生田神社の神さまへのご奉仕ともなると、これくらいの人数は必要だったのかもしれませんね。大忙しだったのかも…

 

そしてこの神戸村が、現在の神戸市の名前の由来となっています。

 

中央区には、この生田神社の生田裔神八社のうち、一宮神社 ~ 四宮神社があります。その中で大きく発展したのが三宮です。

残りの、五宮神社 ~ 八宮神社はお隣の兵庫区にあり、神戸八社参りとして有名です。

 

生田神社の詳細は過去のブログをご覧ください

お参りだけじゃない、生田さん - もっと KOBE ずっと KOBE 

 

次に、中央区にあった村は中宮 二茶屋村

神戸村 (290000034600) | 『日本歴史地名大系』地名項目データセット より

 

二茶屋村は、いまの元町4~5丁目あたりにあったようです。

 

織田信長の時代に、中宮村に居た高木三城という二人の侍が武士を辞めて、それぞれに茶屋を西国街道沿いに開き大変繁盛し、他の土地からも人が移り住むようになり人口が増えて「二茶屋村」が出来ました。

 

元町商店街西国街道上にあるので、この「二茶屋村」が「元祖・元町商店街」といっても過言ではないでしょう。高木・三城氏、両名あってこその元町商店街です。

 

戦国時代に、武士を辞めて商売を始める元侍って、面白いですね(笑)

しかも繁盛させて、村の名前にまでなるなんて、なんと商才があった人物なのでしょう。武士を廃業して正解でした。

 

この村は後に、青物市場や廻船業にまで手を広げ成功を収めています。江戸時代後期にはこの村の「網谷吉兵衛」という人物が、神戸港の先駆けとなる乾ドッグを私財をなげうって作っています。*1)

 

元町商店街についてお知りになりたい方は*2)の過去のブログをご覧ください

 

走水村(はしうどむら)

この村は二つ茶屋村の西にあり、南北に140戸の家が並ぶ村だったそうで、酒造りや水車業・百姓・廻船業・漁船の乗組員相手の商売などで生計を立てていました。

村の鎮守は、八幡神社と天神社で明治8年に合祀されたとき、かつての村の名前を神社の名前にして現代まで残っています。*3)

 

走水神社

ちょうど元町商店街(元町通5丁目)にあり、商店街の中に案内板が上がっていて分かりやすいです。

 

因みに、同じ元町商店街ですが

走水神社を氏神様にしているのは、元町通5・6丁目です。

 

元町通4丁目は厳島神社氏神様。花隈にある厳島神社です。

(写真は 厳島神社 (神戸市中央区) - Wikipedia からお借りしました。)

別名、花隈の弁天さんとも呼ばれ、弁財天は水の神様なので豊作を願う神様です。

また、財運を上げるご利益もあるそうです。やはり、昔から商売の村だったので、村人も熱心にお参りしていたのでしょうね。

 

元町通3丁目は三宮神社氏神様としています。


村から町へと変わった今も尚、地域と神社との関係が密接だ!ということがよく分かります。過去から未来へと引き継がれていく、日本の心。大切にしていきたいです。

 

北野村

北野村には北野天満神社があり、今は学問の神さまとして知られていますが、境内にある4つの末社には、家内安全・商売繁盛・心身健康・病気平癒・水難、災難除・安産の願いを祈る、村人から篤い信仰を寄せられていました。

また、少し西にある末社には、火防・火封じの神さま北野青龍神社と家内安全・商売繁盛の三森稲荷神社が祀られています。

 

画像は  北野天満神社|神戸観光|散策|さんぽ| からお借りしました

 

村人は、北野天満神社にお参りしながら、村のコミュニティを築いていったのでしょうね。祭りも多そうだし… *4)

 

 

神戸市の中央区は、県庁・市役所の所在地として、とても活気のある区です。それは、遠く平安や鎌倉時代以前から、生田神社を中心に多くの村が出来・人口が増え繁栄した過去があって、今の活気に続いていることに気が付きます。

私たちも、未来へこの活気を引き継がないといけない気がします。

 

【参考資料】

*1)二ッ茶屋村|夢街道|元町マガジン|神戸の良さが元町に、神戸元町商店街

*2)前編☆150年を迎える元町商店街の老舗!(1番街・3丁目・4丁目) - もっと KOBE ずっと KOBE

   後編☆150年を迎える元町商店街の老舗!(5丁目・6丁目) - もっと KOBE ずっと KOBE

*3)走水村|夢街道|元町マガジン|神戸の良さが元町に、神戸元町商店街

*4)学問の神さまには見どころがいっぱいー北野天満神社 - もっと KOBE ずっと KOBE

 

 

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ではまた次回をお楽しみに 

 

猛暑八月の空に平和を想う

毎年 8月になると広島と長崎への原爆投下の話や、沖縄の本土決戦の話がメディアで取り上げられる。第二次世界大戦末期の悲惨な映像を交えた特別番組を多く目にする。広島や長崎では、高校生ら若い世代の人たちが語り部を担って、戦争の悲惨さと反戦を伝えていくような姿や取組みが見られる。とても良いことだと思う。

戦災は神戸とて例外ではなく、5回の大規模な空襲で街の6割近くを焼失している。今回は、その戦災を記録し、伝えていくような活動や施設をいくつか紹介しようと思う。
まず最初に神戸空襲の概要について触れておこう。地図上に大まかなエリアを示してみた。(あくまでも、だいたいの範囲として見てください)

 

(地理院地図 GSI Maps を編集)

 

1945年2月4日 (A) のエリア
攻撃目標は川崎造船所(地図上①)、三菱造船所(地図上②)をはじめとする軍需工業施設。和田岬神戸港周辺の被害が大きかった。

 

1945年3月17日 (B) のエリア
軍需施設だけでなく、長田区、兵庫区中央区あたりに無差別攻撃。ナパーム焼夷弾が使用され、広範囲にダメージを受ける。湊川神社もこのときに焼失した。清盛塚の近くの大輪田橋では、橋の下に逃げ込んだ人が前後からの熱風で亡くなった話はよく知られている。この空襲で神戸市の西半分が焼失した。

 

大輪田橋:焼け焦げの跡もそのまま残っている

 

1945年5月11日 (C) のエリア
攻撃目標は青木にあった「川西航空機甲南製作所」(現・新明和工業)(地図上③)。灘区、東灘区が大きな被害にあった。

 

焼けて鉄骨だけになった川西航空機甲南製作所

 

1945年6月5日 (D) のエリア
B29が350機来襲と言われている最も大規模な空襲。西は垂水区から東は西宮市あたりまで、工業地帯に限らず市街地全域に対して、焼夷弾や爆弾での無差別攻撃で大きな被害を受ける。須磨の海岸や北野のあたりまでもが被害にあった。生田神社もこのときに炎上した。今も、三宮や旧居留地あたりにその爪痕が残っているところがある。

JR三ノ宮駅阪急三宮駅を結ぶ連絡通路から見える高架に米軍戦闘機の機銃掃射の弾痕と言われているものが残っている。

 

連絡通路を渡っていると見ることができる

 

神戸市立博物館の建物にも機銃掃射の弾痕が残っている。

弾痕と思われる箇所が埋めて補修してある

 

1945年8月6日 (E) のエリア
西宮市、尼崎市、芦屋市、神戸市東灘区あたりが焼夷弾で攻撃された。

 

これらの攻撃を受け、神戸市の6割が焼失してしまったと言われている。1945年8月15日に終戦になるが、神戸市民は廃墟の中で終戦を迎える。

 

広島や長崎の被害に較べたら小さいかもしれないが、神戸空襲でも戦争の怖さ悲惨さは伝わってくる。このことを記録し、残しておく活動や施設も大事だと思う。その活動を続けておられる「神戸空襲を記録する会」という市民団体の活動内容や施設・記念碑などを紹介しておこう。

 

まず最初は、JR兵庫駅のすぐそばにある兵庫図書館。小さいけど、気軽に入れて親しみやすい図書館だ。

 

兵庫駅を南側に降りてすぐの建物の2階

 

ここには戦災記念資料室がある。元は神戸市立中央図書館にあったものだが、阪神淡路大震災で資料室が被災してしまい、そのまま兵庫図書館に移されたと聞いている。

 

常設なのでいつでも見ることができる

 

兵庫図書館の戦災記念資料室の資料をいくつか紹介しておこう。

 

(左) 焼夷弾の破片や機銃の空薬莢など
(右) 規則や操作方法を記述した手帳類
(左) 防空頭巾やキャップ
(右) 鉄兜やタスキ

大日本国防婦人会の小さいタスキは子供用だそうだ。これはリアルにつらい。

展示パネルには写真もある。見づらいけどいくつかピックアップしてきたので紹介しておこう。

 

(左) 焼け跡に残った「そごう」(現・神戸阪急)
(右) 焼け跡に残った「神戸ムスリムモスク」

 

写真以外にも当時の様子がリアルに伝わってくる資料があったので、そちらも紹介しておこう。

 

いわゆる「赤紙」と呼ばれるもの

招集令状(赤紙)は、映画やドラマでは見たことがあるが、現物を見るのは、はじめてだった。この招集令状が届いたら、皆に送り出されて、胸をはって戦場に向かうのか。

 

(左) 衣料品の配給の切符
(右) 食糧品の配給の切符

着るものや食べるものが配給だったという話は知ってはいたが、こういった実際の切符を見るのは、これもはじめてだ。

他にも貴重な資料があるが、これら全て「神戸空襲を記録する会」より寄託を受け、展示されていると表示されていた。

 

次に紹介するのは、大倉山公園にある平和のモニュメント。これも「神戸空襲を記録する会」が神戸市に要請し、実現したものだ。表には碑文、裏には故人のお名前が刻印されている。2013年に8月15日に除幕式が行われた。

 

神戸空襲を忘れない いのちと平和の碑

故人のお名前は、刻銘追加式によって追加が行われているようだ。

 

他にも体験集をまとめた書籍「神戸大空襲」の出版や、年1回「こうべ空襲だより」を発行されている。そこには記録する会の1年の活動が記されている。

 

(左) 神戸大空襲 (右) こうべ空襲だより

「神戸空襲を記録する会」の HP は

https://ksyc.jp/kobe-kuusyuu/

 

明治維新とともに、外国人居留地として誕生し、発展してきた街「神戸」。80年前、戦災で6割を失うが復興する。そして30年前、大震災で壊れるが、また復興する。

 

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